眼帯魔法使いと塔の姫君 15

─────もっと怒るかと思った。
 これが、ラムダに対するミリーノの率直な反応だった。怒るどころか説明までしてくれたのだから驚きだ。
 そしてまた一つ、ラムダのことが分った。それが嬉しかった。
─────あれ? 私、マルコのことニガテなんじゃなかったっけ。
 ミリーノは自分の感情の変化に思い至った。しかも、魔法使いのことを『マルコ』と呼ぶことに、抵抗を感じていない。そして、今、その人物のことを『ラムダ』とか、『魔法使いさん』と呼んでいたことが、ひどく不自然に思えた。
 そういえば、向こうは一度も自分の名前を呼んでいない。そのことに気づいたのは、夕食も食べ終わり、眠りに落ちる直前だった。
─────私の名前って、そんなにマイナーなのかしら。
 それは違う。ミリーノという名前は、この国では確かにマイナーだ。しかし、”塔の姫君ミリーノ”の存在は、周知のことだった。さらに、塔の姫君の名前が”ミリーノ”になったため、『縁起が悪い』といって、その名前を子供につける親がいなくなった。おかげでこの国に元々少なかった”ミリーノ”は、いっそう少なくなり、現在では『”ミリーノ”といえば塔の姫君』という状態なのだ。
 何か理由でもあるのだろうか。
─────名前、呼んでほしいなぁ…
 曲がりなりにも一月半も同居しているのだから、それぐらいのわがままはオーケーではないのか。ミリーノは勝手にそう決め付けた。それに、そう決め付けるだけの理由もあった。
 『今日の夜』には見せるといっていた例の何かは、結局今日中に仕上がらなかったのだ。ミリーノはそれをかなり楽しみにしていた。いつもよりも夕食に気合が入るぐらいに。しかし、夜になって、ラムダはこう言った。
『明日の朝まで待ってくれ』
 約束破りには、十分な代償が必要だろう。
 
 
 
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 その日の朝、ミリーノが起きてくると同時に、ラムダが部屋から出てきた。どうやら徹夜したらしい。目の下に疲労の色が見えていた。明らかに、足取りがふらふらしている。
「だいじょうぶですか? 朝ご飯、部屋まで運びましょうか?」
 ミリーノは昨夜考えた要求を少し忘れた。また倒れるかもしれない。そんな懸念が、頭をよぎったからだった。
「いや、いい。それよりも、そこに座れ」
 足取りの悪さと反比例するように、達成感に満ちた声だ。熱を出した時とは違っていた。ラムダは風呂に行く時のぼろぎれを持っている。
 言われるままに席につくミリーノ。おそらく作っていた何かが完成したのだ。ミリーノは目の前に何が出されるのか、心躍らせた。
 しかし、ラムダはミリーノの前ではなく、背後に立った。
─────え? 何で!?
 一体何がしたいのだろう。もしかしたら、ミリーノを誘拐してきた目的が、ここで明らかになるのだろうか。だとしたら、自分の命は…。ラムダとなんとなく打ち解けてきた気がしていたため、余計に不安になる。
 すっと、ラムダの手が、ミリーノの首筋に触れた。
「やっ…」
 思わず声を上げた。軽く身震いする。
「じっとしていろ。命に別状は無い」
「…ずるい」
 ラムダは今軽く首に触れただけで、ミリーノの心を読んだらしい。そのまま、ラムダは意外な行動に出た。
 ミリーノの伸びた髪の毛を、手でさっと一括りにすると、何かでぱちんと止めた。
「鏡」
 一声かけると、ラムダの両手に一つずつ、鏡が現れた。そのうち一つをミリーノに渡すと、もう一つをミリーノの斜め後ろに構えた。
「見えるか?」
「何が?」
 ミリーノは、急にスースーし出した首筋に気を取られていた。ラムダはミリーノの手を今度は布越しにつかんで、鏡の角度を調節し、合わせ鏡になるようにした。ミリーノに、自分の後ろが見えるように。
「…あ…」
 ミリーノの髪は、髪留めでまとめられていた。
 透明で、形は長方形。しかも、バラの花が彫りこんである。
 ミリーノは思わず手を後ろへやった。触ってみると、さらに不思議である。ガラスではない。むしろ、手触りはべっ甲に近い感じだった。
 だが、ミリーノにとってそれはどうでもいいことだった。
「前々から髪の毛が邪魔そうだったからな。これがあれば、自分で何とかできるだろう。細工のほうは私の実験だ。中々楽しめたぞ。一般市場への普及は難しいだろうがな。止めるのが面倒ならもう髪を切ってもいいぞ。それはいざというときに使えば…」
 ミリーノは椅子から立ち上がった。椅子を戻し、くるっと後ろを向く。ラムダとの距離はおよそ五十センチ。
 ミリーノはその距離をゼロにした。