昼と夜のデイジー 42

沈黙。
最後のデイジーの疑問符が木霊しているような錯覚に陥る。
ドルは瞬き一つせずにデイジーをじっと見つめている。
視線の揺れは動揺だろうか。
不安げな、強く何かに縋るようなその視線。
膝の上に乗ったドルの手は、その中のお守りを強く握りしめていた。
表情よりもそれは雄弁だった。
「薬物の違法取引」
ドルの唇が紡いだ言葉は、今度こそ本当にぼんやりと部屋に木霊した。
デイジーは慎重を期して言葉を返した。
時間には限りがある。
うろたえて無駄な事を聞いては。
「どんな?」
「色々だよ。
麻薬も含まれるって。
でも、誓っていい。
論文取引は荷物運びとしても作り手としても片棒をかついだけど、薬なんて一切合切知らないんだ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
静かになった。
「デイジー、疑ってるでしょ」
「ちょっとだけ。
ソマリさんの体調のことがあるし」
もしかしたらそのために薬を横流しという事だってあり得るのではなかろうか。
デイジーはドルにひどいことを言っているのを自覚していた。
「普通の荷物運びもだいぶしてるんだよ。
よく行く届け先に薬局と病院が幾つかあった。
薬って急ぎの事があるから、それで。
何度かついでに買ってて。
無理を聞いて度々急な配達してた分、薬局の店主さんが割安にしてくれたんだ」
「そう…」
疑いを晴らしきれないデイジーである。
ドルはその件について諦めを見せた。
「祖母は…どう?」
「様子を見に行っているメイドの話では、安定してるらしいわ」
本当はデイジーが行きたいのだけれど、ドルに容疑がかかっている今、渦中のデイジーが直接ばたばた動くのは迷惑になるだろう。
その疲れが元でどちらかが倒れたりしたら自分もソマリも、という思いもあって控えていた。
メイド曰く、ソマリさんはドルの状況を刑事達から聞かされていない模様とのこと。
ドルはそのデイジーの話を聞いて安心したように見えた。
「そっか…。
僕の仕事について、祖母は本当に知らないんだ。
それに誓って僕が言っていることは嘘じゃない。
祖母に隠し事はしてるけどね」
それは嘘と何が違うのか。
話している内容を受け手が曲解するような隠し事は、嘘と同じではないのか。
ツッコみたい気持ちを抑えたのは単にソマリさんが書いたあの手紙を思い出したからだった。
「自白したら祖母に面会させてやるって言われたんだけど、やってないものはやってない。
犯罪行為に片足突っ込んどいてなんだって言われるかもしれないけど、麻薬取引なんてしてない。
マフィア的な人とも関わったことないし。
一通り知ってる事は全部もうグィーガヌス刑事にも喋ってるんだけど、容疑が晴れない。
デイジーが熱出した時に薬持って来たのがまずかったらしい」
「どうやって手に入れたの?」
「白髭で隣町まで行って買ってきただけだよ。
でも、僕も今迄気にして調べたことなかったんだけど、今回警察に証拠物件として押収されて初めて分かったんだ。
あの魔導具、魔導具のくせにいざ使うって時まで魔力波動が出ないらしくて。
魔導具って通常はほんのり漏れるんだけどね。
おかげで魔導具だって信じてもらえてないっていう…」
意思があるらしいという辺りから胡散臭い道具だとは思っていたけれど、ますますだ。
しかもその状態でモップストーカーのあの箒が後を付けてこないのが腑に落ちない。
ドルは察したはたまたドルの言葉に対するデイジーの反応を見てなのか、首をひねっている。
箒が話の俎上に上がっていないのだとすると、なんにせよ一回は旅行の目的が達成されたらしいということだ。
何が効果的だったのか全く分からないけど、一個いいことがあったのはデイジーにとっても嬉しい。
でも次以降はどうなるのか…。
「モップは今どこに?」
「警察の通常遺留品扱いで保管。
どっからどう見ても、ただの汚くてボロいモップだって、警察署お抱えの魔法使いのお墨付き。
おかげさまで僕にはちょっと頭おかしい奴疑惑もかかってきたよ」
「壊されなくてよかったわね」
「…汚いわりに頑丈で、あんま触りたくなかったらしい」
悲しい事情だった。
でも箒もモップも見知っているデイジーにとって、触りたくなかった面々の気持ちはまあ納得だ。
「時間が」
ヤマダの声に吃驚する。
存在を完全に忘れていた。
ここまでの話、ヤマダは付いて来れているのだろうか。
ヤマダを思ったデイジーをよそに、ヤマダの声で目が覚めたのか、ドルは堰を切ったように喋り出した。
「刑事の言い分だと、受け渡しにデイジーの家の隠し部屋を使ってたってされてるんだ。
僕は隠し部屋の場所は知ってる。
刑事が言ってた、『ジグザグ』?
とにかくその壁の模様があるあたりだ。
でも僕が行く時は何時も空いててちょっとこうぐいっと押したら直ぐ外から入れたんだ」
ドルは両手を前に押し出す仕草をして話をつづけた。
「中は丁度デイジーの部屋の半分くらいの、なんもない空き部屋で、そこの壁際にぽんと置いてある荷物を、荷物の上にはってある荷札の場所に届けるだけで。
僕が書いた論文のときでさえ、荷札だけはその部屋にわざわざ取りに行って、そこにある指示書に従って届けるだけだった。
場所は毎回違ってて、行くのは隔週で決まった日だけ。
最初に仕事をくれた人はいるけど、会ったのは3回くらいであとはノータッチ。
名前を刑事に言ったら、もう既に逮捕されてるってことだった。
刑事曰く、あの場所は医薬品の違法取引や麻薬の取引の中継点に使われていて、僕にはその運び屋の容疑がかかってる。
十数年以上前からの案件で、特殊部員が投入された実績が何度もあるような事案なんだって。
デイジーが病気がちで薬を常時購入してるから、業者や物の出入りがあっても疑われにくい。
でも量がちょっと変だってことで、あの家とその周辺を行き来している人間に前々から目を付けていたらしんだ。
けど、これは濡れ衣だ。
僕に容疑がかかってるのはね、変装したりしてデイジーの家の周辺に行き来してるのと、あの家に出入りしているのと、デイジーがこの前熱を出した時薬を手に入れてるってことからだった。
特にこの前のなんか、狙ってやったんじゃないかって。
薬の注文が入って転売するために秘密裏に病院から薬を買い付けてて、在庫切れにして。
偶々デイジーが熱を出したから、その中から必要な分をちょっとだけデイジーに流したんじゃないかって。
本当に全部偶々そういうタイミングだっただけなんだけど、刑事は兎に角『お前が怪しい』の一点張りなんだ。
確かに客観的に聞いてても僕が怪しいよ。
デイジーだって思ったろ?
でも、僕はやってない。
誰かが僕をハメようとしてる。
取引の本筋への捜査の手がこれで消えるようにしたいがために、僕を首謀者に近い人間に仕立てようとしているようにしか、思えないんだ」
デイジーはドルが嘘を付いているとは思いたくなかった。
ドルがソマリさんに会いに行けるようにしたいと思った。
―――――この中に幾つ本当のことがあるんだろ。
それを明らかにするために、デイジーにできることは?
デイジーは今もうはっきりと、おそらくこの中ではデイジーにだけ分かっているだろうその案に、実の所未だに躊躇していた。
それは自分の居場所と生活を無くしかねないからだった。
ドルはまくし立てた反動か、息切れしている。
「僕は、やってないんだ」
自分に言いきかせるようだ。
「うん」
デイジーは肯定とも否定とも取れない声を上げた。
「デイジー、僕は」
「分かった。でも、一個だけ聞かせて」
「え?」
「状況とか色々考えて、ドルが私に薬持って来るタイミングって最悪だったと思う。
それをしなかったら、多分ドルは逮捕されてないしそんな濡れ衣かぶってないんだよね。
なんで持って来てくれたの?」
小休止前はあんなに滑らかな舌滑りだったドルだったが、急に唇をきゅっと結んで、その顔にはほんのり赤みが差したように見えた。
「お嬢様、そろそろ」
ヤマダと、ドルの後ろに立つ警官は時計を見ている。
ドルはヤマダを睨みつけた。
赤みの差したその顔、睨み据えるような目線は、そのまま怒りのようなやるせなさのような何かをヤマダにぶつけていた。
「祖母をよろしく。
デイジー、そいつを信頼するな」
「時間です」
ドルの言葉と警官のそれは同時だった。