昼と夜のデイジー 30

明くる日の午後。
デイジーは林の手前まで来ていた。
名目は森林浴、実態はドルの自宅訪問。
ホテル周辺は日差しも強いので散策は〜というのがその言い訳だ。
林というものに踏み入る事自体が初のデイジーは、昼間なのに暗がりが端々に見当る道の奥を見て少し怖くなった。
道と思われる空白地帯にさざめく木の葉のところどころから光が差し込んでいる。
そんなデイジーを安心させようとしたのだろう。
「だいじょぶだよ。なにせ…」
隣のドルが振り返った。
併せてデイジーも振り返った。
「…そうね」
いつものヤマダ。
そしてやっぱりグィーガヌス刑事。
荷馬車に載せていた魔力感知装置らしきものが刑事の一人とともに森の入り口で止まったのは一つよかったこととして。
安全の確保ができているとしても、楽しい森林浴とはいかなそうな面構えの二人。
日傘は道両端の木々に引っ掛る危険があるということで帽子のみ。
服もデイジーにしては軽装の、白い長袖のワンピース。
こんなお出かけモードなのに気分が重いのを、デイジーはこの二人と林のせいにした。
「途中足元に木の根っこが張り出してるところがあるから気を付けてね」
木の根っこどころか石も転がっている。
これを道というのだろうかと懐疑的に思っていたが、メイド長とメイドの『割と整備されていて安心したわ』『そうですね』との言葉を耳にし考えを改めた。
─────私が舗装されたいい道しか知らないだけか。
一言でも口を開くと自覚のある無知も無自覚な無知も全て明け透けに晒されてしまいそうだ。
唇を結んで歩いていくと、石以外にも木の実やら何やらが落ちている。
獣の足跡はほぼなく──ない、とメイド長が前で話しているから──、やはり人が住んでいる地域ということなのか。
こんなところに? と訝しむも、多少先、林を抜けたところに小さな小屋が見える。
あの古めかしい感じと、ぽつんと孤立した感じ。
多分この林の管理人の家か何かだろう。
近づいていくと、本で見たコテージそっくりの形の小屋が岩肌ギリギリに建てられているのが分かった。
「着いたよ」
「え?」
「着いた」
ドルは繰り返した。
─────ちょっと待ってよ。
確かに林は抜けている。
でも目の前にはあの小屋だけ。
その脇にはこぢんまりとした畑。
それしかない。
「…家は?」
デイジーの周りの一同が黙りこくっているところに、真顔でドルが指差した。
「あれ」
小屋だ。
デイジーは固まった。
と、グィーガヌス刑事のくぐもった笑い声がする。
「クッ…お嬢様…」
世間知らずを笑うその声をメイド長が咎めるものの、既にデイジーの耳にはしっかり届いていた。
「デイジーに限らずそんな感じの人結構いるから大丈夫」
ポンとデイジーの肩を叩くと、さくさく前に進んでいく。
ついていくと、ドルがドアを開ける。
見たままの狭さがドアの向こうにあった。
「で、だね」
ドアを開けた状態でわざとらしくこちらを向いて咳払い。
「どう考えても、この人数入らないから、机を外に出したいんだよね。
申し訳ないけど刑事さん、ちょっと手伝って」
ヤマダに声をかけなかったのは、グィーガヌス刑事がどのみち部屋に入りたいだろうからということだろうか。
外に向かった窓を開けると、机は小屋の外に出た。
椅子も予定どおり不足。
何かの木箱を重ねている。
ドルとメイドが紅茶のポットと茶菓子代わりの星ぶどうを持って来たとき、何だか一同ほっとした顔になった。
一体感というか、何というか。
デイジー自身は何もしていないので、やはりここでも申し訳無さというか、所在なさというか。
それでもデイジーが椅子に座らないと誰も座れない。
そして座ることを促す必要がある。
家主でもないのに客然として椅子に座る。
「せっかくですから、お座りになって下さい皆さん」
予定調和に更なる安堵感を滲ませ、皆して席につく。
多少デイジーの疎外感は薄れた。
でも、気になった。
「ドル、お祖母様は?」
病気で寝込んでいるとかなんとか。
「え? …ああ、昨日医者に連れて行って、一泊」
グィーガヌス刑事が片眉を上げている。
「ふぅん…」
─────大丈夫なのかしら。
デイジーは掛かり付けの医者を呼んだ事しかないので病院がどんなところかよく知らないが、召使達の話によると行くだけで気が滅入るという。
そんなところに一泊とは何ともつらそうだ。
「それはそれは…金銭的にも厳しいのではないですかな?」
グィーガヌス刑事はもう片方の眉も上げ、ドルに上目使いしている。
デイジーの星ぶどうを摘む手はぎこちなくなった。
病院はお金がかかる。
デイジーには全く頭になかった。
「ええ、まあ…だから働いています、ってことですよ。
行きに話したじゃないですか」
「おや、そうでしたね」
「またまたぁ〜!」
ドルも席について、紅茶を一口。
「にしても美味い紅茶ですな」
「そんないい葉っぱじゃないですよ」
「いやいや」
「本当ですって。
淹れ方だけ」
「ほぅ…どなたに教わったのです?」
「祖母です」
「ほ〜! お祖母様ですが。
失礼ながら、このようなお住いで…ごほっ…アフタヌーンティーとは。
 教養がおありな方なのですかな?」
「召使の仕事が長くて、そこで覚えたと。
って、もー、それも行きに話しましたよ?」
「おっとそれはいけませんでしたな」
なんとなく、紅茶が不味くなっていく。
メイド長とメイドはデイジーに共感しているらしく、横目でチラッと目が合ったら黙って会釈してきた。
「では…」
「お茶の時間ですし、今は休戦になさいませんこと?」
この場でこういうことを言えるのはデイジー一人。
良くも悪くも身分が高いとはそういうこと。
「争っているわけではありませんよ。
 いやしかしお嬢様のご気分、害されましたかな?」
嫌味ったらしく返すグィーガヌス刑事に無言でにっこりする。
刑事は相変わらずニヤニヤしてはいたものの、紅茶に口を付けた。