昼と夜のデイジー 29

各々部屋に荷物を運び込み、昼食、休憩。
辿り着いたところでデイジーの顔色が悪いのに気付いたメイド長の計らいによって取り仕切られたそのすべてに、ひたすら乗っかる一同。
毎度のことながら情けなくて涙も出ないデイジー自身は、窓からレースカーテン越しに入り込む日差しを眩しげに見つめた。
この調子で箒とモップにドルといちゃいちゃしているところを見せつけて安心させようという作戦は実行できるのだろうか。
そもそもそれ自体も有効性が怪しいのにやる必要あるのか、など、気落ちしているのもあって、デイジーのやる気は初日にしてかなり削げていた。
そのまま重たくなる瞼を閉じ、馬車にゆられながらうつらうつらと小一時間眠っただろうか。
メイドが水とおやつを持って来たところで気が付いた。
体を起こして改めて部屋の中を眺めると、暖かみのある部屋の作りに気持ちが落ち着いてきた。
メイドが部屋から立ち去る瞬間、ドアの外に待機しているヤマダのシルエットがほぼ家で見るのと同じ位置だったため、一瞬旅行に来ていたはずだよな、と焦ったのはさておき。
水を口にし、おやつのドライフルーツを口にすると、なにやらドアの外で話し声。
ノックの後、続いたのはドルの声だった。
「入っていい?」
多少ベッドの周りを見回してOKの返事をすると、ヤマダにドアをあけてもらったドルは教科書を抱えて入ってきた。
「とと…」
棚の脇にある空っぽの本棚にその全てを立てかける。
「いやぁ、いい宿ってこういうのも常設されてるんだねぇ〜」
ここに着いてからというもの返事がしにくい。
お嬢様育ちしている自覚がある側として、『そうなの?』などというのはやはり嫌味だろう。
黙りこくっているだけというのも何なので、本棚の教科書に目をやると、先日一緒に見繕ったものに、多少追加されている。
「今日は荷物運びの日だから授業はしないよ。それに…」
「この後どうするか、ってことでしょ?」
流石と言わんばかりの顔のドル。
「だって結局ノープランじゃないの」
デイジーは声をひそめた。
「箒とモップは?
刑事さんもヤマダもいるし、ドルの家に行くのも難しいと思うんだけど」
「それだよね」
ドルは知らないはずだが、ヤマダは魔力波動が分かる。
ということは、その辺に掃除道具と見せかけて道具を置いておくというのも出来無いだろう。
─────その話をドルにしておくべき? でも…。
ドルをそこまで信用できなくなってきていることに後ろ暗さを感じる。
「刑事さんたちの荷物に魔力波動感知装置? らしいのがあるみたいだしね…」
「何それ?」
「名前のまんまだよ。
魔力波動が分かる。
二人しか来ないのになんで馬に人が乗るんじゃなくて荷馬車なんですかって聞いたら、捜査に必要な道具でして、とだけ言ってたけど。
最近噂でそういうのが試験的に警察に導入されたって聞いたことあるから、多分それ。
とはいっても、ちょっと魔力感じる〜くらいのレベルだとスルーって話だけどね」
「ドルなんでそんな噂知ってるの?」
「通勤馬車の待合って噂の巣窟だから」
出所が井戸端会議とは何とも心許無いものの、確かにあの山盛りの荷物は二人だけの旅には多すぎだだった。
「装置があの大きさだとすると、僕の家にまでは持ってこれないだろうからそこは大丈夫。
問題はどうやって刑事さんたちとかヤマダさんとかと別行動できるようにするかってことかな。
箒とモップに見られる分には全然いいけど、他人にみられるとデイジーっていう御令嬢の尊厳的にも問題だし、僕クビになっちゃうし!」
再就職も変な噂立つと厳しいしなぁ〜と、誰にともなく小声で中空に放つドル。
唾を飲み込んだ瞬間に上下した喉仏からデイジーが思わず目をそらしたのにドルが気づくことはなく。
「まあ、残念なところもあるけど、時間より密度の問題だよね。
逢えない方が盛り上るっていうし」
言葉の内容に照れるべきなのか、箒とモップという無機物にもその理屈が通じるのかという点に疑問を持つべきなのか、いや、それよりももっと…。
デイジーはどこに悩むべきかと眉間に若干しわを寄せた。
「勉強は昼前にちょこちょこ、散策は昼過ぎに入れるようなイメージで進めることにしよ」
言いながらデイジーを見るドルは満足げだ。
それに気づいて腹立たしさが加わると、眉間にはさらに力が入った。
ちなみに昼過ぎにしたのはこのあたりが農村なこともあり、朝方は地元民で人が多く目立つからとのこと。
日傘を指して上質な服を着た御令嬢が取り巻きを連れて歩いていたらさぞや、というのはデイジーも用意に想像出来た。
勉強の予定を簡単に話し合い、その日はそれで解散。
メイド・ホテルマン・ヤマダとともにホテル内部を簡単に案内されたが、風呂もトイレもデイジーの部屋には付属しており、家にいる時に鳴らすのと同じように呼び鈴を鳴らす以外に違いはない。
他の客もいるのかと思いきや、偶々誰もいないとのことで、結果的にデイジー一行の貸切となっていた。
夕食の食堂フロアは家のそれよりもこじんまりしているものの、手入れもされ、出された食べ物の味もよかった。
といってもそれを食べているのはデイジー一人。
メイドたちとヤマダはもう一段グレードの低い賄い寄りの料理を、デイジーとは時間をずらして取っている。
刑事達は外に外食、という名目でドルの身辺調査など。
今迄もずっとそうだったが、旅行に来たところでデイジーの一人っぷりは全く変わらなかった。
─────誰も私を見ない。
メイド達、ヤマダ、刑事達それぞれに、それぞれの理由があってここにいるだけ。
ドルにしても、デイジーをここに連れてきたのは、モップに落ち着いて乗れる様になるためであってデイジーのことを思ってではない。
ハッキリした理由がないのはデイジーだけだった。
ドルを助けてあげたいという気持ちはあるにはある。
ドルと一緒にいたい気持ちもある。
が、デイジーは自分自身で分かっていた。
ドルのことを考えると劣等感でもみくちゃにされそうになること。
ドルに対する気持ちよりも、今の事態に対する好奇心のほうがより強く今のデイジーを支えていること。
しかもその好奇心でさえ、もし誰かにダメだと強く遮られていたら──例えば刑事達が、危険だから控えろと父親に談判していたら──きっとそれを跳ねつけてまで旅行に行きたいとは言わなかっただろうことを。
部屋に戻りながらデイジーは思った。
─────私、この先もずっと、こうなのかな。
何もない。
自分で出来無い。
誰かに言われたら、首を縦に振る以外の選択肢を持たず、それで特に不都合がない。
親のお陰でお金はあり、多分結婚をしなくてもなんとかなる。
いや寧ろ、結婚は難しいだろう。
したところでデイジーの体力では子供を産めないと判断されるから。
財産狙いの輩ならいるだろうが、それこそ本末転倒だ。
女独り身で一生寝込んだり起き上がったりを繰り返す生活だけというのもなんだが、それが一番迷惑をかけないでデイジーが生きていける方法だろう。
父親が死んだら、弟が後を継いで、私の面倒を見ていくのだ。
環境は誰もが羨むようなものが整っている。
そう分かっていながらも、デイジーには自分のまわりにいるこの旅行に付いてきた全ての人──自分でこうと決めてそれを実現出来る、実現しようとすることができる──が羨しかった。