昼と夜のデイジー 26

─────そうかも。
見覚えがあるパターンのジグザグ。
デイジーの表情に気付いたのか、刑事達は固唾を飲んだ。
圧力が高まる。
刑事達、そして刑事達と違って後ろにずっといるから実のところわからないけれど、父親とヤマダからの。
近づくとそれは確実になった。
─────ここ。ここ。で、これ…は…
煉瓦の間の亀裂を辿ると、その先にも幾つか亀裂が入っている。
全て、当て嵌るものだった。
「多分、この煉瓦が奥に入って、その隣の煉瓦が動くんじゃないかと思います」
皆デイジーの発言に無言だ。
言わなくても何をしてほしいのか、デイジーにも分かっていた。
しゃがみ込み、そしてその煉瓦にそっと、次第に力を込めていく。
「んっ…あれ?」
煉瓦は明らかにガタついて、確かに1cm弱、奥に動いた。
が、それ以上推し進めることができない。
二、三度体重を掛けて押したが、やはりダメで。
四回目に挑もうとしたデイジーをグィーガヌス刑事が静し、二人の刑事が押すも、殆ど変わらない。
グィーガヌス刑事の目がギョロリとデイジーを睨みつける。
「これはどういうことですかな?
罠か何か?」
ふるふると首を横に振る。
デイジーにとっても初めての体験だった。
「いえ。
ダミーもあるのはあるんですが、その場合はびくともしないはずですわ」
「遅効性のなにか、毒やら呪いやらが出ている…とか」
「いえ。
これまで見て来た仕掛けで、そういうのは全く。
物理的なものばかりで…それに、仕掛けに掛かった人間の命や体に大きな危険が及ぶようなものに出くわしたことはありませんわ」
足払いや隠し部屋、覗き穴、隠し通路。そんなところだった。
「老朽化?」
刑事の一人が呟いた。
煉瓦は確かに動いてはいたのだから、有り得なくはない。
「感触としては、何かが突っかえているような」
もう一人の刑事がデイジーの言に頷いている。
グィーガヌス刑事は首を傾げた。
「この物件は移築されたものだと聞いています」
背後から聴きなれた声がして、デイジーと刑事一同は振り返った。
デイジーの父が仕掛けを見つめている。
「私が買い付けした時は既にここにありましたがね。
移築された時既に仕掛けが壊れていた可能性はあるかと」
「買い付けはどなたから?」
「街の不動産屋からです」
「持ち主は」
「さあ。
向こうは調べたのか不動産屋づてに、私と遠縁の親戚にあたると言って来たんですが、どうだか。
面識はありませんよ」
「ほぅ…」
グィーガヌス刑事の鷲鼻が口の動きに合わせてヒクリと動く。
「いるんですよ。
親戚だとかなんだとか言って取りいろうとする輩がね。
こういう商売していると特にです」
「こういう、とは?」
「貿易商です。
まあありがたいことに繁盛しておりますから」
─────初めてだわ。
デイジーは驚いていた。
グィーガヌス刑事の質問──常時全員を疑ってかかっていると匂わせるそれ──に対し、大して表情を変えずに淡々と事実を話す父親の姿にだ。
父親はいつも秘書かメイドへの業務連絡と、母親とすれ違う時に一言二言言葉を発するだけだった。
商談は他所に借りた事務所でしているから見たことがない。
偶に食卓で小言は言うものの、こういうふうに会話をしている父親像は家では有り得なかった。
但しデイジーが今感じているのは、決して敬意ではない。
朝食の時とは違った意味で、座りが悪いというか、気味が悪いというか。
─────何考えてるのかわかんない。
言葉の意味はその通りなのだろうが、淡々と質問に答えているだけで装置か何かのようだ。
─────この人こんな人だっけ…。
さっきから眩暈がする。
問い詰めるグィーガヌス刑事とその周りの二人も淡々としているが、ことデイジーにとっては父親の怖さが格別だった。
「室内のからくりにはこういう感じの…開きにくいものは?」
「…いえ。
今迄見つけられたものは全て…子どもの私でも簡単に…」
恐怖とふらつきを押し隠しなんとか言葉を紡ぐ。
あの隠し部屋は仕掛けがあったがそれは黙っておくことにした。
嘘はついていない。
簡単に開いた。
それまでの開かなかった期間に何度かドアノブを回したことはあるが、あっさりドアノブが回るだけでドア自体は全く動く気配などなかった。
だからずっと、扉風の壁にドアノブが付いているだけだと思っていたのだ。
「そうですか…では室内を」
勇み足のグィーガヌスを制したのは父親だった。
「恐縮ですが刑事さん、本日はここで切り上げていただけないでしょうか」
グィーガヌス刑事は父親を睨みつけた。
「ほぉぉおう?
なぜ?」
父親はデイジーをチラッと見た。
「先程から顔色が悪い」
デイジーはまたしても驚いた。
─────…この人…娘を気遣……う神経なん…てあっ…た…っけ…?
「もう外に出てだいぶ経っています。
娘の体はもう今日はこれ以上は…」
目を伏せるようにゆっくりと瞬きする父親に朦朧としながらも焦点を合わせようと試みるデイジー。
グィーガヌス刑事は懐中時計を見て舌打ちした。
父親の指摘通り結構な時間が経っていたようだ。
また眩暈がし、デイジーはたまらず父親の腕に捕まる。
その手から零れた日傘をヤマダが拾い上げた。
「部屋へ」
父親の指示に従い、ヤマダは私を抱き上げた。
倒れて起き上がれなくなるたびに色んな人にされたお姫様抱っこに感動一つなくぐったりと身を委ねる。
抱えられて部屋に戻る際、階下から玄関先の父親とグィーガヌス刑事の声が漏れ聞こえた。
「では次は」
「でもね、そうすぐには」
「お嬢様がいらっしゃらなくても…」
「今日は午前中だけと事前にお伝えして…」
遠くなる二人の声は、ヤマダが閉めた部屋のドアで遮られた。
一緒に付いてきたメイド長が軽く濡らした布で、ベッドに座らされた横たえられたデイジーの顔を拭いた。
ヤマダが立ち去ると代わりに入ってきたもう一人のメイドは、元いたメイドとともに手慣れた手付きでデイジーを着替えさせる。
寝間着でゆっくりと手をつきながらベッドに横たわると、メイドは一人だけになった。
「ゆっくりなさって大丈夫ですよ。
もう一人は今、飲み水を取りに行っておりますので直ぐ戻ります」
メイド長が差し出す病人用の、やかんの口のような吸い口が付いた給水器から水を啜る。
つめたいそれは、久し振りの屋外で光と風にあてられた体を多少癒してくれた。
「お水、有難う。
横になっていれば眩暈は大丈夫だから。
少し眠ることにするわ」
メイド長は枕元に呼び鈴を置いて部屋を出て行った。
一人だった。
枕に頭をもたげ、寝返りを打つのも辛くてそのまま目を閉じる。
瞼の裏にはドルの真っ赤な髪が映し出されていた。
日の光に照らされたら、きっとますます赤く燃え上がったような色になるだろう。
艶やかに輝くその隣には、血色のいい若い溌剌としたメイドの女の子。
それかドルと同世代の女の人で、もっと知的で、健康で…。
デイジーは自分が涙したのかも気付かないうちに、慣れ親しんだ暗闇に落ちていった。