イチゴ練乳

疲れた。だるい。
このところハードワークすぎるわ。全く。
前はこんなんじゃなかったのよ。もっとこのお屋敷の使用人いっぱいいたの。
私以外に…そうね、五、六人はいたわ。
みぃーんな、辞めてっちゃった。
だって旦那様がおかしくなっちゃったんだもの。
昼間っから叫び声上げてたり、そうかと思えばうずくまってたり。
昼間静かだと思えば夜に包丁もって屋敷中徘徊したり。
たまんないわ。
え? 何で辞めないのかって?
別に…なんとなくよ。辞めても働くあてはあるわ。ここ、都会だし。
敢えて言うなら…そうね。残り一人が可哀想だからかしらね。
門番がいるのよ。大変よね。あの人。
旦那様が屋敷を抜け出そうとしたら、一人で止めなきゃいけないんだもの。
前に取り押さえてるところみたけど、『かっこいいじゃん』って思っちゃった。
見た目じゃないわよ。働きっぷりが、よ。
いっつも一人で止めきれてるってことは、割と力あるのかもね。
顔色悪いけどさ。まあ、こんな労働条件じゃあ、当然よね。
そんなにしゃべったことがあるわけじゃないわ。
私とあの人の二人しかいないから、あの人が休憩時間のときは、私が門番やってるの。
それじゃあ意味ないじゃんって、思うでしょう? それが、あるんだなあ。
何せまともな人としゃべることがないからさ。
『休憩ですよ』『分かりました』だけで、なんかほっとするの。
一人身よ。あっちも。じゃなかったらとっくに辞めてるんじゃない?
私のことじゃないわ! あの人のことよ。
私よりも少し前に勤め出したっていうのは知ってる。どうやら年上…なのかな。
えっと、そうね。顔は…普通、かしら。ん…うん。普通。
ああ、でもなんかすごい色白。
顔色悪いからじゃないわ。前から、前から。
なんかねえ…そう…練乳みたいな。たとえが変かも。
でも、牛乳じゃなくって、練乳なの。これは譲れないわ。
そのほうが、人間らしいじゃん。
私、好きだけどな。練乳。
ああ。住み込みよ。部屋は空いてるから。手入れがてら…ね。
ちょっと、何ニヤニヤしてるの?

 

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だるい。疲れた。
このところ仕事がきつすぎる。
前は違った。門番の交代要員もあと四人はいた。夜中でもばっちりだった。
全員辞めたよ。
なにしろ旦那様が発狂したからね。
昼間っから叫び声上げてたり、そうかと思えばうずくまってたり。
昼間静かだと思えば夜に包丁もって屋敷中徘徊したり。
使用人がどんどん辞めてくから、おかしいと思ったんだ。
それで、門番仲間も不安を感じたわけだ。
ちゃんと給料払ってくれるのか、とかさ。っていうかそれに尽きるな。
ここ、都会だから、他にいくらでも雇い口あるもんな。
え? 何でお前は辞めないのか?
別に…これといって理由はないな。
何か探せっていうなら…そうだな。残り一人が不憫だからだな。うん。
使用人がいるんだよ。一人。
大変だよな。あの旦那様の食事の世話から洗濯物。
全部、だもんな。屋敷の手入れまで手が回らないの、当然だよ。
俺も気がついたところは補修してるんだけどな。
ああ、そう。まだ旦那様が元気だったころだな。
俺が休憩しに、屋敷の中に入ったとき、お茶入れてくれたんだよ。
でも、俺の名前間違えてさ。
まあ、あの時はまだいっぱい人がいたし、一介の門番の名前なんて、把握してなくて当然だけどな。
俺がちょっとむすっとしたら、『ご、ごめんなさいっ』だって。
結構かわいかったかな。アレは。
あ゛? 違うよ。なんつうか…ほら。保護欲っていうか。
ああっと…それも違うな。
ほら。顔が赤らんでると、誰でもかわいく見えるだろ。
見えないって? お前はおかしい。絶対。
で、それ以来、ほとんどしゃべってないよ。
今は休憩の時間になると、呼びに来てくれるんだけど、ほんと、それだけだ。
その間、あの子が門番やるんだ。
誰もこないから良いけど、変な奴とか来たらどうするんだかな。
ちょっと心配。でも、まあ、ありえんだろ。こんな屋敷に。
それにあれだけ顔色悪いメイドが門に立ってるんだから、誰もこないって。
まあ、顔色悪いのは、仕方ないけどな。夜、あんま寝れてないだろうし。
可哀想じゃないかって? う~ん、俺の精神衛生上、我慢してほしいところ。
なにしろまともな人間と口が利けるチャンスなんだから。
『休憩ですよ』で、この世にいることを確認する感じ。
一人身だよ。あっちも。じゃなかったら辞めてるって。
俺じゃないよ! あの子のことだよ。
俺のちょっと後に入ってきたんだよな。年下だよ。間違いない。
顔? さっき言ったろ? 普通。ごくごく普通。
あ、でも、あれだ。ほら、なんつったっけ…。そう。そばかす。
そばかすがあるな。頬骨の上の辺りに。
ああ、思い出した。だからさ。あの時…名前間違えられたときにさ。
顔が赤くなってたのを見て、『あ、イチゴっぽい』って思ったんだ。
ほら。そばかすが種でさぁ。
は? あほなことぬかしてんじゃねえってか?
仕方ないだろ? そう見えたんだから。
でも、俺、イチゴは好きだな。うん。
え? 住み込みだって。部屋はいくらでも空いてるからな。
おい、にやけてんじゃねえよ。

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十年後。
屋敷の一室で、色白でそばかすのある少年が、色白の父親の手と、そばかすのある母親の手を引っ張っていた。