眼帯魔法使いと塔の姫君 5

「飯だ」
ミリーノが誘拐されてから三日目の朝。魔法使いはまた食事を持って入って来た。差し出されるものを受け取り、食べ終わった夕食の食器を渡す。もう七度目なので、慣れてしまった。
「あの」
ミリーノはまた懲りもせずに声を掛けた。昨日の今日だが、今日は事情が違う。
「服を着替えたいのですが…」
実は昨日の夜思い至り、今までどうしてここに連れてこられたのかなどで頭がいっぱいだったのから一転して、それからは、ずっとネグリジェ一枚だったことで頭がいっぱいになった。
気づかなければ良かったのだが、気づいてからは、恥ずかしさでいっぱいになった。見知らぬ人に寝巻き姿を見られること、特に、男性に見られることが非常にまずいことぐらいは、ミリーノも承知している。
ミリーノは、自分が赤面していることに気づいていた。目の前の魔法使いと目が合わせられない。
ミリーノが勇気を奮って前を向いた時、目の前は壁だった。
─────やっぱり、ダメかしら。
女物の服など、すぐに調達できるモノではないだろう。あの魔法使いに女の知り合いがいるならまだしも、一人だけで自分を誘拐してきたのなら、手に入れるのは至難の技だ。
はあっとため息をついたとき、ドアが開いた。魔法使いは本と服を抱えていた。両方をそっとベッドの上に置くと、珍しく魔法使いのほうから言葉を発してきた。
「サイズは合うかどうか分からないが、とりあえず着ておけ。脱いだ服は…昼に取りに来る。風呂はもう少し我慢しろ」
ミリーノは唖然とした。先に服を調達しておいてあったようだ。それに服はともかく、ミリーノが何も言っていない風呂についてまで説明してくるとは。確かに、そろそろ体を流したいとは思っていたが、風呂に入らなくても死ぬわけではないと割り切っていた。
だが、入れるとなれば、入りたい。ミリーノは、『もう少し』の詳細を尋ねた。
「あの、いつ頃入れるのですか?」
真っ直ぐに魔法使いを見つめる。双方は立って向かい合っていたが、魔法使いのほうが明らかに背が高いため、ミリーノはがんばって上を向いた。立った状態でも上を向かないと口を聞けない人は、この魔法使いが初めてだったが、もう三日目で、これにも慣れていた。
「明日の夜」
はっきりとした口調。恐らく、何らかの手はずが整っているのだろう。
「ありがとうございます」
ミリーノは笑顔。むっつりとして、魔法使いは答える。
「礼を言われる筋合いではない。私は…誘拐犯に過ぎない」
眉間にしわを寄せた魔法使いは、少々荒っぽくドアを閉めた。
─────あの人、いっつも眉間にしわが寄っているのね。
いつもという訳ではないが、ミリーノと話すときは、大概一度、ぎゅっと両方の眉がよる。何か自分が気に障ることをしているのだろうかと、少々不安になった。
─────何で私、あの人の機嫌を気にしてるのかしら。
まさしく、先ほど魔法使いが言った通りである。誘拐犯に礼を言う人質。妙なものだ。
だが、あの人物は、何はともあれ自分のために何かしてくれている。ミリーノの口を塞いで黙らせることも出来るのに、それはしない。それ以外にも、ミリーノが用を足したくなったとき、何もしないでほかって置くことも出来るのに、魔法で仕掛けを作って室内で用を足せるようにしてくれた。こちらは、単に部屋が汚れるのが嫌なだけかもしれないが。
なんだかミリーノはあの魔法使いが悪人ではないような気がしてきていた。
─────ますます私を誘拐した理由が分からない…
ミリーノは、食事を食べ終わると、持ってきてもらった服に着替え始めた。が、その服には大きな問題があった。
─────これ、胸ちっちゃい…
若草色のドレスは、襟ぐりの開いたデザインで、胸元の露出度はかなり高い。ウエスト周りはぴったりだった。しかし、明らかに胸が小さいため、服が胸を圧迫して、つぶれた胸がかなり不恰好に露出していた。
─────恥ずかしいよぅ~
誰もいない部屋なのに、ミリーノは真っ赤になった。脱いだネグリジェを畳む。これを今までずっと着ていたことを思い出し、汗が噴出す。
しかしミリーノは、魔法使いがこの部屋に長居しなかった理由がそこにあることについては、まだ気が付いていなかった。

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「飯だ」
八度目。ミリーノは、茹蛸のような顔で、胸元を隠しながら言った。
「この服、胸が小さいのですけど…」
声は段々と小さくなっていった。
「手をどかせ」
「え!? それは…」
恥ずかしすぎる。ミリーノは目をあらぬ方向へ向けた。涙目になる。
「どの程度小さいか分からんことにはどうしようもなかろう」
ミリーノはやむなく手をどける。そして俯く。涙はどんどん流れる。
魔法使いは、すぐに一言何かを発した。ミリーノにはもちろん聞き取れなかったが、服の布地がするすると伸びて、ちょうど良いサイズに収まった。ミリーノの涙が流れた後だった。ミリーノはまだ俯いたままだ。
「ん」
ミリーノの視界に、骨ばった手と布切れが映った。お世辞にもきれいな布とは言えない。ミリーノは受け取って涙をふき取った。
布切れを魔法使いの手の中に収めるとき、その手に少し触れた。細い指がくっついた手。しかし、氷のように冷たかった。思わず上を向くミリーノの目に映ったのは、瞳を見開いた魔法使いだった。
魔法使いはそのままさっと目を逸らす。そして、部屋から出て行った。