昼と夜のデイジー 45

―――――ヤバイ!!!!
叫びにならないデイジーの叫びをよそにヤマダは懐の中に手を差し入れたまま廊下の床に転がるヘアピンを拾い、さっとデイジーに歩み寄った。
「なにする気?」
ヤマダはデイジーのすぐ横にかがんで、デイジーの顔をちらりと見やった。
懐に入れたその右手は出てくる気配がない。
「ここで見たものは他言無用でお願いします」
静かに、一言。
ヤマダは鍵穴を覗き込んだ。
ほんの1、2秒。
その刹那、懐に入ったままだった右手はついに姿を現した。
何かを掴んだ状態で。
取り出されたのは、予想したようなものでは全くなかった。
細くて持ち手のついた何か。
先端は細い千枚通しのようなものと、L字に曲がったものと、波だったものと3種類。
ヤマダは鍵穴にその湾曲した道具のうちL字に曲がったものを鍵穴に突っ込むと、残り二種類を何度か鍵穴に出し入れした。
デイジーは開いた口を閉じることもできずに、ただただ鍵穴と、そこを侵略する道具と、その直線上にあるヤマダの瞳を見つめる。
しかも恐ろしいことにその時間は長くなかった。
道具が鍵穴とともに半回転。
カチリ
ものの30秒だろうか。
懐に再び仕舞われた道具の代わりに取り出されたハンカチがノブにかけられ、その上にヤマダの手がかぶさる。
その手は素早く、しかし音一つ立てずにドアを開いた。
デイジーが長年、何かの恐れを抱いて入れずにいたドアが。
―――――うそでしょ?
ヤマダは素知らぬ顔ですくっとドアの前に立ち、そっと手を前に差し出し、デイジーをその開いたドアの向こうへといざなうような仕草をしている。
希望は叶ったのに今は目の前のヤマダが怖すぎる。
ドルの『信用するな』が鮮明に思い出された。
同時にその鉄格子と、警官と、重い雰囲気も。
ソマリのお守りを見つめ、デイジーに語ったあの表情も。
デイジーは音を立てないように、いつの間にか出てきていた生唾を飲み下した。
―――――怖い、けど。
ヤマダの唇が動く。
『はやく』
デイジーは意を決し、左右を確認して中に入った。
ヤマダは部屋の中のデイジーに耳打ちする。
耳にかかる吐息が生ぬるく、背筋が凍った。
「私はあなたの部屋の前にいます。
内側から鍵をかけてください。
 あなたが部屋に戻ってくるか、足音が聞こえるかしたら鍵を閉めに来ます」
デイジーがうなずくと、ヤマダは無音でドアを閉めた。
内側から、お行儀が悪いのを承知でヤマダがしていたのと同じようにスカートの端をめくりあげてドアの内鍵をかける。
薄暗い部屋で息をつく。
『鍵を閉めに来ます』
狙って閉めることもできるのか。
デイジーはヘアピンで鍵を開けたことは何度かあった。
が、閉めることは一度もできなかった。
あんなふうにさらりと犯罪まがいの芸当ができる上に、あの道具。
もしかしたら鍵を開けるための専用の道具なのではなかろうか。
―――――ボディーガードが錠前外しなんてする必要、ないわよね。
耳に吐息を思い出す。色々鳥肌ものだ。
目的を果たすためというよりもヤマダへの恐怖心を忘れるために、デイジーはドアとその向こうに去ったと思われるヤマダの存在に向き合うのをやめ、父親の部屋の内側を向いた。
書斎は昔から全く変わっていない。
父親がいるところにごくまれに入った、その時と。
真ん中には何もなく、窓のそばに机。
両サイドに本棚がびっしり。
今の時期は暖を取る道具なども不要なのですっきりしたものだ。
机の上にも本が並んでいるものの、それはぴしりと整っており、触れたらたちどころに持ち主に悟られてしまいそうだ。
デイジーは父親のこの定規で図ったようなところに怖さと、共感できない気持ちを感じてきた。
ゆっくりと歩く。
古いがしっかりした造りの床はきしむ音など立てない。
父が何かを隠すなら、どうするだろう。
これまでのこの家にあったからくりならどうだろう。
デイジーは事前に考えていた案を思い起こしながら、目の前の風景と照合させていった。
―――――絶対に、誰もの目につくところだ。
なにかを探すとき人は必ず隠されたところや普段見ないところを探す。
だから、本棚の裏とか、奥とか、そういうベタな、デイジーの部屋の隠し扉のようなことはしない。
仮にもともとはあれと同じように隠されていたとしても、あの父親なら、改修してでもわざわざ目につくようにするだろう。
でも、
―――――自分がいつも触ったり見たりしないところだ。
大事なものは普通手元に置く。
だから、それを逆手に取るはず。
いつも本人が座っているところや、頻繁に開け閉めする引き出しなんかはない。
あの窓側の机もないだろう。
その机の位置から窓を除くと、あのジグザグがあったところが案の定見えた。
でも、
―――――あの外からは絶対に見えない位置。
デイジーがこれまで見つけたものは、あの外壁を別として、すべて部屋の外からは見つけられない位置にあった。
食堂の床の穴もその一つだ。
賊の侵入除けとして作られたかもしれないというこのカラクリ。
外見えたら元も子もないと設計者は考えたのだろうとデイジーは思っていた。
だからこそデイジーがこそこそしやすかったのだ。
そして、
―――――部屋の角ではなく、平面部分。
過去、四つ角には仕掛けはまずなかった。
それは左右に通路が広がっていたり、部屋があったりしたからかもしれない。
構造上の問題かもしれない。
建築云々は全く素人のデイジーにそれはわからない。
―――――だとすると、もうこの辺りしか…
この部屋のどまんなかから少し離れた床。
窓からの光が、この建物のこの窓が移築前に南向きだったと仮定しても、絶対に入ってこない、つまり外から見えないだろうところ。
書斎の机の、椅子の、そのすぐ後ろぐらいの位置。
父親が常に背中を向け、椅子を引いたらその下に隠れるかもしれない、この辺り。
デイジーはそこにしゃがみこんだ。
床はむき出しになっている。
床に這いつくばり、凝視する。
美しく豪奢な木目の間の、木材の切れ目に、それを焼き切りそうなくらいの視線を当て続ける。
じりじりとにじり、そして進んでいく。
ちょうど窓からの光の、ほんの少し窓側。
その亀裂をそっと見、そっと指を這わせ。
―――――見つけた。
興奮で全身丸焦げになりそうなくらいの熱をデイジーの体は帯びたようだった。
ドルから聞いた『薬の違法取引』という論外に思い犯罪。
それはデイジーの身にも、危険が及ぶかもしれないということ。
でもデイジーはためらわなかった。
予想が正しければ、ここはただのカギだから。
このカギを開けた先に、何もなければそれでいいから。
ドルが待っているから。
開けたらデイジー自身のこれまでの、この家の中に閉じ切った生活も開いていけるような気がした。
そっとそのジグザグの淵を押してみる。
引っかかったりすることは全くない。
今までデイジーがこの家の中で見つけてきたほかのどんなからくりよりもなめらかに、その仕掛けは動き出した。