眼帯魔法使いと塔の姫君 19

「飯だ」
 最初にミリーノがここへ来た時のように、ラムダはミリーノの部屋に入ってきた。ミリーノは、もうそんな時間なのかと呆けながら、ベッドの脇に置かれる食事がたてている湯気に見入った。
 何か言おうと思うのに、つなぐ言葉が見つからない。いや、見つからないのではない。『ご飯ありがとう』でいい。そう分かっているのに、言い出せなかった。
 窓の外は暗闇。ラムダが出て行った部屋で、一人寝転んでみる。塔にいたころに戻った。ただそれだけだと思い込もうとする。なのに、未だに手をつけていない食事から、否応なしにラムダの香りがした。
─────本を読もう。
 ミリーノは何故かそう思い立った。もうこの家にある本はとっくに読み尽くしていたが、最近は家事にも余裕が出てきて、残った時間で何をしようかと考えるぐらいだったのだ。
 何でもいいから、ラムダから、塔から、いや、来るべき明日から目を背けたい。
 ミリーノは、生まれて初めて食事を残した。
 
 
 
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 翌朝。この国の王宮の敷地内にある塔のなかに、黒いローブを着た女と、役人が一人立っていた。
「…やられたわ」
 ローブを着た女は、手を前にかざして、ふっと力をこめる。一瞬、ぱっと床全体が光ったかと思うと、そこに赤紫色の魔方陣が浮かび上がった。
「げ。なんだこりゃ」
 男はヒキガエルの潰れたような声を上げた。
「移動魔方陣。しかも、塔の土台に組み込まれてるわね。どうりで見つからなかったはずよ。恐らく犯人がやったんじゃなくて、この塔の建築に携わった者のだれかだわ。犯人はこれ知っていた。そして…」
「塔の姫君を誘拐したってわけか。でも、この塔を建築した時に関わった魔法使いって…」
 女はため息をついた後、呟いた。
「…私が王宮付になる前の、先代王宮魔法使い。納得だわ」
「なにが?」
 男の役人には、何のことだか分からなかった。
「ああ、あんたは知らなかったわね。先代はね、塔に忍び込んだのよ。で、ばれて火あぶり」
「はあ!?」
「でも、どうやって忍び込んだのか、サッパリ分からなかったの。私も尋問したんだけどね。まさかこんなに凝ったのがあるとはねえ…」
 王宮魔法使いの女は微笑んだ。
「そんな話、聞いたことないぞ」
「だって、塔の姫君が『下界の人間と顔合わせた』なんて、世間に知れたら、えらいことになるわよ。知ってる人間には、あらゆる手を尽くして、ク・チ・フ・ウ・ジ」
 男は背筋がぞくっとするのを感じた。と同時に、目の前の魔法使いの目を覗き込む。
「ああ、私? 私は、ほら。一生遊んで暮らせるだけの金と、今の地位で買収されたわけ」
「…喋ってるじゃねえか」
「あら、ホント。ま、あんたが喋んなきゃあんたの身は安全よ」
 目を細めて笑う。男は聴かなければ良かったと後悔した。
「そのことを知ってるのは他に誰がいるんだ」
「私、国王、王子、あと…たぶん先代の弟子」
「多分ってなんだよ」
 微妙な引っかかりを残す魔法使いに、男は突っかかった。
「確証はないの。私が尋問した時も、何も言わなかったし。ただ、念のためそいつを殺しに向かった奴らは全員、『殺した』って言って、”死体を持ち帰らなかった”。わかる?」
「死体を持ってこれなかっただけじゃねえのか?」
「もうひとつ。戻ってきた奴らの体から、その弟子の魔力波動がぷんぷんしてたの。もう、分った?」
 指名手配されたマルコ・ラムダが、容疑者から犯人へと”昇格”した瞬間だった。