昼と夜のデイジー 41

「お父様に止められるとは思わなかったのですか?」
旅行から帰宅した翌々日、警察署へと向かう馬車の中。
当然のように無言となっている空間で珍しくヤマダが口火を切った。
「思わなかったわ。
だってお父様、私に興味ありませんもの」
元々そう思っていたが、父親の書斎にあるかもしれない秘密の匂いを嗅ぎとってからは益々その思いは強くなり、かつそれを有り難く思うようになった。
グィーガヌス刑事が外壁の調査をした時の父親の不可解な動き。
あの人達が来る前に書斎に引きこもって。
調査の時は全員の後ろに立っていた。
そしてデイジーがふらついた様子になった時、すかさず『終了』の呼びかけをしたのだ。
この二日の間父親が在宅でデイジー側が何の動きも取れなかったから気になっているだけかもしれないが、あの態度を思い出す度、漂う秘密の匂いは濃厚になった。
でも。
父親は学術論文になど興味はないはず。
もちろん論文執筆などしていないし。
ということは関係があったとしても取引に一枚噛んでいるだけ。
取引されている物にしても論文、ただの文章ではないか。
例えば麻薬とか武器とかそういうあからさまに犯罪チックなものではない。
万が一見つかったとしても、そこまで重大な罪になるものか?
それか、『中身は知りませんでした。常日頃から取引のある信頼出来る相手からのたっての願い出でしたので、秘匿性をと…』とか。
色々言い逃れしようがあるはずだし、まあぶっちゃけてしまえば、あの父親なら袖の下くらいのことはしかねない人だとデイジーは思っていた。
そんなあれやこれやを押してなお直隠す理由が分からない。
何かもっと、大きな秘密がある気がし、薄ら寒くなった。
まるで秘密の匂いの源で小さな火の手が上がる様が見えるような。
その火の手は今まさにドルを巻き込んでいるのではないか。
ドルが無実だと思いたい気持ちもあって、デイジーはヤマダに無駄を承知で尋ねた。
「ドルの拘束期間、長いんじゃないかしら」
一般論が分からないのでヤマダに嘘を吐かれていたとしても確かめようがないが、学術論文なんて狭そうな業界の裏取引が、一週間近く拘束してまで自白させるようなものには思えない。
ドルにしたって今のソマリさんの容態などの状況を加味したら、黙っているメリットが薄い。
捕まった後速攻で喋っている気がする。
「余罪などが出てきている場合がありえます」
至って淡白なヤマダの返答に、デイジーは叫び出したくなった。
デイジー自身の揺れる気持ちをさらに揺さぶるような振動と共に、馬車が警察署の貴賓口に横付けされると、ゆっくりと先に降りたヤマダがデイジーの手をとった。
そのまま階段を登って入り口へ。
「この奥、あの先を右です」
「よく知ってるのね」
「この仕事をしていると偶に来る事があります」
用意して置いた答えのようなヤマダの言い様はさっきの馬車とは違い、寧ろいつもどおり。
それを聞いたデイジーは何故かほっとした。
自分でも気付いていなかったが、だいぶ緊張していたらしい。
それもそうだ。
生きているうちに警察署――犯罪者と警察官――双方の巣窟に足を踏み入れることになるなんて想像すらしたことがなかった。
奥の面会場所は予定していたより簡単に予約が取れたらしい。
物品は事前に魔力波動などの調査を受け、内容の調査も受け、問題無しならOK。
この星くるみのお守りは問題無しということで、めでたくドルに渡してもOK。
―――――こんなあっさり話が進むのって、やっぱり変よね。
ドルの罪状に対する疑問が膨らみ、同時に別の理由でも鼓動が速くなる。
一歩ずつ近付くその部屋。
制服姿の警官が3つあるドアのそれぞれの前に1人づつ。
その中央が今回割り当てられた部屋だった。
開けられたドアの奥にデイジーとヤマダが二人着席。
室内には二人の警官が控えている。
デイジーの向かいには、鉄格子。
下半分は分厚い石造りの仕切りも付いている。
ドルはそのさらに向こう側にある扉から、付き添いの警官と共に姿を表した。
―――――よかった。変わってない。
やつれてはおらず、暴行などを受けたような所も見られない。
思っている以上に普通。
「久し振り〜」
「まだしゃべるんじゃない!」
普通過ぎて見張りの警官に怒られているので、デイジーは笑いそうになった。
もしかしたらドルのことだから、安心させようとしてわざとかも。
その余裕があると捉えることにしよう、デイジーはここまで連れて来たいろんな気持ちを飲み込んだ。
だってドルがそうやって装ってくれたおかげで、『ドルが椅子に座る様を正面から見たことは無かったな』などという明後日のことを考えられるわけだから。
「では、ここから30分です」
無機質な声だけが石造りの部屋に響いた。
今は聞くべきことと、話すべきことがある。
「久し振り。で、これ、ソマリさんから」
さっそく星くるみのお守りを手渡す。
余裕だったドルの表情は揺らいだ。
「そうきたか…」
震えるように口にしながら、鉄格子越しに受け取ったお守りを見つめている。
「時間が限られてるから単刀直入にいくね」
ドルはデイジーの言葉に顔を上げた。
「ドルはソマリさんの昔の雇い主の息子さん、ってことでいい?」
隣でヤマダが息を飲んだ。
手紙の内容からのはったりだが、ヤマダは当然内容など知らないから。
「うん。そう」
デイジーはやり取りに多少同様する様子のヤマダをよそに、淡々と質問をつづけた。
「『荷物運び』の仕事は子どもの頃からだけど、その中身は?」
「刑事さんみたいだね」
ドルが苦笑いしている。
「グィーガヌス刑事には及ばないわ」
「有り難い限りだよ」
「で、どうなの?」
「書類とかだよ」
「偶に偽造された学術論文が混ざったり?」
「まあね」
「偶にドルが書いてたり」
ふっ、とドルが歯噛みして俯いた。そして、
「まいったなぁ」
ドルは椅子の背もたれにもたれて天井を仰ぎながら頭をばり掻いた。
以前デイジーが、あの隠し部屋で見つかった箒のことを何も知らないと言ったときと良く似た仕草。
でも今度はあのときみたく、デイジーが知らないからではない。
「やっぱりデイジー、色々分かってるじゃないか」
「ありがとう」
「そのとーりだよ。
てか、今日までグィーガヌス刑事に答えてた内容と完全に一致。
どうやって調べたの?」
デイジーはソマリさんとの手紙のことを伝えた上で、
「最後のは完全に憶測。
家庭教師としては授業内容が変だなと思ってたから、もしかしてと思って。
論文の主題は魔…」
「あーーー! わかったわかった。そうだよ。うん」
ドルは適当に話を遮った。
「図星だよ。まじで全部ね」
デイジーは溜息をつくドルを鑑賞しながら、憶測も言ってみるものだと見識を新たにした。
最初の頃はきっと、デイジーの家庭教師をどのくらいの期間やるのか分からなかったから、教科書とか授業なんかの準備ができていなかったんじゃなかろうか。
「…まあデイジーは元々頭は悪くないし、演技力もそこそこあるからなぁ。
こんなことなら勉強教えるんじゃ無かったかなぁ。
前と違って自分で考えてやってみるって事が出来るようになっちゃったからなぁ…」
情無いなぁとぼやきながらデイジーを見つめるドル。
今の目の前のデイジーと、出会ってから是迄のデイジー全てを見通すようだった。
そんなドルをよそに、デイジーは全く別の方向に考えを巡らせていた。
だって、ドルは『学術論文裏取引の容疑』で、今『容疑者』のはず。
全部喋って罪状が固まっているのなら、もう刑務所に行く方向で固まっていて、グィーガヌス刑事経由で何かしらアドルノ家にも連絡が入っていて然る可き。
「ドル」
「ん?」
「ドルは今、何の容疑でここにいるの?」