ドラッグストアへようこそ 14

 使者が立ち去る足音を玄関まで追って魔界の門をくぐったら帰れるんじゃないかという希望よりも、見つかったときにぶち殺される恐怖が勝った。
 もう出てもいいでしょ、と相当時間がたった後にこそぉっとドアを開ける。ベータは階段を上がってくるところで。
 驚いたように口を開けている。やはりドアを閉める術をかけ忘れたのは間違いなさそうだった。
「大丈夫! 出てないし、話はな~んにも聞いてないから」
「魔族だろう? お前」
 信用してないということか。
 どちらでもいいが、階段の途中で一時停止されるのは迷惑なので、ずんずんとベータを見下ろしながら階下へと歩みを進め、近づく。
 ベータは足元を見ながら後ずさり、結局二人とも一階のキッチンへ。
 今日昼間に歯を見せてくれと言っていた時、ベータは寧ろもっともっとフォニーに近寄って見たそうだった。
 でも今は距離感を一定に保つため、するすると後ずさっていく。
「それさ、なんの距離?」
 この距離に、フォニーがだんだんむかっ腹経ってきているのは何でか?
 ベータも黙っている。フォニーと同じように自分の行動の理由が分からないのか、わかっていて黙っているのかは不明だが。
—————箒2ケツした時点で距離感もクソもあるかよ。
 ベータ的にはさっきまでしていた話の内容が距離感を保ちたい理由なのか?
「別にさぁ、あんたの近くに寄ったところでなんかうつるわけじゃないでしょ?
 離れたところでなんてことないじゃない?」
 ベータはダイニングの机の法まで後ずさっている。
「いや、距離が必要なことはある」
 明言するベータだが、壁際だ。この壁に魔法に穴をあけてまで後ずさる気はないようで、フォニーがずんずんそのまま進んで行くと、距離は詰まっていった。
「そ。で?」
 詰め寄っても、何もない。
 ベータはフォニーが『どうにでもなれ!』と思い始めて久しいことに気づいているからか、ここ最近攻撃をしてくる様子は見せなくなった。その例にもれず、今も完全に防戦の態勢。
「教えてよ、さっきのあの人なに?」
 だんまり。
 口をつぐんで、身を固め、肩も上がって。
 目をそらしながら、しどろもどろすることもできずにジッとしている。
「いえない?」
「いえない」
—————じゃ、いじわるしーよぉっと。
 フォニーはそっとベータの首筋に指を差し出した。
 身を固めたベータは、その指が首筋にあたるとビクリと小さく震え。あまりにもささやかで本人にもわかっていないくらいの震えがフォニーの中指に伝わると、わずかな温かさとともに、男たちの夢に入るときとよく似た悦びが湧き上がった。
「やめろ」
 と言いながら、フォニーの手を振り払うこともしないベータ。
「じゃ、教えて。あの人だーれ?」
 指をピタリと止めたフォニー。
「指を放せ」
「教えてくれたら」
 ここにきてようやくベータがフォニーの手を振り払おうとするも、フォニーはするりと羽ばたいて避けた。
「けち」
 再び距離を取ったが、ベータのメガネが少しずれているのが可笑しくて、
「斜めってる!」
 ベータがいつもとは全然違う慌て方で、あせあせとメガネを直し、まっすぐにした。
 そんなにあのおかしな金属製アイウェアが大事なのか? アイデンティティと一体化しているかのように大事そうに目に添わせるその姿。
 思い出せば、あの眼鏡(?)がずれたところは見たことがなかった。常時ずれないように気を付けている、つまり、ずれていることにこちらが気が付かないうちに毎回直していると。
「そんなにその眼鏡、大事?」
 ベータが少し肩で息をしているように見える。詰め寄った時よりもずっと焦っているような…。
「じゃー教えてよ。あの人誰?」
 ベータが首を斜め前に伏せていく。ゆっくりと沈むように動いているその様子から、今この魔法使いが相当に悩んでいることが伺え、フォニーは嬉しくなった。
「嬉しい! あたしのために悩んでくれて!」
「そういうわけでは」
「そういうわけでしょ?」
 フォニー自身、あんな不潔っぽい感じだった魔法使いが昨日水浴びしたようだというだけで、その素肌に触れて鳥肌が立たなかったことにびっくりしつつ。
 ますます楽しくなってきた。
「おーしえてっ!」
 まだ悩んでいるようだったベータは、観念したのか妥協点を見つけたのか、
「…わかった」
 ため息をついて、椅子に座ると、フォニーにも座ることを促した。
「あれは魔界の使者だ」
「うん。だよね。知ってる」
「…言ったな」
 聞き耳を立てた事実をゲロってしまったのは仕方なかろう。
「帰ってくるとき上からちらっと見えだけ」
 改めてため息をつきなおすと、
「マンドラゴラ一〇〇の瓶が割れてしまった話をしていたのだ」
「へぇ…で?」
「それだけだ」
 不満。マンドラゴラ一〇〇関連だったことは収穫ではあるが、
「魔界の使者があんたんとこに来て、マンドラゴラ一〇〇がどうなっているか聞きに来たのがなんでなのか知りたいの」
「それは言えない」
「どーして?」
 子どもの相手と草むしりで多少疲れた体に鞭を打ち、もう一声出してみる。
「だってそのうちわかるんでしょ? あたしここにいるんだし、このまま魔界にも帰れないんだし」
 ベータはまた落ち着いてしまったらしい。だんまりだ。
「わかった。じゃあ触ったりしないけど、ここに魔界の使者が来てたって話、クレアさんにするわよ」
「ああ。かまわん」
—————えぇ…てことは、もうクレアは知ってるってこと? まじか…。
「クレアさんにはどこまで喋ってるの?」
「魔界の使者がたまに来る、と」
—————まじかーーー……。
 これで言ったつもりなのか、それとも嘘なのか。クレアさんはどう解釈しているのか。
 悩んでいる間に、フォニーは新しい自分に気づいた。
—————あたし、こいつとコミュニケーション取ろうとしてる?
 詰めたらいけるというクレアのやり方とは違う方法で、何とかしようとしている自分をほめてあげたい。が、しかし。
「じゃ、」
 その隙を突いて、ベータはそそくさとどこかに引っ込もうとしている。
「ちょい待ち!」
 フォニーも立ち上がり、制するように前に回ろうとするが、出来ず。
—————こーなったら、視界をふさぐ!
 フォニーは羽ばたいて飛びあがり、ベータの目元を後ろから手で覆い隠した。
「お前!」
 ベータの声が上がる。
「へへ、じゃ、ついでに」
 金属製アイウェアを取り外し、フォニーの手元へ。くるりと後ろを振り返る。
—————『止めろお前! 返せ! 早くっ!』
—————焦ってる焦ってる。
 面白くてしょうがない。同級生にこういう意地悪する小学生いたな、と思いながら、
「どーしよっかなぁー?」
 ベータはずっと両目を閉じたまま。不意を付けたことが嬉しくてたまらない。手に持った金属のそれをくるくると回す。
「これ、そんな大事?」
 フォニーはいつも見ている目のほうをみて、
—————掛けるとどうなるかっ?
「やめろ!!」
 ベータが手を伸ばすのを見下ろしながら、眼鏡のつるをもって顔に当てた刹那。
 フォニーの目に焼けるような熱がほとばしり、目の前に火花が飛ぶような感覚に襲われた。