昼と夜のデイジー 23

その日ドルはといえば、一応その後バーギリアの続きの章──森の小屋で魔力が漏れない金庫的なものを作る──を読み解き、宿題を出して帰って行った。
件のグィーガヌス刑事の件はメイド長からも聞かされたようだ。
「一応最近来た人から順番に取り調べを受ける予定で。
コルウィジェさんは…名簿の順だと休暇のあとになるかしら。
その前に外壁の調査ね」
「そう…騒がしくなりそうなのね」
「刑事さんとしては、お嬢様にも立ち会って頂きたいみたいで。
この御屋敷のからくりのクセみたいなものがわかるんじゃないかって」
グィーガヌス刑事のその推測は最もで、しかも的確だった。
デイジー自身も最初に見つけたからくりよりも、二つ目、三つ目のほうが見付けやすかった記憶がある。
─────でもちょっと嫌。
「家の中まで踏み込まないでくれると嬉しいけど…」
せっかくこれまで暇にあかせ…いや、デイジーの大切な時間を注ぎ込んで一つ一つ詳らかにしてきたデイジーの家の秘密達が、ずかずかと他人に踏み荒らされるのは癪に触る。
「その辺りは、旦那様がどこまで許可するかにもよりますし」
「ん…そうね。お父様次第よね」
応対と情報に礼を言い、部屋に戻ると、そのままベッドに仰向けに倒れ込む。
─────外側にからくり?
もしかしたら外から、この家の住人が誰も知らない所から中に入れるかもしれない。
自宅の安全が全く保証できなくなっている割に皆のほほんとしているのは、階下付近に腕っ節に自信のある召使が常時控えて作業をしており、デイジーの身の安全がある程度確保されているからだろうか。
はたまた、実際は父も含め誰もデイジーのことなど心配しておらず、自分自信は狙われるはずもないと安心しているからだろうか。
その答えの判明はすぐ翌日の朝だった。

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「おはようございます。お嬢様、こちらは」
朝食を終えてすぐ、メイド長に紹介されてダイニングに入ってきたガタイのいい男。
「ヤマダです」
流石メイド長。仕事が早い。
しかし本当に山のような高さだ。
デイジーは顔をかなり急な角度の斜め上にあるヤマダの顔に視線を向けた。
しかしどうやったらあんなふうに筋肉が付くのか。
ドルを8割増にした感じの体格の良さだ。
この街のようにそれなりに犯罪もあって金持ちもいる地域では、仕事に困ることが無い人物なのが窺えた。
「今日からよろしくお願いします」
型通りスカートの両端をつまんで膝をかるく折り曲げるデイジーに頭を垂れたヤマダは、そのまま私の数歩後ろを着いてきた。
説明どおり部屋の入り口に仁王立ちすると、部屋まで入ってくることはなかった。
もうしばらくで勉強の時間。ドルがくるはずだ。
ヤマダとドルが並ぶ様を想像するだけで笑いがこみ上げる。
岩のように角張ったヤマダとドル。
でももしかしたら年齢的には近いのではなかろうか。
─────そういえばドルの年齢っていくつだっけ。
気にしたこともなかったが、私の5つ6つ上くらいだろうと勝手に決め付けていた。
来たら聞いてみようか、そう思ったところで、ドアの向こうから足音と声がする。
自己紹介を終えたところで、いつものようにドルはドアを開けた。
チラリと向こうに見えるヤマダの顔はドアの上にはみだしており、鼻から下しか見えない。
対比的にみたらどうだろうと思っていたのにあれでは完全に背景だ。
残念に思っているうちにドアは締まり、何時もの空間になった。
「昨日の今日で厳重警戒だね」
おどけるような口調で勉強机に本を開いている。
「山かと思った」
ぼそっと──おそらくドアの外に聞こえないように──呟いたドルに思わず吹き出した。
ため息交じりでデイジーの隣の椅子に座る。
「まあよかったじゃん。
私設のボディーガードじゃなくて警察の人の可能性だってあったと思うし、まだ、ね」
確かにそうだった。
外壁の件の鍵になるのはデイジーの知見なわけだし、重要人物ともいえる。
そしていまさら気付いた。
もしかしてその内通者かもしれない誰かが実在していて、デイジーと懇意で、いやそれどころかデイジーもそこに手を貸している事だって疑われているかもしれないのだ。
事実は何も知らないわけだが、面倒といえば面倒。
こういう時に踏み込んだ対応が遅くなるのは父の財力という障壁のおかげであった。
疑ってますよ感満載の警察官がヤマダの代わりに部屋の入口、いや入り口どころか部屋の中に始終はりついていた可能性があると思えば、益々有り難みが増した。
「お父様許可の元で調査が入ったら状況は変わると思うの。
ドルの休暇にボディーガードが付いてくることはないと思うけど…」
外から入れる隠し部屋の件が片付けば万事解決と思っていたが、デイジーが疑われている可能性があるとなるとその時こそ警察官かもしれない。
家から出て人目がそんなに無いところで楽しく過ごせると思っていたのに。
─────誰と?
何を待ち望んでいたのかに気付き、真っ赤になる。
「一応家のほうではもう一人二人来客が増えてもいいように準備しておくよ。
…ん? どーした?」
冷静な声音で1ページ目を開いたところで一時停止したドルは、デイジーの額に手をあてた。
「ちょっ…!」
思わず手を振り払おうとするも、軽い動きだったせいかドルの腕に当たっただけだった。
「…熱はないね。
何その顔。
そんな察されちゃマズいことでも考えてた?」
「違うわよ」
「そう。
じゃ図星だと思っとく。
今日から2章目ね」
具体的な反論を聞く気もないのか淡々とページを開いて説明に入っていく。
デイジーとしても蓋をした方が好都合だし、ぎゃーぎゃー騒いでヤマダが突入してきても面倒。
それが分かっているのに、意見陳述を許されないのがそれはそれで癪だった。
ふてくされながら本に目を落とす。
…が、また『魔女バーギリア』だ。
「子供向けの翻訳で出版されている分は第一章だけだから」
『うんざり』というデイジーの心の声を察したようにドルは説明に事情を挟み込んだ。
これだから長編古典文学は厳しいものがある。
「じゃ、ここのバーギリアの台詞は?」
「『クチダケオトコよ、あなたが箒に乗れなかったのはあなたの魔力が私より少ないからです』」
「惜しい。『ずっと少ないからです』」
「ああ、これか。しまったー」
「だいぶ読めてきてるよね」
今までよりも内容が理解できるようになっていること、ドルの指摘に付いていける様になっていることに自分でもびっくりした。
でも、びっくりしたなんて顔はしない。
「…でしょ?」
ドヤ顔で返すと、ドルが笑った。
「うんうん」
何に同意しているのか分からない「うん」を繰り返すドル。
それが何を指すのかは分からないけど、デイジーは嬉しくなった。
と同時に、少し不安になる。
「これで私、同世代の学校に通ってる子たちと同じくらいになれてる?」
比較対象がない生活をずっとしている。
同じになりたいと思っても同じになりようがない中、せめてもの指標が欲しい。
今迄の家庭教師が出していた課題は途中からまともに取り合ったことがなく、そうしていくうちに内容のレベル云々よりも『やらない』ことの方がデイジーの中で優先タスクになっていた。
ドルが来て初めて、多少勉強するようになったのだ。
するようになって、いや、できるようになってきて初めて、自分がどこにいるのか気になる。
大丈夫なんだろうか。
今更頑張ったって無駄なんじゃないんだろうか。
「古文はね、同世代と同じくらいには読めるようになってるよ。
他はやってないからわかんないけど」