かれのこと

~①~

君は母になるべき人だ。
思うに、その一見気難しい性格は、実のところ寛容さを秘めている。
君の機嫌が『常時著しく低空飛行状態にある』と考える人々が世間に多数いるそうだが、それは誤りである。
表面的な不機嫌さは寛容の裏返しであり、優しさの現れだ。
これらの原因となる部分は、恐らく君が薬草学者として身を立てているということであろう。
私はよく預かり知らないが、研究というものは自己抑制が必要な分野だと見受けた。
よってその強靭な自己抑制が、君の寛容さを覆い隠している。
実際に子供たちに聞いてみた際の回答によると、彼らは君を『やさしいひと』と表現していた。
以下多かった回答は、上位順に、『へんなひと』『かわいいひと』『きれいなひと』であった。
これは、君が彼らに好意を持たれているといえる。
『へんなひと』は、君が研究に打ち込む姿からきている。
『かわいいひと』『きれいなひと』は、君の容姿である。君はそのように形容されることを希望していないだろうが、それもまた君という人間の特性なのだ。
マイナス要因ではないし、私も子供たちと同様の感想を抱いたのだから、謙虚に受け入れるべきだ。

~②~

君の研究は非常に効率が悪い。
まず、研究目的でここに来るのに相当の時間と費用を必要とする。
次に、ここに持参可能な実験器具は限られたものであり、想定通りの実験が出来ない上、結果も不安極まりない。
最後に、採取した薬草や実験サンプルを持ち帰ることには、往路以上の時間と費用がかかる。持ち帰れない薬草類もある。
以上のことを考慮すると、最大の原因は、君があちらに住んでいることにある。
解決策として最良なのは、ここに転居し、ここで生活することだ。
確かにここからでは、世間に対して論文を発表するのには時間がかかるかもしれない。
しかし、これまでのように頻繁にここと自宅を往復するのと、年に二回の例会にここから出席するのとでは、どちらが経済的的か、自明の理であろう。
私の側としても、君がいてくれたほうが助かる面も多い。
速やかなる決断を望む。

~③~

君が薬草学例会という場で君の師に言い寄られたということに対する解決策を提示したい。
彼の言分をまとめるとこうである。
助手として常にそばにいた君に対して、一時特別な感情を抱いたことは事実であり、それが一方的であったことも事実である。
また、当時自分の診療所にやってきた患者の一人(実際には複数だった)と不倫関係を持ったのは、一時の気の迷いである。
今回の例会で久しぶりに君を見たところ、以前よりも容姿に磨きがかかり、愛らしさが増したように思う。
今度は君と始めたい。
以上である。
しかし、この言分には感心しない。
一つ目は、不倫関係を”気の迷い”で解決しようとしていること。
二つ目は、久しぶりに見た君への言及が、容姿のみに終始していること。
三つ目は、”今度は”などという不躾な言い方をしていること。
以上より、この人物との関係は持たないほうがよいと考えられる。
この人物の年齢が君よりも三十歳年上であることも、当然の理由として付け加えたい。
それ以上に、私が許さない。
なぜならば私は君に特別な感情を抱いており、長期間君を想っていたからである。
恋愛感情に年齢や期間は関係ないだろうが、自分の言分に筋が通らないような人物に君を譲渡するぐらいなら、私が手元に閉じ込めておきたいところだ。
たとえ彼の言分に筋が通っていても、私が手元に閉じ込めておきたいところなのだ。
結論として、私と入籍して欲しい。

 

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以上が、夫の長い長いプロポーズの要約である。
全て言うのに足掛け一年だった。
私が薬草研究のためにここにやってくるのが毎月一週間だけだったことが大きな理由だ。
しかし私はそのこと以上に、彼が見かけよりずっと複雑な人物だからというのが第一だと思っている。
彼は、私(身長約百六十センチ)と同じくらいで、男にしては背が低い。鼻筋が通り、まつげの長い、いわゆる垢抜けた顔立ちである。幼いころにはやはり美少年だったらしい。
物心付いたころには、実の親の手によって売春まがいのことまでさせられていたそうだ。十歳でそこを飛び出し、一年ほど記憶がまばらだという。話してくれたとき、『人を殺したことはなかったっぽいんやけど』と、出来るだけ軽い口調を心がける彼が痛々しかった。
私や彼が小さかったころ、確かにこの国はおかしくなりつつあった。国王が変わった今は平常だが、突然人が死ぬということが、少しずつではあったが、おかしなことではなくなっていった。
そんな中、彼は孤児院を自力で見つけ、そこに救いを求めた。
仲間との幸せな生活。どんな過去も包み込み、温かい器で彼を変えていったそこでの生活が、今の彼の根底にある。孤児院を出て、近くの牧場で働き始めてからも、そこへの仕送りを欠かさなかったという。
しかし、あのご時世だ。政府は孤児院への出資を削っていった。
資金難で孤児院が瓦解し、子供たちが散り散りになってから、彼はあの孤児院の再建をしようとした。
彼は資金を手に入れ、孤児院を再興した。
指名手配されていた孤児院時代の親友を政府に売るという代償を払って。
今その親友は、隣国にまんまと逃げおおせ、王宮魔法士にまで出世しているという。本人から手紙も来ており、『元気だし幸せだ』とまで書いているそうだ。
だからそんなに気にしないでもいいと思うのだ。
けれど、それが理由かは分からないけれど、彼は。
子供たちを寝かしつけた後、こっそり起き上がって、森のほうを見て、ぼーっとしていることがあった。何かあるな、と思った。
三度目にその姿を見かけたとき、まだその理由も知らなかったのだが、思わず、いや、なんとなく、『泣いてもいいですよ』と言ってみた。
代わりに彼は目の中にあふれる寸前まで涙を溜めて、『そんなんちゃうわ』と言ったのだ。
このとき私はもう彼のものだったかもしれない。
彼と私、どっちが先に好きになったのかは、今だに分からない。
以前彼に聞いてみたら、『言うか。あほ』と言われてしまった。どうやら誰かに相談したらしいことは、子供たちから聞き出したのだが。
ここまでをさらにまとめると以下のようになる。
私は、『よーするに、わいと結婚してくれへん?』と少し声を上擦らせて言ってくれた彼と結婚し、このごろでは薬草学者兼孤児院の院長夫人として、子供たちとじゃれあっているというわけだ。
「イエイダ、今ええかぁ?」
おおっと、いけない。夫が来たようだ。
「ちょっとまって」
日記、しまわなくちゃ。
そうそう。夫は訛りがきつく、日常会話は全てなまっている。前述のプロポーズ要約は、全て標準学術用語風に翻訳してみた。
実際はもっとたどたどしくて軽い感じだったけど、それは教えたくないので書かないでおく。
あ、私の日記なんだから、誰も読まないし、別に良かったのか。
「入っていいよ」
でもやっぱり嫌だ。なんとなくだが。