昼と夜のデイジー 39

「どうぞ」
数日後、デイジーの体が安定し、予定より遅れてホテルから帰宅の途に就こうというその日。
ヤマダはデイジーにそれを差し出した。
「ありがとう」
ヤマダからメイド長経由で手渡しされた一通の手紙。
バタンとドアが閉まる音を背後に聞きながら、ドルと勉強していた机の上にその返信であるこの封筒を置いて腰かけた。
そしてぴったりと閉じられたその封を手で破って開く。
中から出てきたのは安価で薄手の四枚。
文字は震えていた。
インクの染みでところどころつぶれてしまってすらいる。
でも、言葉からにじみ出る教養。
難解な言葉遣いも含まれていたが、そこにはドルに教えてもらった古文の言葉達にも似た流麗さがあった。
あの状態のソマリが、体を起こして紡いだ言葉たち。
それは否応なしにデイジーを惹き付けた。
ドルが仕事でいろいろあって見舞いに来れないこと、しばらくの間、世話役としてメイドの一人を使いに出すこと。
加えて、デイジー自身も体が弱く、訪問は難しいが、メイド経由の文通でドルのことをいろいろ話したい。
そう書いてデイジーが出した手紙の返信。
ドルが警察で取り調べを受けており、ドルとの連絡は刑事経由でやっていることは伏せている。
メイド長・ヤマダには『純粋に心配で』と伝えている。
ソマリへの手紙の中身にも、善意の、いや善意に見える言葉だけを載せ、あたかも心配しつつお友達になりたいオジョウサマのふりをした。
今はドルの取り調べで忙しいらしく音沙汰なしの刑事たちには何も。
今後もし聞かれたら答えよう。
その文章を追っていくうち、デイジーは小さな確証と大きな疑問を得たのだった。

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拝啓

啼鳥の声快い時節、如何お過ごしでしょうか。
お嬢様よりのお申し出、大変有難く、謹んでお受け致します。
文字を綴ること難うございますのでお見苦しいところが御座りますが、何卒宜しくお願いします。
坊ちゃまとはもう二十年近くなります。
当時勤めておりましたこのあたりの領主、コーウィッジ家のお屋敷で、その第二子としてお生まれになった坊ちゃまは、それはそれは愛苦しゅうございました。
ただ、お屋敷は坊ちゃまが心健やかにお育ちになれる環境では、残念ながらございませんでした。
非嫡出子であった坊ちゃまは、お兄様や妹君から良く思われておりませんでした。
そんな坊ちゃまに、奥様は目を合わせることすらなさいませんでした。
旦那様は時折ほほ笑まれていましたが、その時はすでにお酒と賭け事に取りつかれておりました。
お母さまは日のあるうちは優しゅうございましたが、外に社交に出ることが多うございました。
そして日が落ちると一転して坊ちゃまに辛く当たったり、日によっては逆に坊ちゃまに縋るように泣きついておりました。
そんな中で坊ちゃまが明るい素振りを見せることは難しかったと思います。
また坊ちゃまはそのころから大変聡明でらっしゃいました。
ある日坊ちゃまが机に向かっているのを見てお声をおかけすると、お兄様と妹君に家庭教師が出した宿題を解いておりました。
面倒だからと頼まれたとおっしゃっていましたが、自分よりも三つも年上のお兄様に向けた課題を手を止めることなく進める坊ちゃまを見て、感心するとともに不憫に思っておりました。
兎に角そんな有様の領主邸でしたので、領民は地獄を見ておりました。
重税の上、時に飢え、時に不当な罰に苦しむ民が溜め込んでいた不満が噴出したのは、予想に難くなかったというものです。
召使いとして職を得ていた私も含めた者たちは比較良い暮らしであったと言えますが、それでもお屋敷の残りのわずかな食糧を漁ったりしていたのが実情でございました。
旦那様が処刑され、ご家族がお屋敷から放逐されたのは坊ちゃまがまだ十の時でございます。
私共召使いは同じく領主に苦しんだ仲間として、また部屋割りなどを良く理解していたため、そのままお屋敷に雇われることになりました。
一方、奥様とお兄様、妹君は別荘という名の宅に軟禁、お母さまと坊ちゃまは今お住まいの御所、といっても小屋のような住まいに追い出される恰好でした。
奥様とお兄様、妹君と離れたのは一つ幸いだったかもしれませんが、このあたりの民からの当たりのきつさはお察しいただければと思います。
お住まいの辺りを忌み嫌い、ゴミを捨てて行ったり菜園の作物を荒らしたりと、低俗な様相でした。
お母さまはそれまで贅を尽くしたことしかなかった方です。
早々にその暮らしを、実のお子様である坊ちゃまごと見限っていかれました。
お気が確かだったのかどうかすら、定かではありませんでしたが、誰かが連れに来たというような噂だけが残っております。
捨て置かれたドル坊ちゃまがあまりに不憫で、お食事などを時折お持ちし、お世話申し上げておりました。
そのうち新しい領主の息子様方が坊ちゃまを利用するようになりました。
年が近くて聡明なところが、悪い意味で目についたのでしょう。
遊び相手と称していじわるをなさったり、多少の小遣いと引き換えに、以前お兄様と妹君にしていたのと同じように宿題を代わりにさせたりしていました。
ドル坊ちゃまは食料として森の木の実などを拾ったりもしていたようですが、当然空腹を満たすには足りません。
そのころからでしょうか。
坊ちゃまはどうにかしてご自分でお仕事を見つけていらっしゃったようでした。
この地域ではないところの、荷物配達のお仕事とのことでした。
たまに折を見て、身の周りのことなど私がしておりましたら、坊ちゃまはよく、そんなのはいいのだとおっしゃり、私を制止しておりました。
配達のお仕事は時間に糸目をつけなければ実入りがよいとのことで、よその、偏見のない町での暮らし向きがよくなっていたころ、私のほうが病にかかり働くことが難しくなりました。
ちょうど五年ほど前です。
私自身に身寄りなどとうになく、召使いの仕事で貯めていたものの、その金策が尽き、食も窮し、もう坊ちゃまにお目にかかることは難しいと思っていた時です。
坊ちゃまは夜分ひょっこりと貧しい我が家にいらっしゃりました。
薬を持ってきてくださったのです。
お仕事のつてを使って安く薬を手に入れたのだとおっしゃっておりました。
そんなものはとお断りしても頑としていらっしゃる姿は今も思い出します。
それから坊ちゃまは、この地の他の人々の目を盗み、都度私めのようなもののところまで薬を運んでくださいました。
坊ちゃまのお暮しが、と何度申したことでしょう。
そのたびに笑っておりました。
坊ちゃまはお嬢様の家庭教師のお仕事をされ始めてから明るくなりました。
時折、本当に穏やかにほほ笑まれるようになりました。
縁もゆかりもない私がこんな風に申し上げるのは恐れ多いことですが、坊ちゃまが雇い主であるお嬢様や共に働く方々からこのように慕われていることがたいへん嬉しゅうございます。
ありがとうございます。
お嬢様はお手紙でお話したいとおっしゃってくださいましたが、私はあとどれだけこの世にいられるか定かではありません。
坊ちゃまは本当にお優しい方です。
本当にご苦労なさっております。
どうか、坊ちゃまのこと、これからもよろしくお願いします。

敬具

ソマリ・サンド