昼と夜のデイジー 46

カタン、カタンカタン
二つの何かが奥で動く。
さらにもう何個か音がしたところでデイジーは背中に下からの風を感じた。
しゃがんだまま後ろに体の向きを変える。
下に溝があり、そのうち手前半分が下――おそらく1階――に通じる穴になっていた。
穴といっても、人が下れるような大きさではない。
かろうじて両手が入るかどうか。
そして向こう側半分には鉄製のハンドル。
予想通りならこれがあのつっかえていた何かを取り除く装置のはず。
穴から下をのぞくと、何もない部屋だった。
デイジーの部屋からつながっていた隠し部屋とよく似た、でもその半分くらいの大きさと思われる部屋。
ドルが話していた特徴とほぼ一致する。
これが外からつながっていた部屋なんだろう。
穴は今デイジーがいる父親の書斎の中央付近に穴があるが、1階の隠し部屋だと突き当りの壁際にあたるようだ。
頑張って除くと、その逆側に木製のドアらしきものが見えた。
ドルにかかった容疑に父親が本当に手を貸している可能性が浮かび上がる。
デイジーは絶望感でいっぱいになったが、それは力にもなった。
ドアノブの時とは違って迷いなくハンドルにハンカチをかけ、ぐっと力を込めた。
─────お、も、重っ!
重すぎる。
というかびくともしない。
父親の力なら何とかなるのかもしれないがデイジーには無理だ。
どうあがいても、開けられない。
─────ここまで来たのに…。
何か開ける道具はないか?
辺りを見渡すも何もない。
─────私が魔法使いだったらよかった。
もしデイジーが健康だったとしても開けられないだろう。
デイジーは体が丈夫なら何でも出来ると思っていた。
女だと無理なことがある。
もう体の作りが違うから。
それが分かったのはデイジーがこんなふうに自分で色々やるようになったから、考えるようになったのだけれど。
─────あの楽しそうに外を歩いてた女の子達もみんな、実は私とおんなじように『どうしてもできないこと』に悩んだりしたのかも。
それはさておき時間がない。
デイジーは諦めるというごくごく手慣れた作業を実施した。
開けた仕掛けを閉じる。
元通りの床に、確かになっていることと、周りの風景に変化がないことも念の為確認。
耳をすまして、廊下に足音が無いことも確認。
ドアノブにハンカチを掛けて、そっと空けて、閉じる。
そしてさっと、あのときヤマダがしていた仕草を真似た。
音がしない。
こういう足運びで摺り足して歩くと床をきしませることなく進めるという、日常生活では今後ほぼほぼ必要なさそうな怪しげな技術を身につけたデイジーは、ドアをゆっくりとハンカチごしに閉める。
廊下には誰もおらず、安堵感でいっぱいのデイジーは元来た道ではなく階段を通ってヤマダの元に戻ることにした。
角を曲った部屋の前にはヤマダが佇んでいる。
普段部屋の中からか自分のごく近くからしか見たことがないヤマダの身長が、はっきりと廊下の天井に近いことが分かってなんだか面白い。
コソコソしないといけないのに新鮮味で吹き出しそうになりながら戻ると、ヤマダは目礼してデイジーを迎えた。
「お嬢様」
瞬き一つせずにデイジーを見据えるヤマダ。
沈黙にもう一言が割って入った。
「何を探していて、どこにありましたか?」
ヤマダはデイジーの考えにどこまで気付いているのだろう。
言っていいのか?
ヤマダは本当に信用に足る人物か?
「ハンドルがあったけど固くて回せなかった」
肝心の論点をずらすと、ヤマダは静かに俯き、考えるような会話──というよりつぶやき──の空白地帯を作ってから意を決したようだった。
「お嬢様とコルウィジェ氏に危害を加えたりはしませんから」
じゃあ誰になら危害を加えるのか?
聞いてしまいそうになるのを押さえて、デイジーもヤマダに負けじと俯いた。
でもヤマダには借りがある。
デイジー一人だったらあの部屋には入れなかった。
力を借りたから…。
「部屋の真ん中の床。
卍の形の模様が或るところの、少し左」
「お嬢様」
ヤマダと二人でその甲高い声の主のほうを向いた。
メイド長はトレーと水差しを持ってこちらに近づいていた。
心臓がばくばくと脈打ち、微動だにできない。
自分がどんな顔になっているのかで頭が一杯のデイジー。
「お身体の具合は…」
「え? ええ、だいぶいいわ。
今さっき御手洗に行っていたの」
メイド長は不安げに眉を寄せ、少し早口になった。
「そんな、ご気分が優れないのに立って行かれるなんて!
後無理なさってはいけませんよ。
横になってらっしゃらないと。
お口、ゆすぎましょう」
メイド長の気付かわしげな誤解で、デイジーは後ろめたくてたまらなくなった。
「ああ、そっちじゃないわ、大丈夫。
ありがとう」
思った以上にしおらしいトーンになったデイジーに、メイド長はますます心配そうだ。
「そうですか、なら…。
でも、廊下は冷えますから、お嬢様、さ、お部屋にもどられてください」
「ええ、そうするわ」
メイド長とともに室内に入ると、ヤマダの表情がいつも通りなのが見て取れた。
こんなに不安なデイジーとは対象的で、なんとも羨ましい。
ここ最近毎日同じ顔を見ているのに、面白かったり羨しかったりする自分に笑いたくなってベッドに戻ると、メイド長は前の水差しと新しいのを取り替えて戻っていった。
普段だったらそこまでしないのに。
─────あれ?
余っ程デイジーの『気落ちしたふり』が効いていたのか?
にしても腑に落ちない。
─────だって、これまで調子が悪い時はいつも、メイド長は気を遣って…。
気を使って、わざわざ二つ水差しを置いていくようにしていたから。
冷えた水ではなく、室内の温度でぬるくなったものが飲めるように。
─────じゃあこの水は?
喉が乾く。
いや、メイド長は忘れただけかもしれないではないかと思い直す。
ドアと、ヤマダと、メイド長と、水差し。
喉を今すぐにでもうるおしたいけれど、これを飲んでいいのか?
─────疑い過ぎなの?