眼帯魔法使いと塔の姫君 10

 カチャカチャ
 ミリーノは流し台で食器を洗っていた。いつも無口な魔法使いと話が出来て、大いに満足していた。といっても魔法について少し聞いただけだが、これまで何かを専門的にやってきた人と話す機会は無かったので、それだけで嬉しかった。
─────『それだけで』? 何か他にあるのかしら。私。
 ミリーノは、自分の考えに疑問を持ちつつも、魔法使いの部屋に戻った。
 ドアを開けると、魔法使いはもう眠ってしまったようだ。寝息を立てている。相変わらず呼吸は少々荒い。まだ熱があるからだろう。薬のおかげで上がってはいないようだったが、まだまだ油断は出来ない。
 うっすらと汗をかいている魔法使いの額をぬぐう。魔法使いが目を覚ます様子は無い。
─────寝ていても眉間にしわを寄せてるのね。
 それは熱のせいで悪夢を見ているのかもしれなかったが、この魔法使いが眉間を寄せるのを見ると、なんだか落ち込んでしまう自分がいた。
 ミリーノは窓にカーテンをかけると、魔法使いのベッドの空きスペースに突っ伏して、そのまま眠りに落ちた。
 
 
 
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「ん…」
 ミリーノは朝日の眩しさに目を覚ました。ベッドには魔法使いの姿が無い。驚いて飛び起き、部屋のドアを開け放とうとした。
 ごんっ
─────えっ!? 何か当たった?
 ドアは十センチ開いたところで止まり、そのまま再びゆっくりと開いていった。そこに現れたのは魔法使い。額を抑えている。
「ご、ごめんなさいっ!」
 慌てて駆け寄るミリーノを手で制止し、ため息をついた。眉間にしわが寄っている。
「熱は下がった。お前も部屋に戻れ」
「ダメです」
「…」
「まだ本調子じゃないかもしれないでしょう。寝ててください」
「…嫌だ」
 珍しく返事をして、魔法使いはベッドに座った。そのまま外を見ている。どうやら『横になるのは嫌だが、飯は食ってやろう』というところのようだ。
 ミリーノは台所に歩いていった。そして、昨晩気づかなかったことに気づく。部屋の隅に、ホコリが溜まっている。物もなんだか雑多に積んである感じで、整理されているとは言い難かった。
 ミリーノは一つ、思いついた。二人分作った軽めの朝食を、お盆に載せて運ぶ。
「はい、ご飯」
「悪いな」
 ミリーノは魔法使いの詫びの言葉に驚いた。こういうことには詫びるのに、なぜミリーノを誘拐してきたことについてはノーコメントなのだろう。疑問を感じながら、ミリーノも食事を取ることにした。
「「いただきます」」
 食べ始める時の台詞がかぶる。お互いに顔を見合わせた。双方にくすっと笑いが漏れた。
─────こういうの初めて…
 ミリーノは自分で作ったサラダが、いつもよりもおいしく感じられた。魔法使いは、一口含むと、ボソッと言った。
「美味い」
 そのまま昨夜と同様に無言で食べる。
─────味覚も戻ったし、確かにもう大丈夫ね。
 ミリーノは安心して自分の朝食を食べ進めた。ミリーノが食べ終わるころには、魔法使いはもう本を読んでいた。
 しかし、ミリーノは、先ほど思いついたことを言おうと口火を切った。今までよりも、勇気はいらなかった。
「あのっ! 家事のやり方、教えてくれませんか?」
 魔法使いは顔を上げて、ミリーノを見やる。
「本も読んじゃったし、暇でヒマで死にそうなんです。少なくともお料理ぐらいは出来ます」
 きっと魔法使いは、なんてずうずうしい女なんだと思っているに違いない。ミリーノは期待しないで返事を待った。
「…この部屋に二度と立ち入らないのなら許可しよう」
「どういう…」
「聞いたままの意味だ。ここは私の書斎。あまり立ち入られて欲しくない。だが、他の部屋なら…五百歩ほど譲って許可しよう」
 百歩譲ったぐらいでは許可出来なかったらしいが、それでもミリーノは嬉しかった。思わず魔法使いの片手を、自分の両手でつかんでぶんぶん上下に振った。
「ありがとうごさいますぅ~!!」
 魔法使いは眉間にしわを寄せた。
「もう一つ、言っておきたいことがある。私の体にむやみに触れるな」
「どうして?」
「…どうしても」
 押し問答のようになってしまう。
「…分かりました。気をつけます」
 ミリーノに、新たな視界が開けた日だった。