或る国王の話

小鳥のさえずり。いつもの、朝。
ただ、いつもと違う一点がある。
今日は、見合いをする。相手は隣国の姫。外交上の大切な行事だった。
隣国とはこれまで争い続きだった。それもこれも、すべてこちらの問題だった。
先代国王は相当の暴君で、何だかんだの言いがかりをつけて、隣国との国交は完全に断絶状態。その理由は、未だに民には知らされていない。
民は皆、あれは気違いだったのだと言い合ってた。
私は、私だけは、その理由を知っていた。どうでもいいことだ。本当に。
向こうの王女に横恋慕したのだ。
それを知ってから、私は父を嫌った。ちょうど七年前。私が十五のときだ。
そんなどうでもいい理由で、民から重税を巻き上げ、戦やらなにやらにつぎ込んでいた父を。
五年前、いつか父から王座を奪おうと思った。
三年前、名も知らぬ私の姉が失踪して、私は動き出した。
父へは叱責の嵐だった。お前は自分の娘すら世話できないのか、と。
世話はしていた。高い塔の中に閉じ込めて。メイドを使って。
父は、一度も娘の顔を見たことがなかった。
それはこの国の王族の慣習だった。父親といえど、姫は一生男にさらされてはならぬ。
しかし、もうそんなものは時代遅れの迷信でしかなく、民はついてきていなかった。
そして一年前、私は父を処刑した。
罪状は、皇族の心身拘束。つまり、姉を搭に閉じ込めていた罪、である。
父は命乞いをした。そして、その今わの際の言葉も、私は耳にした。
処刑を宣告し、妙に冷えた目で、首だけになった父と対面したとき、あと少しだと思った。
それから一年。国内の改革はまだ残っているものの、急務はすべて片付けた。
後は隣国との関係の完全復興を、民に示すのみ。
そう。結婚だ。
相手は自分より年上。側近が言うには、噂に違わぬ美姫だそうだ。
頭の回転もなかなか速いらしく、その側近が珍しく誉めていた。
これは、双方にとって大切な契約なのだ。
「失礼します」
一人のメイドが入ってきた。
「ああ、エリザか」
「おはようございます」
もう長い付き合いになる。二つ年上の彼女は、生まれたときから、私の遊び相手兼教育係だ。
私と姫の結婚が成立した暁には、王妃となったその姫のメイドとなる。
「フィリップ陛下。お茶を」
「ああ、ありがとう」
これがいつものやり取り。私にとってエリザは、顔も知らない姉よりも『姉』であった。いや、それ以上だろう。
お茶を飲んでいる間、沈黙が広がる。エリザのいいところはこういう状況把握にあるのだ。
私が考えていることなど、すべてお見通しなのかもしれない。そう思って、昔聞いてみたことがある。エリザはこう言った。
『だれだって、しゃべりたくないときというのがあるの。私はなんとなくそれが感じられるだけ。フィリップにも、いずれできるようになるわ』
そのすぐ後で聞いたが、エリザはどこかの貧民街出身で、偶々通りかかったメイド長に拾われて、ここで働くことになったのだそうだ。
「今日はいい天気ですね」
私がお茶を飲み終わったころ、エリザが声をかけた。
「ああ。見合い日和だ」
私が王位を奪おうと考え出した五年前から、エリザは私に敬語を使うようになった。
エリザはそれをどんなときも崩さなかった。彼女が熱を出しているときも、育ての親であるメイド長が死んだときも。
ただ、一度だけ、元に戻ったときがある。
エリザに見合い話が来たときだ。ちょうど姉が失踪する直前だった。
それは、先方の人違いだった。エリザが親も知れない貧民街出身者だとわかるやいなや、話が流れてしまった。
その日の夜、エリザは私の部屋に来た。今日のように、穏やかな顔だった。
お茶を入れながら、彼女は言った。
『あんな人、こちらから願い下げよ。だって、いまどき出生に拘るなんて。学がないにもほどがあるわ』
彼女は泣いていた。
『分かってたの。そんなうまい話はないって。でも、いいじゃない。夢ぐらい、見させてくれても』
彼女は涙を拭いた。だが、あまり意味がなかった。
『夢を見ていたかったわ。でも、だめね。私には』
私は彼女を抱きしめていた。カップのお茶はこぼれずに済んだ。
彼女を放したとき、彼女の顔は、いつもの、穏やかな顔になっていた。
『フィリップ殿下、あなたは国王になるのですよ。国のこと、民のことを、第一にお考えでないといけません。この年頃です。女性に興味があるのは当然のこと。そういうときは、お金を出して、そういうところに行ってくださいまし。そこで国の底辺の人々を、その目で見るのです。メイドなどにかまけていてはいけません』
そのまま部屋を出る彼女を、呼び止めることも出来なかった。
彼女は、まだ結婚していない。
この国では、二十四という年は適齢期を大きく越えている。彼女は一生一人身だろう。
「もう陛下も結婚するのですね」
「まだ決まったわけじゃない。相手に断られるかもしれない」
「ふふ…そんなわけないじゃないですか」
エリザはカップを片付けた。そして向き直っていった。
「陛下、私が陛下をお世話して差し上げるのも、これが最後です。私は、先方のお顔を存じ上げませんが、いずれはお使えするその方がどんな方か、楽しみですわ」
「話によるとかなりの美人だそうだ」
「そうですか…。よかったですね、未来の奥方がお美しくって。陛下、そろそろ私、お暇いたします」
「そうか。もうそんな時間か」
まもなく、衣装の係がやってくるだろう。
「長い間、私めにお付き合いいただき、ありがとうございました。お目にかかる機会こそ減ってしまいますが、今後ともよろしくお願いいたします。では、失礼します。どうか、お幸せに」
エリザの目は、私には、潤んでいるように映った。
「ああ。また」
エリザは出て行った。
入れ替わりで、衣装担当がやってきた。私はのろのろと着替え、部屋へ行く。
まだ先方は来ていない。いや、入ってきた。
ごちゃごちゃと長い挨拶。ようやく姫がしゃべる。
「お初にお目にかかります。アカエと申します」
気の強そうな美人だ。エリザのような栗色の髪ではなく、黒髪。黒い目ではなく、青い目。
「いえいえ、遠路はるばる、お疲れでしょう」
「そんな」
宴は進む。
途中から、自分が何をしゃべっているのか、よく分からなかった。
早く済まないだろうか。そう思っていた。
「本音を言いましょう。まどろっこしいのは、私、嫌いですから」
そして、アカエは言った。
「まあ、お互い契約ですし」
そのとき、思った。
エリザを。
この人のことが嫌いなわけではない。むしろ、こういう切れ味のよさに、好感を持った。
政略結婚が嫌なわけではない。昔から、分かっていたことだから。
でも。
私の隣にいるのは、今も昔も、変わらない。
エリザだけだ。
「で、そちらは、どうなさいます?」
言わなければ。
初めて私は、隣国の王女に横恋慕した父を思った。
馬鹿な父だった。国王以前に、人として、最低だった。
父王は今わの際に、隣国の王女の名を呼んで、笑ったのだった。
どんな父も許容できない。
ただ、私にはたった今、そのときの父の気持ちだけは、わかる気がした。
さあ、言おう。
国は後回しだ。今の急務はこれなのだから。
やはり私はあの父の子だな。