昼と夜のデイジー 22

「違法…取引?」
こういう時はとりわけ不思議そうな声色で話すこと。
大人に対して普段するその顔でデイジーがその瞳を向けると、グィーガヌス刑事は普段大人がするように──あえて作ったようにも見える真剣な顔で──答えた。
「そうです。
要は代筆ですな。
依頼人は本来学術論文を発表した時に得られるより多くの金銭を払うことで名誉を買う。
代筆者は金が手に入る」
悪い。
確かに悪いのだが、どうにもそれに対して犯罪だと騒ぎたてる必要を感じないのは私がスレているのだろうか。
このへんは商いが盛んなのもあり、泥棒やら強盗やらといったもっと即物的な犯罪が満ち満ちている。
そんな中、論文の違法取引は警察官が目一杯入れ込む仕事にはどうしても思えない。
「問題…です…ね…」
つい子供らしからぬ口籠り方をしてしまった。
聞いたグィーガヌス刑事は笑った。
「お嬢さん、案外分かっているようですな。
そう。ですがこれはいけないことなのです。
だってね、本来『共著』とすれば問題ないのですよ?
真面目に一人で論著を記している人間からすれば、ズルもいいとこです。
論文の評価によっては国から研究費用なども出ます。
独り占めと山分けじゃ全然違うわけです」
真面目に一人で、ねぇ?
どうもやっぱり変な感じ。
刑事と名乗ったこの人物の人相が絵本の魔女のようだからだろうか。
「腑に落ちない、と」
にたりとした刑事に一瞬背筋が凍りそうになった。
「いや、アドルノ家のお嬢さんのお話、結構噂になっていますもんでね。
なかなかに、なかなかに…」
なかなかに…? なんなんだろう。
口籠る姿を見るに気持ち悪い。
部屋で待っているだろうドルのことを思い出し、気持ち悪さが緩和した。
「あの…」
グィーガヌス刑事はかぶりを振った。
「いや、これは失敬。
本題に戻りましょう。
実は最近尻尾をつかんだ犯行の中で、もしかしたらこの屋敷の一室がどこか利用された可能性があるのです。
魔法が使われた痕跡はないのに、このあたりで足取りが途絶えている。
そこでこの御屋敷に目をつけたわけですわ。
伺いたいのは、玄関以外に屋外に入り口がある隠し部屋のようなものがないかということ。
如何ですか?」
面食らってしまった。が。
「いえ、それは存じ上げません」
そう。中から外に出る扉に行きあたったことは過去に一度もない。
外から中はこのひ弱な体である。調べようも無かった。
「本当に?」
ずずいっとぎょろ目を見開いて近付くグィーガヌス刑事に後退りしそうになりながら、デイジーは踏ん張った。
「本当です。誓って」
デイジーの瞳の奥を覗き込んで暫し。
納得したのか、グィーガヌス刑事はさささっと元の位置に戻って直立した。
「そうですか…。
では、屋敷外壁の調査の許可を後日いただきたく。
お父様…このお屋敷のご主人の在宅日を教えて頂きたい」
「ああ、それは私にも細かくは分からないわ。
いつもお仕事の都合で前後しますし。
メイド長、あとは」
「はい、確認してまいります」
「お嬢様」
メイド長が確認しに一時控え部屋に戻り、門兵だけになったその隙に、グィーガヌスは尋ねた。
「最近このお屋敷に新しく出入りし出した人間、おりますかな?」
いる。少なくとも一人。
─────ドル。
たった今二階の私の部屋に。
確かに怪しいし、疑われるのは当然だけど。
「いるのはいますが、詳細はメイド長の方が把握しておりますわ。
私、一人一人の顔までは…」
嘘は付いていない。
人の入れ替わりがそれなりに激しい使用人達を毎回全て把握出来てはいないから。
「ふぅ〜ん…」
またさっきと同じように顔を近づけるグィーガヌス刑事に、また同じように後退る。
「グィーガヌス刑事!」
メイド長だった。
─────助かった。
「では…」
軽く会釈してそそくさと部屋に戻る。
背中に刺さるような視線を感じ、メイド長の声を聞きながら二階の部屋に戻る。
そんなことがあったとは露知らずとみえるドルは、教科書と言って憚らない『魔女バーギリアとおかしな森』を熟読していた。
「おかえり〜」
こんなふうに顔を上げてかる〜い口調でへらへらされると、グィーガヌス刑事にあの場で突き出してしまえばよかったんじゃないのかという後悔。
先に立たずとはこのことか。
深く溜息をつきながら椅子に座って初めてドルは本を閉じた。
いいのか? 寧ろ勉強再開なんだから、本は開く所じゃないのか?
訝しげなデイジーに同調するように訝しい顔になったドルは、瞬きもせずにじっとこちらを見据えた。
「下でなんかあった?」
「なんで下に降りたの知ってるの?」
「だって階段下る足音してたし、なんか返事してたっぽいし」
「そこまで聞こえてて…」
したり顔のドル。こうもコロコロと表情を変えられるとこっちが疲れてしまいそうだ。
ただでさえさっきまで妙な緊張感が走っていたのだし。
「いや、だって出るのも筋違いな気がするしさぁ。
僕、部外者でしょ?」
寧ろ最重要人物だ。
しかもデイジーが見ても、怪しいところは満載なのだ。
箒とモップの件といい、女装してここに忍びこんでいた件といい、この調子のいい所といい。
「あのね…下に刑事さんが来てたの」
そんな怪しさが分かっていながら、なぜ自分が今グィーガヌス刑事との一件をドルに喋っているのか。
「へ? なんでまた?」
タダでさえ高めのドルの声が更に高くなる。
「この辺に犯人の出入りがありそうなんだって。
この界隈の新入りを調べてるみたいよ?」
もしドルがそうだったら。
思わないわけはない。
だからあのとき三日後と分かっている父の帰宅日を何となくボカしたのだから。
そして今、刑事から家の外壁から中に入れる隠し通路の話を伏せているのもそれが理由だから。
ここでドルが逃げたら?
家庭教師の仕事は?
私は?
「なるほどね…」
神妙な顔で、意味深ともとれるが普段どおりとも取れるドルの相槌。
ぱっと目を見開いたかとおもうと、
「ま、いいや。
別に僕なんも関係ないし」
二の句が継げずにいるデイジー。
というか継ぐ必要もないんだけど、でも。
─────もうちょっとなんかないんかい!
階下で緊張しきりだったデイジーは、ドルのあっけらかんとした反応に我知らず内心ノリツッコミをしていた。