新説 六界探訪譚 14.第六界ー9

BGMは途切れ。
カラフルだった照明が一気に青一色に変わる。
踊っていた連中は笑顔のままケチャップを手にし、阿波踊りのように腕を上に挙げて一斉に右往左往し始めた。
え? え? 何?
どっかで嗅いだことある、チープで化学的で体に悪そうな癖に、食欲をそそる匂い。
あの紫のやつの残り香か?
右手首に結ばれた紐が引っ張られ、右腕が軽く持ちあがった。
紐でこすれて手首が痛い。
コウダは?
引っ張られたその先。
…なんだそれ。
紫色のテラテラと光る手。
ゴムのようなプヨっとした腕がブラブラU時に揺れた。
関節とか骨とか一切なさげ。デフォルメされた手の形。
白と黄色の、何かぐちゃっとしたものが付着してる。
その手はコウダの両腕と胴体をしっかり握りしめていた。
手らへんと足を空中で動かしてみてはいるけど、紫のやつはがっちりホールド。
一方地上で逃げ惑う連中は逃げ惑うだけじゃなくなってきて。
紫の手をケチャップのポリ容器で殴ったり。
同じポリ容器で連中同士殴り合ったり。
破裂するポリ容器からケチャップが飛び散り、紫の手が撒き散らす臭いとその臭いが混ざる。
シュシュシュシュッ
またいくつもの風切り音とともに何本もの紫色の手が、どこからともなく伸び。
今度はコウダじゃなく、逃げ惑う連中の何人かを地面に押さえ込んでる。
押さえ込まれた奴は、それでもなお笑顔のまま、その場で踊り続けケチャップ塗れになった。
またしても漂う覚えのある化学的な匂い。
分かった。
この匂い。この紫の奴の正体。
じゃんけんグミだ。
握れてるとこからするとパーだな。
こいつら生え際は?
押さえ込む複数の腕を辿ってみると、四角錐の上。
あの白い月が降りてきて、四角錐の上まで来ていた。
月…じゃない。
じゃんけんグミの生え際からボトボトと、月の周縁からはパラパラと何かが落ちている。
レモンの爽やかさ、焦げたメレンゲの香ばしさ。
月の模様と見間違えてたレモンタルトのメレンゲの焦げ跡を破って突き出た紫の手。
まろやかなカスタードがそこから落ちて基板にへばり付き。
振動で部分的に割れ、はがれ落ちたタルト生地の表面が、さらに細かく割れながら降り頻る。
青に照らされ薄紅色の桜の花びらは最早薄紅色ではない。
それは茶色の雪の合間を縫うようにひらひらと舞った。
状況も、臭いも、景色も、何もかも最悪。
あの薔薇がダメだったってことか?
コウダ、なに間抜けなことしてんだよ。
ぼやいてる間にじゃんけんグミの一つがその手の平に誰かを乗せた。
ひょっとこの柄の浴衣の袖が、足場にしてる紫の手の動きでちょっとだけ揺れる。
般若の面で顔が全く分からない。
男は俺とコウダを結ぶ、ピンと張られた紐に触れられる距離まで来ると、おもむろに胸の合わせ目に手を入れ、そこからハサミを取り出した。
そのまま紐を。
待て。
おいちょっと!!!
シャキン
全ての音が消えたように思えた。
その瞬間、コウダは一気にもっと俺から遠いところへ。
あの四角錐の天辺近く、丁度タルト生地の下まで引き上げられた。
コウダは紫の手の中で声すら出せずに口をぱくぱくさせてる。
相変わらず身じろぎしても掌ちょこっと。あと足を空中でバタつかせるだけ。
「降ろせよ!!」
紫の手が一瞬コウダを手から離した。
「ああああっ!! …ハッ…ハァ…ッ…」
殆ど落下しないところでまた把み直され。
コウダの顔が白い。
あの、いつもなんだかんだいって冷静なコウダが。
肩で息して目を泳がせてる。
多分俺の顔も青くなってることだろう。
俺の内面で俺の内面がやらかしてる事なのに、当の俺には事態もわかんなきゃ今の自分の顔色も分かんないなんて。
コウダの呼吸は多少整ったようだ。
そのタイミングを見計らったように、紫の手はそのままコウダの上半身をメレンゲに突っこんだ。
一瞬で取り出されたコウダ。
帽子でガードできたのか、目元だけはクリームが付かずに済んでるけど、口から腰までがほぼ黄色く塞がった。
せめて呼吸器官の穴をあけるべく、口回りのクリームを舐めとってるところに、般若の面の男を乗せた手が近付いていった。
コウダに拒否権はない。
男は袂に手をツッコみ、紙とペンを出し。
何かを書いて、コウダに見せた。
なんだ…?
コウダは頷いてる。
またその紙を見せる。
コウダは頷く。
これを3回繰り返したところで、コウダはカッとなったように叫んだ。
叫んだ拍子に口からの荒い息遣いと振動で、舐め取れなかったクリームが飛び散る。
「旨かった! 旨かったって!
でもな、どんな旨くたって食い方ってもんが…ぶグッ」
じゃんけんグミがコウダを、今度は全身レモンタルトに突っ込んだ。
またすぐ取り出されたけど、今度はもう目元も黄色のねとねとで侵略され、コウダの顔って認識出来無い。
般若の面の男は手で拭った。
また紙をコウダに見せてる。
唇の動きから、コウダは多分こう呟いてる。
「おいしかったです」
帽子の庇の影から般若の面の男を睨み付けた。
こんなんなってんのにあの帽子がコウダの頭から離れてないの、ファンタジーだわ。接着剤で頭に貼ったのか?
いや待て違うぞ俺。今そんなこと気にしてる場合じゃない。
俺が脱線してるうちに、男を載せた方の紫の手は地面の、俺の前までやってきてそのまま男を降ろし、ゆっくりと縮んだ。
男の後ろには四角錐。
その上に浮ぶ巨大なレモンタルトから放射状に降りるじゃんけんグミは、パーで地上の踊り手たちを押さえ込んでいる。
みんなケチャップと、カスタードと、メレンゲと、タルト生地と、桜の花びらに塗れてもう誰が誰だかわかんないくらいだけど。
それでも踊り手たちは基板の部品の上でなおも手足をくねらせ、横倒しになったまま踊り続けていた。
痛くないのか。あいつら何なんだ。
てかこいつもなんなんだ。
般若の面でひょっとこの柄の浴衣を着た男。
背格好は俺と同じくらい。
肌の色も。
近づいてくる。
あの肩の感じ。
髪型も俺と同じような。
手の形だって。
まさか…。
俺の前1mの所で男は止まった。
面をゆっくりと、後頭部にその顔部分が来るように回している。
男の額には傷があった。
縦に入り、芝生のようになった前髪から覗くそれ。
目と、鼻と、口。
にっこりと笑う。
嫌な顔だった。
毎日鏡で見る顔は、笑顔という見慣れない形に歪んでそこにあった。