昼と夜のデイジー 48

かろうじて拾える字を拾う。
『別宅が売ら…ときに…の行方を気…』
『道具…処分…確かめ…ショック』
『お嬢様の…』
「では」
ベッドのデイジーを見下ろしていたヤマダが静かに立ち去って。
ソマリが言わんとしていることが霞のようだ。
ヤマダが怪しい人物で、偽造しているとか?
いや、でもこの最後の署名の筆跡は明らかにソマリ。
時間がない。
だったら、
─────今、怪しいのは、メイド長…あとはお父様、ヤマダ、よね。
何か罠を仕掛けるしかない。
それも警察に伝わるように。
今日は父親と、よりにもよって母親も帰宅する。
チャンスはいつになるんだろう。
今のデイジーには動きが取れない。
せっかく体調が回復していないことにできたけれど逆効果。
メイド長が来る頻度が上がるはず。
じゃあ、逆に体調が完全によくなって新しい家庭教師が来るまでの間なら?
数日なら、なんとか。
デイジーにはいい考えに思えた。
ただしそれが実現されることはなかった。
その日母親が帰宅した後、父親が帰宅する直前。
この家に関わることで何か起きたのだとデイジーが部屋のベッドに横たわっていてもわかるくらい、騒がしくなったから。
デイジーは母親の喚き声ではね起きた。
「ちょっと! なんなの!?」
─────何事?
と同時に、階段を踏み鳴らす足音。
グィーガヌス刑事はドアの向こうでヤマダに声をかけ、軽く抑止されたのをさらに押し問答したうえでデイジーの部屋のドアを開けた。
「お嬢様~どういうことですかぁ~?
 開いているではないですかぁ~」
─────開いている?
デイジーがぽかんとしていると、
「体調がよろしくないのは重々承知ですがね。
 これは来ていただかないとまずいのでねぇ~」
 にやにやと厭味ったらしい響きに耳が腐りそうだと思ったデイジーの脇に、ヤマダがたつ。
「お手を」
「どこに行くの?」
グィーガヌス刑事は今までにないほど口角を上げた笑顔だ。
「もちろん! あの外壁のところですよぉおお~?」
そんなばかな。
父親不在で、昨日デイジーが確かめた時は確かにしまっていたはず。
視線が定まらないままヤマダの手を取る。
「突然いらっしゃいまして、このようなことに…」
ヤマダはデイジーに説明になっているようななっていないようなことをつぶやいた。
階段を下り、玄関へ。
メイド長はデイジーと刑事たちと母親の顔をかわるがわる見ている。
メイド長がデイジーにしたとみられる行動は、デイジーにその様子を当然のことと認識させた。
「私そんなの何も聞いてないわよ!?」
金切り声をあげる母親は、メイド長になだめられていた。
「そうですかそうですかぁ~。
 じゃあ、奥様もメイド長さんもいらっしゃってくださいよ」
グィーガヌス刑事のにやりとする掛け声に、腹が立ったとみられる母親は日傘を手にぷりぷりと歩きだした。メイド長も一緒だ。
そんな二人を見ながら、デイジーは今触れているヤマダの手に、気持ちの上で異様な熱を感じた。
─────あの仕掛け、ヤマダが開けたの?
そうとしか考えられない。
メイド長は書斎の鍵はもっていないから、当然中には入れない。
いるとしたら、あの時あの解錠術を披露し、仕掛けの場所もデイジー自ら教授したヤマダ一人だ。
でもなんでこんなタイミングよく警察が?
ヤマダは警察にも連絡したのか? いや、でも…父親の許可なしでそういうことをヤマダがするのか?
グィーガヌス刑事に連れられて家の外に出ると、日の光が眩しく、デイジーは日傘を指しているのに一瞬目を細めた。
そもそも警察に連絡する暇なんてヤマダにはないはずだ。
ボディーガードという立場上デイジーにずっと張り付いているし、この家の中から通常ルートで連絡を取ろうとするとすべてメイド長を経由する。
メイド長が仮に黒だと、そこで握りつぶされることも解任されることもあり得た。
そうこうしているうちにあの隙間に入り込む。
グィーガヌス刑事がその仕掛けを、あのときデイジーがやろうとしていたように押す。
ざりりっ…
へこみができる。
「こうか…?」
奥に押し込むようにすると、そのすぐ脇の煉瓦の一部は長方形を保ったまま形で奥に押し込まれ、スライドした。
多少砂がこすれる音がしつつ、しかしほぼ抵抗なし。
開いたその奥。
さらに扉が見える。
デイジーには、あの時部屋の中の上の穴からちらっと覗いた時に見えた木の扉はこれだったと確信できた。
しかしそんな風に自分にみなぎっている体力を隠す必要がある。
よろけながら体重を軽くヤマダに預け、心もとない顔を作った。
グィーガヌス刑事はそんなデイジーの顔をじっと観察している。
にやりと、また、口元がゆがんだ。
ドアを開ける。
鍵はかかっていなかった。
中はあの時上からのぞいた通り。
デイジーが覗き見た穴が上に見えた。
ハンドルの存在はここからでは見えない。
「あの穴の向こうの調査もしたいのですがね」
グィーガヌス刑事は母親の顔を見た。
「それはあの人に聞いてくださいまし」
メイド長からここに来るまでのわずかな間に経緯をかいつまんで聞いている母親。
どうもメイド長らは父親に緘口令を敷かれていたようだ。
母親が出て行った社交場で話のタネにペラペラすることを恐れたのだろう。
そのあたりからもこの件に父親が噛んでいることを確信したデイジーは、苦いものを必死で飲み込んだ。
「どうした」
背後からその声が聞こえ、伏し目がちに自分の足元を見つめていたデイジーはその姿勢のまま目を見開いた。
馬車の去る音と付き人とともにその場を見る父親。
いつになくずかずかと近寄り、
「ちょっと」
「あ…」
メイド長と母親を一瞥するも、その右腕で二人を押しのけるようにして一人隙間に割り込んだ。
「いやぁ~旦那様! …ととっ! ちょっ!」
父親は今、部屋の入り口に立つグィーガヌス刑事を押しのけ、部屋の中を見ている。
─────初めて見た。
ぶるぶると父親の背中が震えている。
その耳が赤い。
父親が激高したり興奮したりするさまをいまだかつて目にしたことがなかったデイジー。
でも、いままでずっと想像してきたのより、今の父親の背中に怖さを感じていない自分を意外に思った。
「あの奥、調査させていただいて構いませんよねぇ~!」
ねっとりと嬉しそうなグィーガヌス刑事の声の余韻が消え去ることには、その父親の様子はいつも通りになっていた。
「ええ、構いません。
しかも、あの穴。
もしかしたら私の書斎につながっているかもしれない。
この上の部屋といったらそこですから」
さもいままで知らなかったような素振りで父親はグィーガヌス刑事に向き直った。