新説 六界探訪譚 13.気違いじみたゲームー5

「やっぱ木曜日の時間割サイテーだと思うわ」
最もだ。
体育の後に数学なんてやるべきじゃないと思う。
でも、今日は体育も数学もどうでもよかった。
そんなのよりもビッグイベントがあるから。
靴屋の角で待ってるはずのコウダをガン無視して帰るっていうイベントが。
矢島と帰ることになったのは好都合。
というか寧ろ救い。
そんな俺の脳内は露ほども知らない矢島が繰り出す話題に付き合ってると、緊張は多少緩和された。
矢島に限らず大抵の奴が俺の頭ん中なんて分っちゃいないだろうな。
それなりにひととなりがわかってる程度の同クラの奴らの『中』はあの調子だった。
ただでさえ何考えてるかわからんとか言われてる俺のなんて周りから見たらブラックボックスもいいとこなんだろう。
「アイチャン」
「ん?」
「んん…」
矢島は唸って、いつもなら『じゃーっ』つって終わりになる松乃屋を通り過ぎたあたりでぴたっと止まった。
「フラれた? それとも告るまえ?」
「は?」
唐突過ぎる。
しかもなぜかこの前親父に聞かれたのと若干被ってるし。
なんでそうなったのかちんぷんかんぷんになってるうちに、矢島は内訳を披露してくれた。
「いや、今日さ、四月一日が『なんかアイチャン、ヘンだよね』って言うもんだからさ。
そうなんかなーと思って」
う゛。
四月一日、俺の様子が違う事に気づくのは流石鋭いけど、
「違う。そういうんじゃねえ」
「ふーん…」
まだじろじろ俺の顔を見回してるところから、納得してない様子。
なんか言い訳しとくか。
「進路のやつ。三者面談で話出たら親父なんていうかなって」
今日もらった紙はクリアファイルに挟まって鞄に収まってる。
それはそれで確かに懸念事項なわけで、まあ間違いじゃない。
矢島は益々眉をひそめた。
「それさ、なんかあるっしょ。他に」
「なんで」
「だって、アイチャンいつもはマルペケだけで理由なんて言わずにスルーするばっかだからさ。
今の、咄嗟に思いついた口実デショ〜?」
しまったすっかり忘れてた。
矢島はこういう言葉尻捉えるの得意だった。
今俺なんつったらいいんだろ。
言葉が出てこない。
二の句を告げずにまごつく俺を見て溜息。
「まあ…いいよ言えないんなら。
勝手にフラれたか告る前かだと思っとくことにすっから」
不貞腐れた様子で遠ざかる矢島は如何にも裏切られた感を背中から滲ませていた。
ごめん矢島。上手く言えなくて。
さくっといいかんじの言葉にできなかったせいで矢島に嫌な想いをさせちゃったかな。
でもどのみち相談してもどうにもならん類のやつだ。
俺が決めたことで、やろうって思ってて、でもちょっとだけ後ろ髪引かれるっていうウジウジした単なる感情論だから。
こんなんじゃ周りに益々迷惑だよな。
今来た道を振り返る。
ずっと向こう、靴屋の角。
チラッと帽子が見えた。
こっちを見てる。
脈打ちだす心臓。
…大丈夫。決めたんだから。
大きく息を吸って、踵を上げて。
高架下の影を、真っ直ぐ入っていく。
買い物して帰る。買い物して帰る。買い物して帰る。んで晩飯の準備と弁当の準備。終わったら宿題。
自分がこの後やる事を確認していると自己暗示をかけて、ちょっと残ってた罪悪感を上書き。
向井は今頃靴屋の角を曲がって下校中だろう。
真っ直ぐに歩いて行く道のりと、車通りだけ多い大通りの人気のなさに安心する。
信号が青になり、歩き出すのは俺一人。
買い物して帰る。買い物して帰る。買い物して帰る。んで晩飯の準備と弁当の準備。終わったら宿題。
後ろから足音がする。
『中』で聴きなれたピッチで踏み鳴らされるそれ。
右足を大きく一歩前に。
左足を蹴り上げる。
真っ直ぐ。
大通りを渡り終えたところ。
まだ追いつかれてない。
ってかコウダと俺の脚の速さはぶっちゃけ同じくらい。
コウダの方が速い位置から走り出してるとすると、俺に追いつくはずない。
大丈夫。
全力で誰もいない細い道を走る。
金網のフェンスの注射場。
焼肉屋の換気口からは早くも煙が吐き出され、肉の臭いが散っている。
学ランに纏わり付くその煙。
ビルの一階でタバコを吹かす黄色の安全ヘルメットをかぶった現場のおっちゃん。
向かいから来るチャリの後ろの子供が乗るとこに買い物袋を乗っけてペダルを踏み込むお婆ちゃん。
スーツの男二人連れの背中を追い越して。
二谷堀駅が見えてきた。
振り返る。
…いねぇ。
コウダが居なくなった。
いないってことは、どういうことだ?
スーパーでしめじをまとめ買いし、水菜を買い、牛乳を買い、豆腐を買い、肉を買い。
自動ドアを出て風を受けたそこに、コウダは立っていた。
息が整ってる。
あー…そっか。
行動パターン監視されてっから逃げても無駄ってことな。
家の場所は割れてるから、どの道ってのは分かってたつもりだったけど、早かったなぁ…。
激おこのコウダはどこか怒った親父を思い出させた。
たぶん母さんの悪代官顔と同じく、目一杯怒った大人って皆般若顔になるんだろう。
じっとオレを見据えたまま瞬きもせず口も開かない。
ぴくっと動く素振りすら見せない。
ひるむな俺。
大丈夫だ俺。
気持ちを奮い立たせ、コウダを無視して駅の方に歩き出す。
つかつかつか
つかつかつか
コウダは俺の歩幅に合わせ、後ろにぴったりとくっついて歩いてくる。
恐らく30センチも離れてない距離に体があるだろう。
背中の左側と後頭部に圧を感じる。
わざとだな。無視むしムシ。
普段なら時間の節約とか言ってそれなりに歩きながら喋るのに、一言も言葉を発しない。
それも圧になってるけど、無視むしムシ。
家への道を歩く。
コウダ、そのままついて来る気だな。
歩く速度をやや速めからスーパー速歩きにギアチェンジ。
危うく歩道のへっこみに爪先を引っ掛けて足首をぐりっとやりそうになるのにも負けない。
後ろのコウダは『中』にいた時はこういうとき手を出して助けようとしてくれたりしたけど、全くその気はないらしい。
ひたすら俺の後ろを無言で付いてくる。
そっちがその気ならこっちもこっちだ。
スポーツのように無心に速歩きを続けていると、いつもよりだいぶ早く家に付いてしまった。
玄関を明け、敷居をまたぐ。
すぐに振り向き閉めようとした扉は、大人の男の力でがっちり押さえ込まれていた。
隙間からコウダの顔が俺を見下ろしている。
んんんんっ゛!!!
両足に踏ん張りを効かせ閉めようとするも。
最初は両手がやっと入るくらいだった隙間は少し、また少し隙間は広がり。
くそ…くっそおおお!!!!!
コウダの右足、右肩、頭…。
指がちぎれそうだ。
そのときコウダは軽く俺のからだをドンと押した。
っつぅ…。
乱雑に置かれたサンダル類の上に尻餅を付く。
ピシャッ!
玄関の鍵を掛けたコウダは、俺を見下ろしていた。
「来いっつったよな」