ドラッグストアへようこそ 8

「街まで行ってくるから」
 フォニーは自室に戻ろうとする魔法使いにすれ違いざま言いおいた。
 そうか、とぼそっと呟いた魔法使いは、そのまま興味なさげに——目元はいつも通りだが——部屋に吸い込まれていく。
 壁を抜けて街に飛び立ち、羽ばたきながらその様子を思い出し、フォニーは眉間にしわを寄せた。
 恐ろしいのだが、あのアイウェアは寝るときも着用しっぱなしなのだ。
 先日夢に入ったとき、夢の中でも装着中であることに面食らったのだが。
 もう何年もあの金属の目を付けていない状態の自分の顔を、鏡で拝んでいないということ。
 でないと無意識にあの顔は出てこない。
 まともに水浴びもしていない様子だったから、水面に映った自分の姿を見る機会すらないだろう。
 フォニーのように見た目が大事な夜のオシゴトからは考えられない。ずっとあの調子で籠り切りか。
 まあ、魔法使いが見た目を気にするようになったら驚きだが、せめて週一回以上の洗濯と水浴びはしてほしいものだ。
 あのローブが風に靡いたら、ローブから出たオーラ(?)で何かしら悪いものがフォニーに憑く気がする。魔族でもそんな気になる。
 ちらほら街明かりが見えてきた。
 フォニーの狩場で、先日の嗜好変更したあいつとか、取りつく島もなく嫁のことしか考えてないお幸せな家具職人とか、妻と愛人と愛人と愛人と愛人のいる生活に飽き足らず別のサキュバスに取りつかれていた商人とか、強盗で一山あててオネーチャンと遊び回ることを妄想している木こりとか。
 思い出しても多種多様な欲望丸出しの夢の中は、先日の魔法使いの真っ黒な夢とは対照的で極彩色にあふれていた。
 一晩にトライするのは多くて二人が限界。あとは物見遊山に終わるのが関の山だ。新規開拓には時間がかかる。
 となると、強盗で一山あてる妄想をしているものの、計画には踏み切れず、表面的にはいつもいい人のあの木こりにしておくか。
 嗜好変更したあの野郎とは違い、いろんなオネーチャンとお知り合いになりたいという様子だったから、今日はフォニーのような女にしとこうかと思ってくれていれば首尾よく運ぶ。
 下調べできていないから運任せだし、この後毎晩サーチに来ることはできなくなるだろう。
 卒業前の一仕事のつもりで、ボロい宿の一階のすみっこにある木こりの部屋に滑り込んだ。
 木こりはすでにベッドにうつ伏せに横たわり、大きく開いた口から思い切り涎を垂れ流して眠りについていた。
 部屋の様子も今までと変わった様子はなく、仕事の道具とわずかばかりの金が転がり、毎晩習慣的にちびちびと口を付けている酒の瓶がそっと大事そうに置かれていた。
 この様子なら、女ができていることはなさそうだ。
 枕元に立ち、魔法使いにそうした時のように頭の中にそっと手を差し込んでいく。
 暗い通路を抜けて、明るいところへ。
 木こりは仕事をしていた。夢の中でもだ。
 黙々と木の根元にのこぎりを当て、ゴリゴリと削っていく。
 木は倒れ、他に何もないところにごろりと横たわった。枝も落してすっきり。
 この流れが、超高速で行われている。瞬きするうちに2本、3本と切り倒す。
 夢だから。
「超はや」
「マジパネーッ」
 真面目に働いて稼ぐことにしたのか、今日は仕事でいいことあったのか、やたらほめちぎられている。声援にこたえる顔も現実の何割増しかイケメン化しているではないか。
 フォニーはにやりとした。
 強盗に入って女を侍らせるなんてチープな妄想を抱えていた前歴がある木こり。この展開で登場人物が野郎ばっかりのはずはない。
 他の女が出てくる前に、フォニーはサッと姿を人に変えた。
 若い女、それもよくいる街娘の装い。夢の中でフォニーは変幻自在なのだ。魔法使いの時は、それどころではなかったが。
 取り巻きを装い、木こりに近づく。
「すごぉ~いv」
 多少誇張し、色を混ぜた声音で男に近寄る。
 この木こりはこのぐらい大げさにしておく方が喜ぶから。
「へへっ、そりゃどーも」
 振り向きもせず、木こりは高速で木を切り倒していく。もう辺りが林から平地になりそうだ。
 ふぅ、っと息をつき、汗をぬぐう木こりの腕に寄り添い、フォニーはしなだれかかった。
「ねぇ」
 木こりが動きを止める。
—————よしきた!
 女として意識されているからだ。興味がない場合、フォニーはいないも同然に木こりは仕事を続ける。
 押せばいけると踏んで、もう一押しした。
「あたし、出来るヒトって好き」
 そっと二の腕の筋肉に指を這わせる。
 瞬間、ふわりと男の欲望が上がってくるのを感じた。
 そのほんの少しも逃すまいと、フォニーは色もにおいもなくフォニーにだけわかるその何かを吸い込む。
 わずかな潤いに、フォニーはますます乾きを感じた。
—————焦るな。
 そっと木こりの体に手を回そうとしたときだった。
「いや、お嬢さん、そりゃいかんぜ」
 木こりから欲望の色が消えて、別の何かに差し変わった。
「どうして?」
 ジッと上目遣いをする。フォニーは目力はあるほうと評判だった。胸があるとここでもう一押しできる。
 が、それ以前に、今日の木こりはどうも変だ。表情が嫌に澄み切っている。
 いかんいかんと繰り返し、仕事を続けだした。
 すると急速に、木こりの夢の中で日が暮れだし。
 いまいち腑に落ちないフォニーは、木こりが仕事の道具を片付ける、その傍らでもう一度アプローチをかけることにした。
「ねえ、あたしじゃ、だめ?」
 ペロリとわざと舌を出して唇をなめながら木こりの前に滑り込み、手をそっと胸板の辺りに渡そうとした。
 頑健な見た目の木こりは、そんなフォニーを、今度は欲望の香りすら出さずに
振り払った。
「ああ、あんたじゃだめだ」
 そういってまっすぐ仕事の道具を担いでどこかに向かっていくではないか。
 まさか別のサキュバス? でもそんな気配なかったよ~?
 フォニーは場面が切り替わるのを待った。
 夢の中では普段の様に悠長に移動などしない。街まで戻るのも一瞬だ。
 出てきたのは居酒屋のような…いや、これ、オネーチャンが接待してくれるお店じゃないか。
 何人もの男女が歓談する中、木こりもスピーディにテーブル席についている。
 垢ぬけない服装の木こりは明らかに浮いているが、ひとりの女性が出てきたところで木こりの表情がにへらっと歪んだ。
 可愛いか? 美人か? と聞かれるとう~ん好みによる。スタイルは? う゛う~ん…尻がでかいが胸はそこそこウエストもそこそこ…。
 そんな女だが、木こりは全く意に介さない様子でその女性の肩を思いっきり抱き寄せている。
「ねっ! ちゅーしよ、ちゅー」
 ち゛、ち゛ゅーーー!!!
 蛸、いや今まさに血を吸おうとする蚊なんじゃないかと思うぐらい男の口元がとんがって、変な音を立て出した。
 木こりと彼女。
 現実にこういう店に勤めているのか、夢がこういうシナリオなだけで違うのかは不明だが、バカップルの様相はコミカルすぎ、フォニーが割って入る隙はなさそうだった。
—————もーやだコレ。あの部屋だったのは女できたの最近だからかぁ…。
 たまに女っけがない男にリアルで女ができたりすると、おかしな夢が出来上がる。本人には至って幸せなワンダーランドなのだろうが、見るに耐えない——夢だから当たり前か——。
 家具職人など嫁や特定のパートナーを溺愛している場合も、大概夢の中の溺愛は度が過ぎていた。
 不思議なことにサキュバスに対しては、鼻の下が伸びているのがわかる状態にはなるものの、あそこまでおかしくなることはない。
 現実の延長で現実にはできないあれやこれやのほうが、夢の中限定特典よりも魅力的なのだろう。
 夢から覚めると、このボロい部屋という現実が待っているのだから。
 木こりの部屋を出たフォニーはその夜、愛人のいる商人のところに寄り、妻を溺愛する家具職人のところをちょっとだけ覗いた。
 こちら二人は何の代り映えもなく、今は間に合っているとばかり。フォニーには目もくれなかった。
 だから、あのほんのちょっとの木こりの情欲を収穫に、街を出る羽目になった。
—————足りない。全然足りない。