眼帯魔法使いと塔の姫君 17

「どうするとは?」
「『どうするとは?』だとっ! お前、計画と全然ちゃうやないかっ!」
 アルファは声を荒げた。
「お前はあの手記、解読したくないんか? もう目の前やないか。わいは忘れへんぞ」
 ミリーノはドア越しに、今か今かと待っていた。あの手記とは何か。自分はどう関係しているのか。ミリーノの心臓は、まさに早鐘だった。ドアの向こうに漏れているのではないかと不安になるほどに。
「お前、言うとったやろ。昔話の海賊ゼタ・ゼルダの生存説を裏付ける、魔法使いの手記。その肝心なところには魔法がかかっとって読めへん。その部分の直前に、『純潔なる乙女より純潔を奪いし時後の文は読めり』そう書いてあったって。純潔なる乙女、手に入れたやろ。塔の姫君やったら、絶対処女や。後はもうヤるだけやないか。それをお前、なにをのろのろ待っとんねん」
 ラムダは沈黙する。
「塔の姫君警護の財政圧迫で潰れたわいらの孤児院と、国王に処刑されたお前の師匠の敵討ちにもなる。用が済んだら孤児院建て直すのと違ったんか」
 ひたすら黙り込むラムダ。ミリーノは単に学問的研究の踏み石に過ぎない。それは、ミリーノを青ざめさせるのに十分だった。
「わいもなあ、暇やないんや。孤児院再興のための資金繰りもある。お前んとこに行くのやって、楽なこととちゃうんや。早よせえや。わいが見たとこ、向こうさんはまんざらでもない感じや無いか」
 ミリーノは祈るような気持ちだった。何に祈っているのかはミリーノ自身にも分らない。
 だがそれは、むなしい祈りに過ぎなかった。
「…ああ。そろそろな」
 ミリーノは、冷たく鋭い剣で胸の中心を貫かれたような気がした。
「そろそろやないわ!おま…」
 アルファが言い始めたところで、ラムダが手を差し出して遮った。
「防音、していなかった。まあ、ミリーノのことだ。部屋にいるだろう」
 そこで、会話の声は聞こえなくなった。
 ミリーノはいつのまにか部屋のベッドに横たわっていた。
「あはは…」
 泣いている。それは分った。流れ出る涙を拭く気にもならなかった。
 ラムダが欲しかったのは処女。別にミリーノでなくても良かったのだ。今まで手をつけなかったのは、あまり抵抗されたくなかったから。ミリーノはまんまと嵌ってしまったわけだ。
 何を期待していたのだろう。希望など、持つ理由が無いではないか。自分が誰か忘れたのか。
─────私は、塔の姫君ミリーノ。
 一瞬でも、夢を見た自分がいた。このままここで暮らすという夢。昔話のお姫様のような夢を。
─────ワタシハ、トウノヒメギミ。
 涙とは裏腹に、顔の筋肉が微笑む形に引きつっていた。笑っていないと、心がどこかへ行ってしまいそうだ。
「馬鹿な私…馬鹿なマルコ…」
 聞かなければ良かった。聞かせないで欲しかった。
─────これは、わがままですか?
 ミリーノは、生まれて初めて神に問い掛けた。
 
 
 
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「もし聞かれ取ったら、どうすんねん」
「手遅れだな」
 アルファはため息をついた。どうしても、聞きたいことがあった。
「なあ、お前、おかしいで。名前呼ばれるの、一等嫌いやったやん。よう覚えとるで。昔、いっぺん名前で呼んだ奴が半殺しにされたの。何でミリーノちゃんはオッケーなん?」
 まだあるで、と、アルファはテーブルに身を乗り出した。
「おまけに『ミリーノ』って、名前呼んでるやんか。わい、耳おかしゅうなったか思ったわ。ほんま。わいのことやって、名前で呼んだことあらへんのに。なんやしらん、特別やよなぁ、ミリーノちゃんだけ」
「ああ」
 あまりにあっさり肯定されたため、アルファは仰け反って椅子に尻餅をついた。
「何で!? 何でそうなるん!?」
 あらん限り声を上げるアルファをうるさがるようにして、ラムダは耳を押さえる。
「聞きたいか」
「めっさ聞きたいわ。どうやったらそうなるん? まあ、確かにミリーノちゃんは可愛いし美人や。が、お前は女に、っちゅうか他人に興味ないやんか」
 先日目の当たりにした光景を思い浮かべつつ、ラムダに尋ねた。
 ラムダは語り始める。それは、ミリーノが聞かなかった、ラムダの真実だった。