昼と夜のデイジー 51

メイド長はタオルをずらし、同時にデイジーの両頬を片手で掴んだまま強く握った。
指が頬に食い込み、自然、口が開く。
当然大きな声は出せない。
─────もう一回、何とか呼び鈴を鳴らせれば。
それか何でもいい。
大きな音でも出せれば。
あいにく机の上にはノートなどの小物文具しかない。
「まずはお薬、で、お水ね~」
おそらく外のヤマダを意識してだろう。
声が少し大きく、穏やかに子供に言い聞かせるような口調。
でも今デイジーの目に映るメイド長の手首には血管が浮かび上がっている。
届くか?
あえて動かず、じっとする。
一瞬だ。
大丈夫、やれる。
メイド長の手が、薬の封を開こうと動く。
─────今。
集中力がデイジーの口を抑える手ではなく、薬の封を開く手に移った瞬間。
メイド長のポケットのほうに、思い切り手を伸ばした。
手を上から差し入れる。
─────取った!
ベルの持ち手の感触は慣れたあの手触り。
腕を引き、全力で振った。
リンリンリンリ…
ガツ!!
「お嬢様!!?? ああ!! そんな!! どうしましょう!!!」
『うっかり目を離した間に容態が急変した』かのように叫んだメイド長はデイジーの手を振り払い、デイジーの頭を抑えつける。
薬包みは机の端に飛ばされ、机上に粉末が飛び散った。
刹那、メイド長が振り返る。
メイド長の瞳は間違いないく、デイジーがメイド長の肩越しに見ているのと同じものを見ていた。
ヤマダはメイド長の腕をつかみ、引き、そしてもう片手も抑えると、その手首に手錠をかけた。
「暴行、および傷害未遂だ。
まずはな」
「なんなの!
 どうして!?
なんで部屋の中にいるのッ!??」
メイド長の金切り声がデイジーの部屋に響き渡った。
呼吸を整えながらデイジーは恨めしく水差しとコップの水を眺めた。
ものすごく喉が渇いているが、そこの水は絶対に飲めない。
頑張ってつばが出ないかと口内をもぞもぞと動かす。
「いつ気づいたんですか?」
落ち着き払った様子のヤマダはデイジーにとって付けたように確認した。
「…今日の昼間ですわ。
メイド長が怪しいことを誰かに伝えられないかと思って。
最初はあなたも怪しいと思っていたんですの。
魔力波動がわかって、錠前外しができて、警察署内の部屋の場所を把握してるボディーガードって変だから。
 でも、ドルが特殊捜査の人が入ってるって言ってたでしょ?
 あたな、私に危害を加える様子はなさそうだったし。
 決め手は父親の部屋の仕掛けが開くタイミングが良すぎたことね。
 どうやったのかまではわからないけど、ヤマダから直接警察に情報が渡ったんじゃないかしらって。
だとすると、今までの言動なんかを考えると…もしかしたらって」
「それだけの根拠でよく賭けましたね」
ぼそりといったときには、もう父親含め何人かが集まっていた。
ヤマダがメイド長のしようとしたことを説明する。
デイジーの両頬、メイド長が指で抑えつけたところが赤く腫れているので少なくともデイジーが被害者らしいことは即座に分かったとみられる。
「お前、どういうことだ」
父親もヤマダの素性はわかっていなかったようだ。
ヤマダを睨みつけている。
メイド長は時折暴れて逃げようとしているが、その甲斐空しくヤマダは不動だ。
その手錠についた鎖を、もう一つの手錠で自分の手首にくくりつけた。
ガンガンガン
玄関のほうから大きな物音。
即座に召使いが階段を駆け上がってきた。
「旦那さま、グィーガヌス刑事が」
「…あけろ」
早すぎる。
いぶかしむデイジーの上目遣いにヤマダは察した。
「お嬢様から『お願い』をもらった後、協力者に一言しまして。
近くに待機させておりました。
お嬢様が窓のカーテンを開けてくださったので、そちらからも目視で状況は確認済みです」
ヤマダは一度もドアの前から離れていないと思う。
とすると召使いの中にもう一人警察関係者がいて、常時ヤマダの伝書鳩をやっていたということか。
誰…? ああ、そうか。もしかして。
旅行についてきたあのメイド。
見ればグィーガヌス刑事の横で話をしているではないか。
デイジーは自分の想像がまだ足りていなかったことがちょっとだけ悔しい。
そういう内訳がわかったというのに、グィーガヌス刑事の笑顔はやっぱり不気味に見えた。
「『ヤマダ』捜査官、ありがとうございます」
「もともとはこちらの案件だ。
 むしろ悪役に徹してもらって助かった」
上下関係的にはヤマダがグィーガヌス刑事より上らしい。色々気になる。
「あの机上の粉末とあの水ですね」
「…ええ」
事前にデイジーがヤマダにお願いしたことは3つあった。
一つは、呼び鈴を落とす音がしたら、そっと聞き耳を立ててほしい。
二つ目は、そのあとタイミングを見てこの前やったように鍵を開けて──多分かかっているから──、話の内容によってはドアを開けて様子を見てほしい。できるだけ音もなく静かに、部屋の中の私でさえ気づかないくらいに。
三つ目は、呼び鈴を鳴らしたら、部屋に入ってきて。
鍵を開けるときは流石に物音がするだろうと、デイジーは適当なところで話しながら手元をあさって証拠品を取り出す振りをして音を立てていたのだった。
目の前ではそのダミー証拠品ではなく本当の証拠品として、薬やら水やらを警察が採取している。
ドルの容疑が晴れるその足掛かりができ、一つ済んだ。でも、
─────まだ、あるのよね。
デイジーは父親を見た。
浮かない顔だが、落ち着きがないというわけでもない。
こんなのでも親、自分の生活の下支えをしている。
逮捕ともなればデイジーは生きていけなかった。
「お嬢様はこちらへ」
グィーガヌス刑事とペアを組んでいた刑事はデイジーを別室に誘う。
父親、母親と、私、そして刑事数人がいる部屋で、デイジーに運ばれてきたのは紅茶だった。
「外で先ほど茶葉と水を購入したものですので安全間違いなしです」
湯気の立つそれを一口。
─────マズい、マズすぎる。
ぬるい。
しかも色が濃いわりに味も香りも出ていない。
白湯とさほど変わらないんじゃないだろうか。
これを紅茶というのか?
淹れ方の問題ではなく、茶葉の問題だと思いたい。
こんなひどい飲み物があるとは。
ドルが淹れてくれたのが懐かしいけれど、今はこれが安全の味なのだと言い聞かせて喉を潤す。
母親と父親も同感のようで、デイジーと違って喉が渇いていない二人は一口だけ口をつけたあとカップの取っ手に触れようともしない。
二人とも仲が悪いのかいいのか、またしてもこんな有事に相似形のようによく似ている。
これが崩れることが今後あるんだろうか。
こんなことがあったからには、取り調べは緊急性を増して進められるだろう。
今までなぜかちょっとだけワクワクしていたデイジーは、ここにきてようやく本当の意味で不安を感じ始めていた。