グィーガヌス刑事らがデイジーにとっては予定調和の流れで父親の書斎を調べ出すと、召使いらは一時騒然となった。
中には今後の身の振り方を考え出した者もいたようだ。
それはそうだろう。
勤め先の主が逮捕でもされたら? 自分に濡れ衣が着せられたら?
立場の弱い人間が未来を憂う種はわんさかあった。
母親は自分が触られたくない室内のあれこれを守るのに必死。
父親は部屋に立ち入られたことに加え、慌てふためく周りに対しても辟易した表情だ。
メイド長はきょろきょろとあたりを見回し、落ち着かない様子で落ち着かない召使い一同をなだめているように見える。
が、時折デイジーと目が合った。
デイジーはそんな様子を冷めた目で眺めながら、当の父親とメイド長のこのあとの動きを考えていた。
残念ながらデイジーの予想通り、あの後体調は変化なし。
メイド長が水に毒を盛ったのはほぼ確実となった。
じゃあ、警察に伝わるように、父親かメイド長の挙動を知らせるにはどうすれば?
傍らのヤマダはそんなデイジーの内心を知ってか知らずか佇んでいる。
そもそもデイジー自身もグィーガヌス刑事には疑われているわけで。
そのデイジーが何を言っても聞いてくれるとは思えない。
メイド長と同じくらい、グィーガヌス刑事とも目が合う。
今日この仕掛けはデイジーが開けたのではと疑っているに決まっていた。
ヤマダが開けたのだろうと思っているのだが、開ける意味も分からない。
この後おそらくこの仕掛けの周りに刑事が張り込むなどするのではないだろうか。
デイジーの予想通りなら、薬物の取引とやらはメイド長か父親からの情報でしばらく停止されるか、場所を変えて実施されることだろう。
だから薬物の取引現場を押さえるのは難しく、警察も一応は張り込むけれど~といった体になる。
要は大々的に踏み込んだことで本筋の捜査としては動きが取れなくなってしまったのだ。
一方、父親とメイド長は違う。
おそらくだが、メイド長もグィーガヌス刑事同様、仕掛けはデイジーが開けたと思っているだろう。
これまでいたずら三昧だったわけで、錠前外しくらいできるかもと疑っていること請け合い。
そしてデイジーが他にも色々知っているかも、刑事に話すかもと思っている可能性も大だ。
この屋敷の人間が認識しているデイジーは、ドルが思っているほど『色々わかっちゃうデイジー』ではない。
こんな年なのにいたずら好きの令嬢で、最近ちょっとしおれているだけという感じ。
だったらやっぱり、いや絶対、こういう時は馬鹿正直に喋ると思われているはず。
父親は?
メイド長が毒を盛ったことを鑑みると、メイド長単独犯か、メイド長と父親がグルかという二択。
メイド長と父親がグルだったとして、メイド長は書斎の仕掛けを開けたのがデイジーであると、父親に伝えるだろうか。
いや、伝えない。
父親はデイジーがからくりをあれこれしているのは知っているが、簡単な錠前外しまでできるのは知らないはずだ。
仮にそれを知っていたとしても、あそこの鍵の難易度ならちょっとやそっとじゃ開けられないのも知っている。
父親がメイド長に仕掛けの場所を教えているとは考えにくい。
だから、父親はメイド長がやったとも思わない。
そうすると?
デイジーが何かした=デイジーごときが策を弄することができた、ということ。
つまりヤマダの失態またはメイド長の失態になる。
父親の性格だと、どっちもクビ。
メイド長に関しては秘密を知っているわけで。
小説みたいに暗殺か、はたまたスケープゴートとして薬物取引の全部の罪をかぶせて警察に突き出されるというのがあり得るオチだった。
だとすると次にメイド長がとる手は。
デイジーに汲んできたあの水が毒入りだったと明らかになった今、メイド長が次に用意して持ってくる食べ物と薬はすべてがほぼ確実に恐怖の塊だ。
ないとデイジーが生きられないものも混ざっているが、それを絶たれる可能性だって高い。
それを無理やり断ったりしたら?
穏便に済む…わけがない。
メイド長という健康な大人の女性の力は今のデイジーの力よりも強いだろうから、無理やり飲まされる可能性すらある。
父親はメイド長がデイジーを疑い、水に毒を盛ったことを知っているのか?
デイジーが死ぬと困る理由が父親にないか探してみた。
もし、もしもだ。
父親がやっている可能性がある薬物の取引に、デイジーの薬の調達を隠れ蓑にしていたとすると、それが理由になるのではないだろうか。
デイジーが死んだら、薬を買い入れしている言い訳ができなくなる。
一瞬だけほっとしたが、別の案が浮かんでまた不安になった。
デイジーがいなくなったら、他の家族を代役に立てるというのはどうだろう。
例えば今は健康そのもので毎日のように遊び歩いている母親に毒をちょっとだけ飲ませて病人に仕立てるようなことをするとか。
だいぶ怖い妄想だ。
デイジーは自分が毎日飲む薬が実は毒であると想像してみる。
ある時からなんだか調子が悪くて、薬を飲みだした。
その中にちょっとずつ別の薬も混ぜたりすると、ランダムにいくつかの決まった症状が出る。
本人に薬の知識がなく、医者や身近な人間がグルだったら、何の疑いも持たずに『体が弱くなったんだ』と思うようになっていくかもしれない。
生まれた時からそういう生活だったりしたら…。
─────そんな、まさかね。
デイジーは今した想像を自分のこれまでに当て嵌めまいとした。
それをしたら、今まで言うことを聞いて、あらゆることを悲観して生きてきたこれまでの大半のデイジーの人生は…。
悲壮感を打ち消すために、父親が逮捕されたときを強く想像してみる。
それはそれでかなり恐ろしい事態を考えたのに、デイジーは狙い通り悲壮感を打ち消すことができた。
父親に容疑かかかるともしかしたらデイジーは生きていけなくなる可能性すらある。
寄宿学校の弟は?
贅沢三昧の母親は?
ソマリからの手紙に書かれたドルの家族の道がそのままデイジーの将来の道に重なった。
ボロボロになる。
今のこの、何もないデイジーという身一つで。
でも、今のままの道だと?
デイジーはもしかしたら飲まないほうがいい薬を飲み続け、自分も他人も悲観し続け、ここに閉じた人生を追えることになるだろう。
裕福で腹は膨れるだろうけれど、狭い狭いところで。
ドルがいない世界で。
そう思ったら、もう決まりだ。
─────やるしかない。
何とかしてメイド長が次の夜、薬を持ってきたときにそれを飲まずに済ますか、毒が入っているものを飲まそうとしていることを警察の誰かに明かすしかない。
でも明かすにしても、事前に情報開示するだけではいけない。
現行犯逮捕させる必要がある。
そんな芸当どうやったらできるだろう。
誰がいいんだ?
ヤマダがデイジーのそばについているなら、それを理由に父親は刑事がデイジーのそばに寄るのを退けるだろう。
じゃあ、いったい、誰に?
そのヤマダが怪しいというのに?
デイジーはカラカラに乾いた喉を頑張って捻出した唾液で潤した。
刑事達が父親と話をしている。
我関せずのヤマダは、やっぱりデイジーの傍らにたたずむのみだ。
見上げたヤマダは刑事たちを見ていた。
じっと。
そのときデイジーの脳裏にまばゆい光が降り注いだ。
『ヤマダです』
『私は魔力波動の有無を感じる事が出来ます』
『流石にそこまではしない…んじゃないでしょうか?』
『この奥、あの先を右です』
『ここで見たものは他言無用でお願いします』
『お嬢様とコルウィジェ氏に危害を加えたりはしませんから』
刑事たちとヤマダを見る。
─────もしかして、そういうことだったら。
デイジーは引き上げに入る刑事たちと、普段の持ち場に戻っていく召使いたち、それらを束ねるメイド長をほんの一瞬だけ射殺すかのように睨みつけた。
決戦は今晩。
デイジーの命と将来をかけて、あとには引けなかった。