自分を取り巻く炎の中で、ラムダはゆっくりと辺りを見回す。炎の制御には成功した。眼帯も上手くはずすことが出来た。後はもう”アレ”を呼び出すだけだ。
ラムダには、国王の傍の席にいるメアリがメアリでないことなど、とっくにお見通しだった。あの不安げな表情。メアリは絶対に見せないものだ。
こんな状態になった自分を心配するのはただ一人。ミリーノだ。
ラムダは恐れていた。ミリーノが自分に好意を寄せていることに。そしてそのことが、自分の何かを壊してしまうのではないかと。
もうそれが壊れてしまった今、恐れるものはない。
さあ、ミリーノに言おう。もしも召喚にしくじったら、二度と会えないミリーノに、自分が存在した証をやろう。伝わるだろうか。ミリーノとの距離は、眼帯が外れた状態で意識が伝わった事のない場所だった。
─────ミリーノ!
ミリーノが上を向いた。
─────聞こえているな。一度しか言わんぞ。
ミリーノはそのままラムダを凝視する。恐らくその姿すら判別しがたい距離にあるのに、何故か真っ直ぐに自分の目を覗き込むミリーノに、思わず微笑んだ。
─────お前に私の苗字をやろう。今日からお前はミリーノ・ラムダだ。
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─────嘘…
苗字をやる。それはつまり。
ミリーノは呆然としていた。自分の感情がつかめない。嬉しいのか、悲しいのか。その感情は、程なく決定した。そんなことを言ってくるということは、ラムダが生き延びる可能性が低いということに他ならない。
悲しみ。それがミリーノを覆う。
走ってくる人影が三つ。本物のメアリが到着した。
「国王陛下! そいつは偽者です!」
メアリが叫んだ瞬間、ミリーノの皮膚が波打ちはじめる。
「マルコのばかあああああ!」
ミリーノの心は声に出ていた。
ミリーノは見る見るうちにその形を変え、もはやメアリではなくなっていた。
ウロボロイゼンは来賓席を向く。国王のギョッとした顔は、横に立っている側近にとって一生忘れられないものになった。
ヴァンは咄嗟にミリーノにつかみかかった。
「だ、誰だ! 貴様!」
ミリーノは押さえつけるヴァンを振りほどこうとする。
「いやああああ!」
もうミリーノは理性まで消し飛んでいた。
─────マルコマルコマルコ…
頭の中で、これまであった出来事が走馬灯のように駆け巡る。
「誰か! この女を捕らえろ!」
ウロボロイゼンは、実の娘とは知らず、ミリーノを取り押さえるよう指示する。
死刑囚の炎といい、この事態といい、もはや処刑場は完全なパニック状態にあった。そして、ミリーノが取り押さえられる寸前に、それは起こった。
ゴゴゴゴゴゴ…
地面が揺れている。取り押さえようとした者たちは、突然の振動に慌ててふんばって体を支えた。ヴァンも例外ではなかった。
「あっ!」
ヴァンが体勢を崩した一瞬をついて、ミリーノは駆け出した。
起き上がったヴァンが見たのは、この世のものとは思えない光景だった。
駆け行くミリーノの向こうで、炎の中心からすり鉢状に地面がえぐれていっている。その動きは、地面に這うように広がった炎の端で止まり、中心付近は砂埃で何も見えなくなっていた。
ゴオッという音とともに、明らかに異質な真紅の炎ですり鉢が満たされる。
ミリーノはすり鉢のふちまで後一メートルというところで制止した。
─────迎えに来た。乗れ。
ヴァンは確かにマルコ・ラムダの意思を聞いた。
炎が晴れて。
そして、ヴァンは飛び立つ真紅の龍を見た。
ミリーノとラムダは、どこにもいなかった。