眼帯魔法使いと塔の姫君 9

ガチャリ
ミリーノは魔法使いが寝ている部屋のドアを開けた。もう夕食の時間だった。
「ご飯、食べれます? 一応お粥作ったのですけど…」
ドアをそっと閉めると、ベッドの横に持ってきた椅子に座った。
「お前、料理できるのか?」
意外そうな声色だった。それは当然のことだろう。王侯貴族というのは、普通自分で料理などしない。塔の姫君となれば、なおのことである。
「まあ…それなりに…」
ミリーノは少し目を逸らす。料理が出来るようになった理由は、自分の暗殺未遂事件だったし、お世辞にもいい思い出とは言えなかった。
魔法使いは、ゆっくりと上半身を起こす。粥の入った器を手元に置くと、スプーンですくって口に含んだ。粥は既に軽く冷ましてあったので、舌を火傷することも無い。
「…味がしない」
粥にはケリダという薬草を混ぜてあった。風邪によいと言われているが、少しえぐみがある。それが分からないということは、味覚が鈍っている証拠だった。まだ熱が上がるかもしれない。
だが、魔法使いは黙々と食べた。ぺろりと一皿平らげると、ご馳走様と言って、器をミリーノに差し出した。
─────食欲はあるんだ。じゃあそこまで心配しなくていいかも…
「そこの棚の…左から二番目、下から四段目の薬包を出してくれ」
魔法使いに言われるままに引出しを開け、中に入っている薬包を取り出す。中に入っているのは粉末のようだった。恐らくは風邪薬。自分で調合したものを、常備しているのだろう。
「お水、持ってきますね」
ミリーノは器を持って部屋を出て、台所へ移った。
夕食の支度や、看病に必要なものを探すのに、家中をうろついたため、ミリーノにもようやくこの家の構造が掴めてきた。
ミリーノがいた部屋を出てすぐの左手前のドアは、裏口。左奥のドアは、トイレだった。突き当たりのドアは、ダイニング。部屋の中にはもう一つドアがあり、どうやら玄関のようだ。玄関を開け、外に出たが、周りは林だけだった。二、三歩進んでみたのだが、見えない壁のようなものがあった。それにぶつかったおかげで、ミリーノの鼻は腫れ上がっていた。
そして、先ほどまでいたのが、魔法使いの部屋。書斎と実験室も兼ねているようだった。実は先ほどの粥に混ぜた薬草は、この部屋にあったものだ。他にも色々あったのだが、加熱調理できると確信できるのがケリダだけだったため、魔法使いに了承を取って、混ぜ込んだのだった。
─────さて、戻るか。
コップを持って、魔法使いの部屋へ戻る。魔法使いは、先ほど起き上がった体勢のまま、窓の外を見ていた。外は夕暮れ。木漏れ日も赤々としていた。
水の入ったコップを受け取ると、薬をさらさらと口へ流し込んだ。一瞬嫌そうな顔をするところが、なんだかおかしかった。
「起きてて大丈夫なんですか?」
ミリーノは椅子に腰掛けた。魔法使いは毛布にもぐりこむ。
「鼻はどうした」
唐突に聞かれると、余計に恥ずかしい。
「ああ、外の『壁』にぶつかったか」
「分かってるなら聞かないで下さいよぉ」
ミリーノはしゅんとした。
「あれは…組み込み式だからな。私の体調には関係しない」
魔法には、対象にあらかじめ魔力を注ぎ込み、一定期間効果を継続させる組み込み式と、常に魔力をかけ続ける注入式がある。
組み込み式は、一度の魔力消費量が大きいが、一度魔法をかけてしまえば、その後の労力は必要が無い。ただし、魔法の継続期間を変更する場合、また別の術式を用いることとなる。複雑な魔法は、大抵この方式が使われる。
それに対し注入式は、絶えず一定量の魔力をかけていなければならないが、魔力をかけるのを止めれば、簡単に魔法が解ける。魔力消費量も小さいため、短期間しか用いないもの、簡単な魔法だが、何度も解いたりかけたりしなければならないものには、こちらのほうが向いているのだ。
ミリーノの部屋のドアには、この注入式が用いられていたため、魔法使いが熱を出した時点で、魔力量が足らなくなり、魔法が解けてしまったが、見えない壁の魔法は、組み込み式で、魔方陣によって発動されているものなので、魔法使いの体調には影響されなかった。
これが、魔法使いの説明だった。
─────これだけ喋れれば大丈夫ね。
ミリーノはほっとした。
「じゃあ、ご飯食べたら、また来ますから」
ミリーノは一人台所へ向かった。