ドラッグストアへようこそ 6

 フォニーは魔法陣の中心に飛び乗った。
 罠かも? とか、何も考えなかった。
「で! あたし、なんかすることあんの!?」
 踊るとかしゃがむとか。
「いや、特にない」
「マ~ジ~でぇぇえ~~(リズミカルに)」
 歌い上げてしまった。無茶苦茶楽ちんではないか。なにかの罠じゃないか? もう罠でもいいか。
 フォニーがニコニコルンルンな気持ちに満たされ、その場を飛び跳ねていると、魔法使いは不穏な一言をつぶやいた。
「お前が持てば、だがな」
 フォニーが『ちょっ!』と言うのと同時に魔法使いが何かの呪文を読み上げ始める。
 フォン、ごおん…と、魔界でも地上でも聞いたことのない不可思議な音が、フォニーの鼓膜が破れるかと思うくらい強く響き渡って。
「あ゛ぁァあ゛ア゛ア゛ア゛!!」
 全身に数秒、激痛が走り。
 その後延々と続く奇妙な圧迫感。
 目の前にはショッキングピンクの魔力の波が広がる。
 苦しさは皮膚からフォニーの中にしみわたり、中にあるなにかを染め上げていく。
「うっくぅっ…!」
 とくに左手の甲は焼けるようだ。
 かろうじて魔法使いのほうに顔を向けると、汗びっしょりだ。
—————キモイ…!
 土気色の顔。脂ぎった髪。魔力から湧き出る風に吹かれて後ろに靡くフード。それで隠されている部分が露わになっているのだが。べちょべちょ感のある髪は魔力から湧き出る風に吹かれてもなかなか靡かない。
 フォニーには、こんな状況なのにそんなことが思い浮かんだ。生きているってそういうことなのか。
 命からがらでも、生理的にキモいもんはキモい。
 あれと同居しているのだフォニーは!
 その魔法使いの手からなにか、紙っぺらが投げ入れられる。
 それは魔法陣のショッキングピンクに溶け込んで、同時にそこから周辺が緑色に一気に変色した。
 そして、魔力も、魔法陣もすべて消えて、何事もなかったようになった。
 ゼェゼェと魔法使いが息を切らしているのだが、フォニーは、
「生きてる!」
 凄いぞ。あんな痛かったのに、死んでない。
 と同時に、魔法使いに文句言いたい気分でいっぱいになってきた。
「あのさ、めっちゃ痛かったんだけど!」
「そうか」
「で、これで外出れるっちゅわけね」
 魔法使いは汗をローブでぬぐっている。汚ったなぁ…と言うのを押し殺すフォニーに、
「ああ、魔界はむりだがな」
「え?」
「ここから一日で戻れる範囲なら外出できる」
「じゃなくって、続きのほう」
「魔界は無理だ」
 左の手の甲の、あの痛み。
 思い出したフォニーは、サッとそこを見た。
 魔界の通行証が消えている。気力を絞っても絞っても通行証の紋が浮かび上がらない。魔法使いを睨みつけ、
「待ってよ!! あたしこれじゃ帰れないじゃない!!」
「そうなのか?」
「そうよ!! だってあれ、魔界で付けてもらってんのよ!?」
 魔界に入らないと手に入らないのに、魔界に入れない。他の人と一緒にキセル入界などできない。システマティックにその場で八つ裂きになる。
 ぎぃゃぁああアァ…
 想像してしまった。
 同時にフォニーは、自分が痛みに耐えたことで、魔法使いと同じように汗びっしょりで、全身ぐっちゃぐちゃになっていることに気づいた。
 おそろいだ。
「もーーやだぁーーーーーーーー!!!!」
 フォニーはその場でへたり込んだ。耐えられなかった。
 どうすればいいのか。もうどうしようもないではないか。このまま人間界で、この頭の可笑しい魔法使いに飼われて雑用し続けるしかないのか?
 死なない程度に栄養ドリンクは効いている。
 魔力は吸えないから全快にならない。買い物も行けない。魔界の友達にも会えない。キモイと思った魔法使いと、たったの1週間でペアルック状態の汚さになったこの身なりで、服の替えすらない。
 自分に郷土愛はないと思っていたフォニーに、懐かしい風景と顔がつぎつぎと浮かんでは消え、浮かんでは消えしていく。
 魔法使いはそんな涙するフォニーに、そっとハンカチを差し出した。
 フォニーはその手を思い切り振り払う。
 気持ち的にも衛生的にも、使いたくないし触れられたくないし寄ってきてほしくない。
「ぐすっ」
 鼻をすするフォニーを前に、魔法使いはどんな顔をしているのだろう。
 その場を動く気配はない。
 フォニーはその気配を感じるのすら嫌だった。折角浮かんでいた懐かしい風景が、魔法使いの気配で押し消えていくようだったからだった。
「あっちいってよ!!」
 魔法使いをにらんで泣き叫ぶ。
 これじゃ爪を立てる猫だ。
 魔法使いの金属に覆われた目も、その汗ばんだ顔も何も変わらない。匂ってきそうなキモさだけが漂っている。
 ゆっくり、ゆっくりと魔法使いが遠ざかっていくのがわかる。
 ポケットに入っている自分のハンカチ。
 何日もポケットに入りっぱなしで衛生的とは言えないかもしれないそれで涙を拭き、思い切り鼻をかんだ。それをゴミの山に放り投げる。
 さっき魔法使いが差し出したハンカチは、白くて綺麗で、レースの飾りがついていた。しかも高そうだった。
 今フォニーが鼻をかんだやつよりよっぽど。
—————なんなの!? あいつ!!! 馬鹿にしてんの!!?
 儲かってなさそうな薬屋の主ではないのか? どこからあんな高級品を買う金が沸いてくるものか。
 家に帰る道筋もたたれ、隙間が空ききったフォニーの心は復讐心に満たされた。
 元はと言えば『HOKEKUSURI』なんてあんな紛らわしい看板で商売するほうが悪い。
 マンドラゴラ一〇〇の瓶にしても、大事なものならすぐに大事に仕舞えばいいのに、持ってきてポンと机に置いておいた方が悪い。
 取り立てても絞りようがない弁済なのだから、フォニーのことは見逃してくれればいいのに、ここに捕らえるのが悪い。
 みんなみーんな、あの魔法使いが悪いのだ。
 フォニーの腹は決まった。
—————あいつのいっっっちばん大事にしてるもの、見つけてぶち壊してやるんだから!
 ただ、それには時間が必要だ。
 なぜなら実力差は明らか。フォニーの得意分野(?)の色仕掛けは通じない。
 ならば、死ぬ気&一撃必殺でやらないといけない。
—————綿密な調査と計画が必要ね。
 先日の突発夢旅行ではなく、もっと長期的に考えなければ。
 庭からドアを抜け、家の中に入ると、魔法使いの姿は見えない。水を張った盥と、ハンカチが机に置いてあるだけだ。
 盥で顔を洗い、残った鼻水も適当にかむと、フォニーはその水を庭にぶちまけた。
 とりまスッキリ。
 両手で両方の頬を思い切り叩く。
 まずは草むしりから、とのたまった魔法使いだったが、
「まずは、日々の観察からよ」