ラムダは考えていた。チャンスは一度きり。しかも、思い浮かぶ方法は世界で考えうる限り最も危険な賭け。
先刻までラムダは死ぬ気だった。未練がないとは言えないが、生きる気もしない。死という安楽椅子に座すのは、さぞ心地よかろうと夢想していたほどだ。
それは、メアリによって打ち消された。
─────あれも妙な奴だ。
しくじれば自分の命はない。成功したとしても、よほど上手くやらない限り首都からは永久追放。当然仕事もなくなる。なぜ自分に手を貸そうとしたのか、全く理解できなかった。
ただ、メアリはそういう約束事で、ラムダに嘘をついたことがなかった。今はその一点を拠り所にしていた。
─────前の私なら考えられないな。
なぜ、こうなったのだろう。ラムダは分りきったことを頭の中で反芻した。
実行は明後日。もう夜も遅い。今夜と明日はよく眠ろう。
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翌日の夜。マルコ・ラムダの死刑執行は明日の午前十時に執り行われることとなっていた。
ミリーノは、不思議だった。
ラムダと二ヶ月足らず一緒にいたが、ラムダはなんだかんだ言って結局自分に手を出さなかった。ゼタ・ゼルダの手記とやらも、結局読めていないだろう。
手を出すどころか、向こうからミリーノに触ることすらしなかった。それは、ミリーノの心を読むのを恐れたからかもしれない。
だが、当時を振り返ってみて思うに、ラムダに何かされても自分は抵抗しなかっただろう。もうミリーノはずいぶん早い段階で、ラムダに心を許していたのだ。
会いたい。たとえ自分の気持ちにあの人が答えてくれないとしても。
後ろ髪の髪飾りをはずして見つめる。透明な中に、バラが浮かぶ。透明。どんな色でもないが、絶対の極み。バラの花言葉は愛。ラムダがそれを意図したとは思えない。
ぎぎぎぎ…
塔のドアの音がする。ミリーノはその音の中に、あの家のドアの音はないのだと再認した。
『ガチャリ。─────飯だ』
目の前に現れた黒いローブの人物が、ラムダとダブったが、すぐに元に戻った。
メアリは静かに閉まり行く扉を見とどけると、急にミリーノに駆け寄った。
「……──!」
何か声を発すると、ミリーノの皮膚がぐにゃりとゆがんだ。ミリーノ自身には、何の感覚もない。しばらくたつと、ミリーノの姿はメアリ・ラ・デストロその人になっていた。
「どういうことですか?」
ぱっと声を出したミリーノの口を、メアリはその右手で塞いだ。
「静かに。今あたしはこれまで長いことかけて培ってきた王室への信頼を思いっきり裏切ってここにいるんだから」
そう言うと、メアリはミリーノの髪の毛を一本抜いた。ミリーノは顔をしかめたが、目の前にまた奇妙な光景が広がった。
メアリがふうっと息を吹きかけると、その髪の毛はむくむくと膨れ上がった。あっという間に、先ほどの寝巻き姿のミリーノに早変わりだ。
開いた口がふさがらないミリーノをよそに、メアリはその”即席ミリーノ”をベッドの上にうつぶせた。
「あたしが指を弾いたら、『もうちょっと今日は寝てたいの。朝食はそこに置いておいて』って言ってね」
「あの、何が…」
わけもわからないのに、言いなりになるわけにはいくまい。ミリーノはメアリにつっかかった。
「今から外に出て、あたしのふりをしてもらうわ。ラムダに会いたいんでしょ? 処刑は明日。チャンスは一度きりよ。お分かり?」
全然分らなかった。
「と・り・あ・え・ず! 今は言う通りにして。いい? いくわよ」
ぱちん
「もうちょっと…今日は寝ていたいの。ご飯はそこに置いておいて」
ぱちん
「かああっと! オッケイ!」
メアリは即席ミリーノに、語りかけた。
「朝食をお持ちしました」
即席ミリーノのほうから声がする。口から出ているのかは微妙なところだが。
『モウチョット…今日ハ寝テイタイノ。ゴ飯ハソコニ置イテオイテ』
即席ミリーノが、あたかも返事をしているように見える。
「アリバイ工作完了。じゃ、説明するわ」