「ところでさ」
腹立たしい儀式が終わり、いつの間にか撤収作業を終えた魔法使いのあとに続いて家に入ると、机の上に何か置いてある。
色とりどりの布…でなはい。服だ。
「これ何?」
魔法使いは腑に落ちない顔をし、そのまま無言。
「服なのはわかるから」
—————あたしあんたと違って流石にそこまで阿保じゃないから。
「わかるなら何故聞いた?」
「もしかしてあたし用?」
「それ以外になんだというんだ」
なんだか気味が悪い。
「いいの?」
「着替えは必需品だろう」
—————コイツに着替えるって概念あったんだ…。
あんな汗びっしょり状態だったのに、魔法使いは服を替えようとすらせず、そのままローブで汗を拭いている様を目の当たりにしていたフォニー。
着替えはこの後何とかして自分で調達するしかねぇと腹をくくっていたところだった。
こいつが社会性をどこで身に着けたのか気になりつつ、『フク』だと言われたそれを指でつまみ上げる。
「貰いものだからな。お前のブラジャーと同じで何の仕掛けもない」
「うっせぇわ」
一段分積み重ねをめくったら下着が出てきた。
恥ずかしげもなく真顔でこれを準備しているのも、謎に身についている社会性の一環だとすると、ズレてるぞ! その社会性。
サイズも…んんん、ぴったりっぽ~い。分解するほど分析しといてボイン向けの持ってきてたら、死んでもぶっ殺すぞと思っていたが。
全体的にティーンエイジャー向けなのはもうこの際諦めることにした。
「汗流したい」
「川に行け。もう自分で行けるだろ」
ひとりでお遣いいけるでしょ、的な物言いにムカつきながら、それでも外出できる喜びが勝った。
正確には、『外出できるようになったらしい喜び』が。
—————ほんとに出られるんか?
フォニーはくしゃくしゃになった服を部屋に片付け、必要なものを一着だけ選び出し、そっと部屋を出て。
さっきまで攻防を繰り広げていた庭に戻ってきた。
ゆっくりと羽ばたく。
昨日までより力が湧いてくるような気がするのは、あの謎の魔法陣で痛みに耐えきったご褒美だろうか?
こんな空中高く浮かび上がるのは久しぶりなので、ゆっくりと羽ばたく。
徐々に家の二階の窓、屋根、結界があるはずの上空の境目が見えてきて。
何の抵抗もなくその境目を越える。
さらにさらに上空に映ると、向こうのほうに森から流れ出る川が見える。
フォニーが人間界に出てくるときにいつも体を洗っている川で、ここからもほど近い。そこに向かいながら、景色の代り映えのなさに、一周間しか経っていないと驚愕した。
—————なにせ濃かった。
この後もしばらく濃いーぃ感じなのだろうか。
森の変わり映えのないところで適当に体を洗い、拭きもせずに素っ裸でちょっと乾くまで待ち。
その間誰も来ない。この辺りはそうだ。魔物が出る。フォニーにはただの動物だが、人間には大変有害。だからこそ助かっていて、いつも体を洗うのに使っていた。
だららと過ごしながら、着る予定の服を見つめ、この出所を考える。
貰いものとのことだったが、あの魔法使いが人間関係を築けていることに、今更の衝撃だ。
しかも、魔法使いはここ数日着替えている由もなかったから、あの服とアブラギッシュな見た目のまま、新しい若い女の子向けの服を借りに行っても引かずに服を貸した相手。
もうそれだけで神。いや、それを良きものとするのは魔族的にどうかと思うので、魔王にしとこう。
服の貸主に想いを馳せながらやや大きめな上着を着ると、自分が思いのほか大きめな謎そのものに包まれていく気がした。
普段のフォニーのふくよりは布面積が多いので落ち着かないものの、一週間ぶりの行水でさっぱり爽快になり、脱いだ服も洗濯し。
乾かすのは家でやればいいや、と再び森を抜けて家に戻る。
向こうのほうに見える街がフォニーの主戦場だったのだが、そこに戻る気にならないのは、魔法陣から降りた後でかなり魔力が回復していたからだった。
なんでか理屈は謎過ぎる。栄養ドリンクとやらの効果もあったのか?
魔法使いの実力を知るために、これ、聞いておかないといけない気がする。
奏功しているうちに、一週間前にみたHOREKUSURIの看板の前に来た。
一応、正面から入ろうか。そう思って降り立ち、
—————ん?
ちょろっと看板の横らへんに小さく何かついている。ずずいと寄っていくと、フォニーにも読めた。
『さまざまな種類の薬の店』
注釈だった。さっきの魔法陣を降りた時とは違う方向に、全身の力が抜けた。
初日に魔法使いが『わかんないでしょ』といったフォニーの言葉にハッとした顔をしていたのは、本当に本当に、心からハッとしていたということで。
フォニーの改善提案を受け入れ、どこから持ってきたのかわからない板切れにとってつけの字を書いて、せっせと現看板のすみっこに釘で打ち付け、一仕事終わった後の魔法使いは満足気な口元になる、そんなショートストーリーがありありと思い浮かんだ。
こんなにアフォなのに、あんなに能力があるのが恐ろしい。
悪い方向に働いたら人間界が崩壊するのではないか。
実際、サキュバスを捕らえることができるとなると、魔界と争いごとになったときに先陣に立てるレベル。人間界の国家間の争いなどで暗躍も可能かと思う。
そんなのが、栄えているとはお世辞にも言えないこんな森の近くで、絶対流行っていない薬屋の主としてごそごそ暮らしている。
Hの字のところから順にポーズをビシビシ決める魔法使いを思い出し、店の入り口を開けると、カウンターに立つ魔法使いと目があった——ではなく、正確には眼が書いてある金属アイウェア上の目の絵とフォニーの目だが——。
雑多な薬と商品に囲まれ、ピタリと動きを止めてこちらを見る。
なんとなく黙っているのも何なので、
「た、ただいま…」
魔法使いはの目は動かないが、手元でせっせと何かしているので下を向いているのだろう。
脇を抜けて奥に入ろうとすると、今まで気にならなかった魔法使いの汗臭さが漂った。
フォニーがいままでてんぱり過ぎていて、汗臭さが気になっていなかったに過ぎないのでは? というフォニーの予想は当たっていたらしいと気づき。
これ以上気にならないうちにと、そそくさ部屋に戻って洗った服を干す。
自室の生活感が一気に増し、魔界の自分のねぐらを思い出した。
さっきその辺に置いて放置した服を箪笥にしまうと、生活感は増し増しで。
寂しい気持ちを紛らわすために、フォニーは窓をすり抜け屋根の上に舞い上がった。
座ると向こうのほうに夕日が見える。
沈みゆくそれとは逆に、フォニーは自分の体が活動時間帯に入っていくのを感じた。
一度眠ろう。一寝入りしたら、夜中になる。そうしたら、また久しぶりに街に出て物色しよう。
魔法使いの栄養ドリンクとやらに頼り続けるのは危険な気がしていた。
昨日の魔法陣にしても、痛みはとんでもなかったものの回復できたわけで。
このままいくと、フォニーは毎日いままでしていた努力と痛みを交換するように、完全に魔法使いの実験動物のままでいい気になってしまいそうだった。
だって、ここに来るまで毎晩毎晩、あの魔法使いに夢の中でやった努力を何人にもやって、事前に準備もして、あれもしてこれもしてという典型的な貧乏暇なし生活だったのだから。
一瞬のとんでもない痛みで魔力が回復するなら、そのほうが…。
—————NO! MORE! 怠け心! だってあたし、あいつのペットじゃないから!
自分で何とかできる、それが自立というもの。
屋根の上に体を沈み込ませ、埃っぽく何もない屋根裏を抜け、二階の魔法使いの部屋を抜け、その床を抜ける。
魔法使いが店じまいをするところに舞い降りると、魔法使いはフォニーを一瞥して台所に向かっていった。
部屋の構造は大体把握した。
明日からは、台所らへんと部屋の中らへんをもっと物色して、それと同時に、魔法使いが起きている時間内に魔法使いの行動観察をしないといけない。
—————早起きしなきゃ。
フォニーの今日の予定はこの時決まったのだった。