新説 六界探訪譚 13.気違いじみたゲームー6

尻餅で見上げる俺。
その上から覆いかぶさるように屈み込んだコウダは影を落とした。
俺にも、俺の多少薄くなってしまってる影にも。
「行かない」
虚勢を張ってるわけじゃない。
誓って、本当に、嫌だから。
鼻と鼻が接触しそうな距離までコウダの顔が降りてくる。
コウダの餃子喰ったみたいなーー餃子じゃなくても、ニラは絶対入ってると思うーー臭い息が掛かった。
他人の口から食い物の匂い嗅ぐもんじゃねぇな。
これ以上絶対接近したくないけど、引く気にならずにそのまま固まる。
コウダの上半身がちょっとぷるぷるしだした。
ああ、普段取らない超前傾姿勢に耐えられなくなったか。
おっさんだな。
自分も多分同じ姿勢を取ろうとしたらキツくなるだろうけど。
コウダはカッとなって追いかけてきた手前、姿勢がキツいなんて顔すんのはみっともないと思ったのか。
そのままナチュラルに体を起こし、ナチュラルに俺の横の、玄関先に腰かけた。
やっぱコウダ、おっさんだな、と口に出しかけてやめた。
俺も玄関先に尻を持ち上げて腰かける。
扉の模様ガラスから差し込む光が眩しい。
なんとなく『会話するぞ』ムードを感じたものの、こっちから話を切り出す気にはどうしてもなれず。
いつもダイニングテーブルを囲んで向かい合うか上野公園で地面に座るかだったせいもあり、違和感しかなかった。
時計の針の音は玄関では流石に聞こえて来ず、戸の向こうを通りすぎる人の足音がし、そこから入る光が一瞬さえぎられたけど、それもすぐ元に戻り。
時間だけが過ぎていく。
もう立ち上がって、靴脱いで、家ん中に上がろっかな。
膠着状態に飽きてきたところで、コウダの声がした。
「お前、俺が入り口開けないと入れないだろ。
『中』入れずに消えてもいいのかよ」
ぼそっと。
あんな激おこだったのに、怒ってるようには聞こえない。
むしろ心配してるような。
「良くはない」
普段は隣り合ってる時はまず俺の顔なんてみないのに、コウダはわざわざ斜めに座り直した。
「だから俺で手を打とう」
「俺はお前の『中』なんざ御免だ」
「俺は俺の『中』以外の次はないから」
また平行線。
これじゃ前と一緒でエンドレス。
どっちかキレて終了じゃんか。
「もっかい言っとく。
俺がいないと、『中』、入れないんだぞ」
「知ってる」
「『中』入れなかったら…消えちまうんだぞ。
今だってもう影薄くなりだしてんじゃねぇか」
コウダは不安気な顔で、部屋の中に伸びる俺の背中の影を乱暴に指差した。
口調、やっぱガラ悪ぃ。前ん時と同じだ。
怒りは治まってるような気がするから、もしかしてコウダの地金部分はこういう口調なのかもしれない。
今迄ずっと気をつけて大人語にしてたのか。
でもその地金を出してきて訴えたからって、俺の意見変わんないから。
「自分の『中』がいい」
馬鹿げてるって言われたらそれまでだ。
でも、家主の留守を狙って許可なしでコソコソ入るようなマネはもう嫌だ。
これまでさんざんやってしまったけど。
だからこそ、そのけじめを付けたい。
そのために、自分で、自分の家に、玄関から入ってみるべきだろ。
だって自分の家なんだから。
また一人、戸の向こうを人が通りすぎる。
また一人。
また一人。
それでもコウダは折れなかった。
とうとうポロリと出た言葉はこれだった。
「じゃあ消えろ」
コウダはすくっと立ち上がり、玄関の鍵をあけ、俺のほうに顔だけ振り返る。
「じゃあな!」
わざとらしく強い口調で出て行くコウダはどこか子供じみていた。
いや、子供は俺か。
主張だけしてるもんな。
でも、消えるの、俺だし、いいじゃん。
あーあ…。
ほんとに嫌になる。
何が嫌って、自分の打算的なとこがだ。
だって、コウダは多分、ギリギリになったら姿を表し、俺の『中』に入るのに同意するだろうから。
何故かというと、武藤さんとか、他の人の『中』で得た戦利品のことがあるから。
借金があるって言ってた。
返せるかどうか分からないとも。
武藤さんのとき、すごい高値で売れるかもしれないと期待感を滲ませてたから。
俺の存在が消えたら、もしかしたらその戦利品やらなにやらも、全て無かったことになるかもしれない。
だから、たぶん。
コウダは俺の一方的な主張を飲むだろう。
金の為に。
最低だ。
一方的って分かってて、人の弱味に付け込んでる。
保身のために他人の『中』に入りたくないって言っておきながら。
自分のやりたいことのためにコウダの気持ちを不意にする。
その上、コウダの心配そうな声色も、本当かどうか怪しいと思ってて。
だってそうだろ。ン億って金がちらついてんだから。
こうやって買い物袋と財布の中身を出すたびに、それがどういう金額か分かる。
想像がつかない金額だってことが、分かってしまう。
悲しかった。
こうやって何かを得るのか。
こうやって大人になるのか。
子供のように立ち去ったコウダ。
弐藤さんの『中』で砂を踏みながら歩くコウダ。
運動会を見ながら俺をうらやんだコウダ。
富士見坂で俺を睨み付けてきたコウダ。
ボクシングをするキャラに感動するコウダ。
相方さんの話を照れくさそうにするコウダ。
息切れしながら、俺の足の速さに驚くコウダ。
川藤さんの『中』で困り果ててたコウダ。
色々本当、最初からだ。
あのときコウダが俺を見捨ててたって、おかしくなかったんだけど。
なんで見捨て無かったんだろ。
しかもその結果がこれ。
俺につけこまれてるっていう。
コウダ、お人好しだぞ。
俺みたいなリアル中二の中二病患者に哀れまれるような状況に、自分で自分を追いやってんだから。
野菜類を片づけ、安かった豚ロースを細切りに。
突然、『別に悪気はないんだけど』というテロップが浮ぶ。
俺も佐藤の『中』とかで佐藤の口振り聞いてて、『俺別に悪気ないし』、そう思ってた。
でも今この状況になってみると、その台詞が大嫌いな自分がいる。
悪いとかいいとか、そういうもんじゃねぇ。
もうどっちに倒すか。
決めるってだけのことだ。
そして俺は、コウダの気持ちじゃなくて俺の気持ちを優先させた。
そういうことだから。
コウダに悪い?
そりゃそうだろう。
でも俺の『こうしたい』の犠牲になってもらう。
これまでの『中』だってずっとそうだった。
俺の安全、俺の見てみたいという欲望のために、誰かの内面に勝手に踏み込んで。
そして俺は、もうこれ以上勝手に誰かの内面に踏み込まないでいたいという俺の気持ちを押し通すために、コウダの気持ちを握りつぶすんだ。
だって俺がそうしたいから。
そういう一方的な、理屈じゃない力を、俺は今コウダに振るってる。
どういう力だ?
…暴力?
そうだ。これは暴力だ。
そして、もしかしたら、次で最後。
酒と塩胡椒を揉み込むべく豚肉をボールに入れて握る。
ニチョっと生の感触。
指の間から肉汁が滲んだ。