昼と夜のデイジー 50

─────父親と母親の両方が同席しての夕食なんて何年ぶりだっけ?
この後の予定の前哨戦のように思える沈黙。
直近の父親との夕食も喉を通らなかったが、今回もだ。
夕食の前、出される食事になにか盛られている可能性はないだろうかと考えたが、先日の夕食と水の件を思い出し、母親と父親がいるしと言いきかせ、多分大丈夫と口の中のものをなんとか飲み込むデイジー。
食べなかったら食べなかったでメイド長がさらに疑念を深めるだろうから。
母親も父親もそんなデイジーの小食ぶりは、いつもどおりの体調の悪さから来るものだと思っているようだった。
というか、二人とも多分自分のことでそれどころではなさそう。
前にこういう機会があった時は、なおざりではあるもののそれなりに会話があった。
黙々と集中して食事のために手を動かす様は、あんなに不仲なのに何故か似通っている。
日中の状況はヤマダ伝てに聞いた限りだと、父親の部屋に入る事があった人間は一人もいないので、やはり父親が最有力容疑者になっているそうだ。
とはいえまだちょっと弱いため、事情聴取は後日。
そしてデイジー・母親・その他召使いの中に手引きしたものが居る可能性も踏まえ、全員に再度事情徴収がなされる予定とのこと。
「ごちそうさまでした」
食事を終え、全員がばらばらに席を立つ。
食卓の片付けを取り仕切るこの後の大敵の姿。
それに背を向けて階段を登る。ヤマダが直ぐ脇を陣取った。
二階のデイジーの部屋の前。
デイジーはヤマダに三つお願いをした。
ヤマダは少し渋ったが、
「…わかりました」
デイジーはこの返事から夕方に浮かんだ考えを確信に変えた。
─────やっぱりヤマダは…
部屋に戻り、改めて体温を測る。
昨日から食事食前の変化はなし。
薬の前後も変化なし。
次にメイド長が持って来た水を飲んだら、その後でまたメモをとろう。
もちろん、取れる状況ならだが。
呼び鈴につかっているベルをできるだけベッド脇の棚の手前に寄せる。
まだ伏せるには早いので、机に向かっているような振りをすることにした。
カーテンを開けると、外はもう暗かった。
あの小さい頃に見た夢の少年が飛んでいそうな、月明かりに照らされた夜。
カーテンは念の為空けておくことにした。
教科書とノートを開く。
今日このあとが上手くいけば、ドルの薬物取引の容疑が晴れる可能性が出る。
深呼吸は緊張を加速させるだけだった。
ドアのノックが聞こえる。
聴きなれたリズム。
「どうぞ」
椅子から立ち上がり、ドアを向く。
「失礼します」
メイド長はトレーにいつもどおり水差しと薬を載せていた。
後ろ手で器用にドアを閉めている。
そして器用に、何故か、内鍵をかけた。
音もなかった。
─────来た。
立ち竦むデイジーに着席を促し、水差しと薬をベッド脇に。
「こっちに置いてもらえる?」
デイジーはその水差しを机の上に置くように指差た。
「え? ええ…かしこまりました。
勉強ですか?」
「ええ。そうなの」
メイド長は呼び鈴共々ベッド脇から学習机に運んだ。
「呼び鈴はいいのに」
そう言いながらデイジーはそれに触れた。
が、呼び鈴はデイジーの手からつるりと床に落ちた。
音が鳴る。
「ああ、いけない!」
「ふふ、お手元にあった方がいいでしょう?
勿論私がおりますので今は必要ありませんけど…」
穏やかな笑みのメイド長はそれを拾い上げた。
そして水をグラスに注ぐ。
前に持ってきて置いてあった水差しからではなく、今持って来た水差しから。
「メイド長、お水は今はいいわ」
「え? なんでです?」
「喉乾いてないし…」
メイド長は不安気にかぶりを振っている。
「いけませんよ。お薬があります!」
息を吸いこむ。
息を吸いこむ。
息を吸いこむ。
三回吸い込んで、決心が付いた。
大量の空気をはきだす為に、デイジーはその言葉を大きな声で口に出した。
「お薬、やめてみたいの!」
メイド長は目を剥いて息をのむ。
「ああ…そんな! そんな…そんなことしてはお嬢様…」
メイド長の狼狽──なんだろうか?──を遮るように、はっきりとデイジーは続ける。
続けながら、机の中や引き出しやらを、がさがさと漁った。
「しばらくね、体温を自分で取ってみたの」
メイド長はピタリと動きを止めた。
デイジーの手の動きは止まらない。
ノートと、ペンを取り出し、机上へ。
バサバサと音を立ててページをめくっていく。
「食事前後と、お薬の前後、お水を持って来てもらって飲んだときなんかにね。
そうしたら、おかしなことがあったの。
持って来てもらってすぐのお水を飲んで、あのお薬を飲んだときだけ、体温が急に下がってたの」
あたかも長いこと計測をつづけたかのように装う。
メイド長は瞬き一つせず、薄らと唇を開けてデイジーを凝視している。
「もしかして、もしかしてなんだけどね。
冷たいお水に、なにか特別な薬なんかが混ぜてあって、それと一緒に普段のお薬を飲むと何時もと違うことが起きたりするんじゃないかと思ったの」
メイド長は首を横になんとか振っているが、『あ、それは、えぇ…』などと言葉を紡げていない。
デイジーは手元の動きを止めた。
「おかしいわよね。
だって、お水はいつも、ただのお水だって言って持って来ていただいてるんだもの。
お薬が入っているのなら、そのように私に説明があるはず。
お薬を飲まなかったりしたことは一度もないから」
静まり返る。
メイド長は言葉を発するという試みを断念したようだ。
完全に目が泳いでいる。
─────さあ、いこう。
デイジーは勢いを落とさずに続けた。
「それにね、この前も、今もそうなの。
微温い水でって用意してもらってるのがいつもなんだけど、なんで…新しい水差しから水を?」
急に。
メイド長は意を決したように大きな声になった。
「お嬢様! いけません! そのようなことは!
お薬を飲みたくないからって、おかしなことを!!」
そのままデイジーの方に直進する。
「今日もお身体が優れなかったのを、我慢なさったのですね!」
理科の授業で確かドルが言っていた。
生き物は興奮すると瞳孔が開くと。
今、メイド長の目の真ん中の真っ黒なところは、デイジーを丸ごと飲み込みそうなぐらいに広がっていた。
興奮した口調と興奮した目。
でも、表情は冷徹を絵に書いたようで。
言っていることと表情が全く一致していないその様。
叫けぼうとしたデイジーの口は、メイド長の持ってきたタオルで塞がれた。
デイジーは何とか手を伸ばす。
その先にあるのは呼び鈴。
─────もうちょい…!
メイド長はその手首を片手で押さえつけた。
この家の主の留守中を取り仕切っている人間の力に、若いとはいえ伏せりつづけて椅子より重いものなんて持ったことがないデイジーが敵うはずもない。
振動で呼び鈴は机の上でちいさくリンと音を立てて横倒しになった。
メイド長はそれを空いているもう片手で自分のポケットにしまう。
「お嬢様、呼び鈴を机においておくのは矢張り宜しくありませんわ」
デイジーの耳元でメイド長がささやくと、今までに感じたことのない嫌悪感を伴う悪寒がデイジーを支配した。
「お嬢様、知らないほうがいいことがあるものですよ」
メイド長の手は止まらない。
「なんで気づいてしまうのですかねぇ…。
 万が一旦那様に伝わったら私は例のお仕事『クビ』になってしまうし…。
もうこれしか、方法ないのよねぇ…」
穏やかな声音で、しかしデイジーの口を押えたまま机と自分の体の間にデイジーの体を挟み込み、動きを抑える。
もう片手は手際よく薬に。
「大丈夫ですよお嬢様。
 死にはしません。
 ちょっとこの先、体をまともに動かせなくなるだけですから。
 喋ったり手を動かしたりできないだけ。
 今までと、そんなに変わらないでしょ?」