陛下と呼ばれる人間界の生き物は国王しかいないはず。
昔習ったから知っている単語だし、この先一生お目にかかることはなかろうと思っていた。
だってガードが固すぎる。
国内最高の魔法使いを筆頭に複数人が張り付いている状態なので、へなちょこフォニーの付け入るスキなどないのだ。
その国王陛下とやらが階下に?
なぜわざわざ直接話をする必要があるのかも疑問だが、そんな大ごとなのか…いや、大ごとだろう。
だって宴会ごときのくせに、実はよその国も巻き込んでいる。
魔王のご機嫌を損ねるなにがしかがあったりしたら、この世の終わりなのだから。
他国に開催情報が漏洩したら国際問題どころではない。
国軍の伝令とやらが来ていたのが前哨戦となる想定だったが、日がなくなってきたのか。
当日はまさか国王は来ないだろうが、今日来ているのはなぜか。
ごちゃごちゃ考えながら思い至ったのは、兎に角今フォニーが部屋を出るのは危険で、国王の付き人に混じった魔法使いと一戦交えないといけなくなって。
—————疲れるよねぇ。
そこそこケンカは強いフォニー。相手がベータだと絶対に無理だが、今日ここに引っ付いてきている魔法使いならイケるかもしれない。
だが無駄な労力。エネルギーを消耗するだけ消耗して、精力という実入りがないのだし、ほしい情報は取れなくなる。
聞き耳を立てる体勢にも疲れたフォニーは干してあった服とハンカチを畳みながら待った。
しばらくすると、また轍の音が聞こえだし、遠ざかる。
いなくなったか。
でも、全然動き出したい気にならない。ガス欠か。栄養ドリンク飲むべき?
モヤっていたらドアノック——前に手土産持ってきたときから二度目——。
ベータだとわかっていたが、フォニーは起き上がる気がなく放置していた。
するとドアは凄い速度で開いて、見るとベータがフォニーを思い切り睨みつけている。
—————何? 何来んの??
謎の構えで迎え撃つ姿勢のフォニーを見てベータは徐々に睨みの度合いを下げていく。
「国軍の伝令は復帰したそうだ」
ぽかんとしてしまったフォニーだが、
「そう。で?」
だってどうでもいいじゃないか。餌のその後など気にしたことは過去一度もなかったし、今もない。
ベータは何故がすっと普段の無表情に戻った。
「お前の顔は割れているが、説明だけはしておいた。
国の魔法使いからは攻撃されないようになったはずだ。だが、気を抜くな」
ベータはフォニーのことをだいぶ舐めているようだ。
確かにベータから見れば、さっきの魔法使いとフォニーは両方とも等しくミジンコレベルで視界にも入らないところだろう。
「気配を出さなかった方の魔法使いには気づいていないだろう」
「他もいたのね」
可能性を想像していなくはなかった。国王の護衛がフォニーレベルというのは情けないと思ったから。
気配を出さないレベルなら、フォニーでは太刀打ちできないこと請け合い。
でも、
「もう一人明らかに存在感あったほうだったらアタシと似たり寄ったりでしょ」
ベータが口をへの字にしたが、
「用心に越したことはない」
「そぉね」
といいつつ、やさぐれたい気持ちのフォニーは手元の畳んだハンカチを適当なところに放り投げようとして、やめた。
解決策はあるから。
やっぱりここも、『魔王の息子の同居人』としての地位を確立する他はない。
そんなのに攻撃したなんて知れたら…っちゅー理屈だ。
ケンカなどしないほうがいいのだから。疲れるだけだから。
フォニーの争う気のなさを読み取ったのだろうベータは、スタスタと踵を返して立ち去っていく。
もはやフォニーが息子の同居人になろうとしていることだってベータに筒抜けなのはわかっているので、伝える気もない。
が、ベータから特に言及がない。ここが気持ち悪いところだ。フォニーの考えに合意しているからだろうか。それとも。
夕食のときに色々今後の段取りを聞いたら、この後も盛りだくさんだった。
カレンダーには今朝なかった印がついている。魔界の使者・国軍がそれぞれ別日でリハーサルをやるらしい。
「なんで一緒にやんないの?」
「事前に戦を起こしたいか」
「ああ…」
魔王というトップ不在状態だと魔界の使者に国軍が歯向かってきたりする可能性ありということか。
納得したが根本解決ができない生き物同士。魔界の使者のうち人間を食う者もいる。
今は断食しているのかもしれない が、魔王だってその一人だったはず。
だから余計に、『人間との間との間に子供がいる』というのはすべての世界に衝撃を与えたのだろう。
生まれてきた息子自身は何が何だかわかっていないし——自分の製造プロセスも魔法陣で作ったと思ってたっていうわかってなさ具合——、実感を持っているのかといえば、フォニーが見る限り微妙。
頭の中が読めるという力を受け継いでいるから、生物として親であることは認識しているものの、人間の親子のような関係ではない気がする。
逆に魔王のほうは完全に親子認識しているらしいっちゅう…。
ここについても、すべての世界が衝撃を受けたはず。
フォニーが一般的な考え方のはずで、関係者にはぜひその宴会の時に聞いてみたいものだが、そんな暇はないだろうし怖くて聞けない。関係者=魔王の親族や側近たちだってこと。
栄養ドリンクを飲み干す。
多少ここ数日前と同じように栄養ドリンクを飲んでいるのに、前より体が全体的に楽になってきた。
フォニーとしては残念だ。たぶん、栄養ドリンクに慣れてきたのだろうから。
収穫を挙げられるようになりたい。
が、その前に宴会の準備をするのが先。
今日はもうおしまいの感なので、普段なら夜な夜な散歩でもするかというところだが、ベータには、
『目立つなよ』
と釘を刺されていた。
魔法で関係した人間は全て記憶から飛ばす想定とのことだったが、多少覚えているものもいたりするとのこと。
『アンタの目のそれとかモロじゃん。アンタこそじゃね?』
『人間には普通に見えるようにしている』
『魔法?』
こっくりと頷くベータだった。
『でも、この前来たゴミ捨ての人は大笑いしてたじゃん』
『術をかけ忘れて布を巻いたのだ』
夕食時の会話、以上。
どおりでクレアはさいしょから真顔だったわけだ。ゴミ捨ての人はあんまり見てなかったのを後から気づいたのかなとか、思っていた。
魔族はベータが魔王の息子だと知っているから、笑ったりとか絶対しないし。
トータルで大・大・納得。
でもフォニーのように、コイツが魔王の息子だと知らない場合はどうするのだろう。
—————そっか、知らないのは下っ端だけか。
上層部はみな知っているのか。
それに、ベータ自身も魔族相手でそれなりに渡り合えるレベルだろうから、下っ端が突っかかってきたところでフォニーと同じように瞬殺なわけで。
生まれ持った力と立場の大きな差を一生覆せない感がフォニーに苦しさと気楽さをもたらしていた。
でも、宴会を経由し、ベータと親しい同居人としての地位を確立し、魔王に殺されるコースを逃れられたら、この家を出してもらえるかもしれない。
前よりも元気になってきたから、ベータの謎の気遣いで家にとどめられることはない。
栄養ドリンク分だけ何かしら対価を出すことで、フォニーの独り立ち。
ベータに一生返せない借金でもしているかのような響きが凄く凄く嫌だが。
—————出口戦略も考えないといけない時期なのかも。
予定外の入り口から入ったトンネルの出口。
もしかしてそれが別のトンネルの入り口かもしれないことにまで思い至らずにウキウキのフォニーはだいぶ幸せであった。