昼と夜のデイジー 40

話を総合すると、ドルはドル・コルウィジェという家庭教師ではなく、なんとか(通称がドルになる)・コーウィッジという名前の没落した領主のご令息ということか。
手紙を元通り封筒に仕舞い、荷物に挟み込む。
この内容が嘘である可能性がほぼないだろうと分かっていてなお、デイジーは落ち着いていた。
ソマリはドルと近しい人間だから話の内容はドル寄りに書かれており、途中息を飲むようなことも書いてあった。
けれどデイジーはそこから冷静に事実を読み取ることができた自分が、自分で思っていたよりずっと冷淡な人間なのだと分かってしまった事のほうがショックだった。
宅配の仕事、そして金回りが良くなったこと。
論文の違法取引と何か関わりがあるんじゃなかろうか。
百歩譲って違法取引ではなかったとしても、あまり綺麗な仕事じゃないのは確実。
だから『ドル・コルウィジェ』。
名前はともかくドルの年齢が詐称されていないと仮定すると、ドルは十数年その後ろ暗い運び屋を続けていることになる。
しかも宅配の仕事を始めた時期を計算すると、デイジーが夢を見たあのころと大体かぶった。
薄汚れたモップに仁王立ちした男の子と、窓越しに目が合うあの夢。
―――――もしかしてもしかするとあれは夢じゃなくて。
ドルのことが一気に浮かんで全身が沸き立つ。
楽しい気持ちと悲しい気持ちと不信感と喜びがごっちゃになったデイジーは思わず泣きそうになって、でもそれを押さえ込んだ。
鼻を軽くすすって、息を吐き出す。
あれが夢じゃなかったとしたら、ドルが配達している何かしらの受け渡し場所は昔からあのデイジー宅のご近所だったかもしれないということだ。
だってそうでもなければ、こんな住宅地の、それもウッカリすると家の窓から住人と目が合うような所まで降りてくる必要がないじゃないか。
その最有力ヶ所は?
そう。
あのデイジーの家の外壁と隣の家の隙間の、ジグザグの辺り。
グィーガヌス刑事は人としてどうも好きになれないけれど、同意見になった身としてあの人の仕事振りが一流であることを信じたくなった。
でもあのときあのジグザグは確かになにかひっかかったような感じになっていて、開きそうも無かった。
あのときは移築した時に何かあって通れなくなったんじゃないかと思ったけれど、他に可能性は無いだろうか。
デイジーは立ち上がり、部屋の塗り込められた壁を見つめた。
この場所から入れた、箒を見つけたあの隠し部屋、あの奥のドアは何かの仕掛け――もしかしたら魔法――がかかっていた。
あの場所にもしかしたら何かあるってことはないだろうか?
いや、でも魔法だったらあんな物理的に引っ掛る手応えなんてなんにもないはずだし、第一ジグザグを点けて目印を作る必要すらないんじゃないだろうか。
じゃあ、あとは?
かつて慣れ親しんだ、もう遠い昔にも思えるその頃デイジーの隠し部屋への入り口だったその壁にもたれ掛かってうなっていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「何?」
「そろそろ時間です」
ヤマダの声だ。
デイジーが返事をする前に、ガチャガチャとドアノブを回す音。
一向にドアが空く気配はない。
「あ、ごめんなさい」
事態に気付いてドアに駆け寄る。
鍵がかかっていたらしい。
一人で着替えをするときなどにたまに掛けるのだけれど、着替え終わった後外すのを忘れていた。
ドアをゆっくり開ける。
ヤマダは『今のうちに』と言いながら、やっぱり何時もの大きな体を窮屈そうに屈めた。
「お祖母様から、コルウィジェ氏に渡してほしいとのことで」
包みを開いて出てきたのは、おそらくお守り。
多少古い気がするが、星っぽい形のくるみのような見た目のものが刺繍されている。
「星くるみという特産品のくるみがあるそうで。
託すと願いがかなう、あの村で毎年行う豊穣祭にまつわる言い伝えなんだとか」
もしかしたら昔あのソマリさん自身が作った袋なのかもしれない。
でも渡しに行こうにもドルは今絶賛取り調べ中。
もう三日目になる。
「警察署に渡しに行けるの?」
長過ぎる気がするが、グィーガヌス刑事のことだ。
自白するまで返さない方針だろう。
だとすると、部外者が物を渡す事など出来そうもないし、渡したところで取り調べ対象物になるのではなかろうか。
「行くしかないと思います」
「こちらで預かるわけにはいかないの?」
「お祖母様のご容態とお気持ちを考えると、何かある前にと思われたんだと思います。
少なくともこれを受け取っていることだけは、早く伝えた方がいいのでは」
ヤマダの言うことは最もだ。
それでも気になったデイジーはグィーガヌス刑事が気がかりである旨をヤマダに伝えた。
ヤマダはいつになく早口で、
「流石にそこまではしない…んじゃないでしょうか?」
と、途中唾を飲んだのか途切れながら。
言い淀んだ所に本音が見えるのが悲しい。
さらに悲しい事に相談されている側のデイジーには最後の最後に必要な自分の外出に関する決定権が無かった。
それは父親、そしてその権限を移譲されているメイド長のものなのだけれど。
「わかったわ。でも…」
ヤマダがまたぴくりと眉を動かした。
予想がついたのかもしれない。
「…私も行く」
『行きたい』ではない。
しばしの沈黙ののち、ヤマダの深い溜息。
「聞いてみます」
返事に躊躇いがないところを見ると、やはりヤマダはデイジーの返事を予想していたようだ。
デイジーはさらに念押しした。
「今日明日中に返事持ってきてね」
有耶無耶にするなというデイジーの強い意思表示にヤマダがたじろぐのが見て取れた。
眉間に皺を寄せながら、弱弱しく首を縦に振る姿は何だかおかしい。
そんなヤマダを鑑賞しながら階段を下り、あの家に帰る馬車に向かう。
―――――こんなんで旅行、おしまいかぁ…。
また残念な思い出が増えたホテルを振り返り、見上げる。
ヤマダが呼びに来た時、あのまま鍵をかけて家に帰らなかったら。
――――なーんて…え? あれ?
デイジーの脳裏に妄想と地続きで全く別のことが浮かんだ。
さっきヤマダが入れなかったのは、デイジーが内側から鍵をかけていたから。
じゃあ、デイジーの自宅の外から中に入ろうとした時の、あの引っ掛かりは?
―――――ジグザグの内側に、別の仕掛けがあったら?
なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのか。
あんな邸宅だ。
屋外から屋内に易々と入れるような仕掛けがあってはまずいに決まっている。
だったら、例えば誰かが屋内から、突っ返棒を外すとか――鍵を開けるとか――すれば、通れる様になる秘密の扉があったとしたら。
デイジーはこの屋敷でこれまでそんな仕掛けを見たことが一度も無かった。
でも外と内では勝手が違って然る可きだ。
外壁の仕掛けなんて、一人で外出できないから調べようも無かったし。
ということは。
デイジーは必死で過去探索した屋内の構造と、あの外壁のジグザグの位置を組み合わせた。
デイジーが隠れる為に、いや、居場所を探すためにいたずらして回ったあの場所、この場所…。
壁、部屋のドア、ベッド、机、窓…。
デイジーは馬車に乗り込みながら、平静を装って、頭の中だけで必死に考えた。
あの塗り込められた壁のその向こうのドアの、さらに先にあった隠し部屋は?
デイジーが最初開けようとしてもドアはびくともしなかったけれど、家庭教師に隠し部屋を見つけられたあのときはあっさり入れたという、あの部屋。
もしかしたら、ジグザグがあった壁に面した辺りにあるかもしれない。
デイジーの部屋から二部屋先だから、丁度その辺りだし、下からの階段は無かったように思えるが、何処かにまた例によって隠し扉とか…
いや、無理だ。
ちょっと場所が横にズレている気がする。二階だし。
通路があるにしても遠い。寧ろ、その一つ隣なら…。
―――――…嘘でしょ。
思わず口を突いて出ないように、手で口を押さえた。
「ご気分が優れないようでしたら…」
「えっ? いえ、大丈夫よ」
メイド長の労いに、慌てて返して窓の外に視線を外す。
あのジグザグのその内側の二階、そしてもしかするとあのときの隠し部屋の隣。
もしかしたら窓を開けて下を覗いたら、あのジグザグの場所が見える、そんな位置にある部屋をデイジーはよく知っていた。
デイジーが過去、唯一、一度も一人で入ったことがない部屋。
なぜならば常時鍵がかかっていたから。
入ったのは、その部屋の主が居る僅かな機会だけ。
―――――父親の書斎…!