眼帯魔法使いと塔の姫君 12

「お昼ですよ~」
 書斎のドアの前で、ラムダを呼ぶ。
「すぐ行く」
 ラムダは、いつものごとく無感情に答えた。ミリーノはその声を聞くと、いそいそとダイニングへ向かう。食事の準備は完璧だった。
 二人は向かい合って食べ始める。
「いただきます」
「いただきます」
 ナイフとフォークの立てるカチャカチャという音が、部屋に響いた。
「あの…ラムダさん、聞くの忘れてたんですが、さっきの方って…」
「私とは当人が言っていた通りの関係といって差し支えないだろう。正確に言うと、私がいた孤児院にあいつもいた、ということだ」
「え?」
 『さっきの方って何をしに来たのですか』と聞こうとしたのに途中で遮られ、いきなり”孤児院”などという単語が出てきたので、ミリーノは面食らってしまった。
「…ラムダさんの…ご両親は…」
 ミリーノは恐る恐る尋ねる。かなり失礼な質問だったが、ラムダは何のこだわりも無かった。
「うっすらは覚えているな。ただ、”親”ではない。私には『どこかの誰か』だ」
 淡々と食事を続けた。
「じゃあ、苗字はどうしてあるのです」
「私のいた孤児院では、一定年齢になって孤児院を出る時に適当な苗字を与えられることになっていた。初代院長の名前である”ベータ”にちなんで、古代文字から選出したものを使ってな。文字に特に意味は無いが、言ってみれば卒業記念のようなものだ。ただし一生付きまとうが」
 少々皮肉っていた。ラムダは自分の苗字を好いていないのだろうか。それでも、ミリーノはやはり羨ましかった。
「なぜ、そんなに苗字に拘る」
 ラムダにそう尋ねられた時、ついその羨望が現れたらしかった。
「私には、絶対に手に入れられないから…」
 そう言ってから、ミリーノは少し後悔した。どうしてそんなことをこの男に話しているのだろう。
 その後は、沈黙が続いた。いつのまにか食事はすっかり片付いて、その場に奇妙な空気が流れた。
 
 
 
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 夜。ミリーノはまた三日ぶりに風呂に入っていた。夜空を眺めると、前とは違う星空が、ミリーノに見られるのを待っているようにも感じられた。
─────やっぱり、外はいい。
「おい」
 突然、ラムダが声を発する。ミリーノの耳には、あまりに良く響いた。
─────まさか、こっち向いてたりして!?
 湯船にとっぷり浸かったまま、ミリーノは慌ててラムダの声の方向に向き直る。ミリーノに見えたのは、ラムダの後姿だけだった。
「どうかしましたか?」
「昼間のことだが…」
 ミリーノには何のことだかサッパリ分からなかった。昼間、というと、あのアルファと名乗った男のことだろうか。やはり、何かまずいことでもあったのかもしれない。何を言い出すのかと、ラムダに集中していたが、一向に口を開かない。
「昼間の…何のことですか?」
 さすがのミリーノも、痺れを切らした。
「…私のことを苗字で呼ぶのが嫌なら、名前で呼んでも構わない」
 ラムダは言い始めると、一気に早口で言い切った。
─────何でそうなるのかしら?
 腑に落ちないな、と思ったのは一瞬だった。ミリーノはラムダの意図を察した。
 ラムダは、ミリーノが『苗字』に何かコンプレックスを持っていることを感じたのだろう。自分のことを苗字で呼ぶことは、ミリーノが持つコンプレックスを刺激してしまう。そこまでして、苗字を使わなくても良い。そういうことのようだ。
 ラムダの耳元が、僅かに赤くなっているのが、明るく照らす月の光で分かる。その理由は、ミリーノには理解できなかったが、ラムダが自分に気を遣ってくれたことが、嬉しかった。
─────マルコ、だったわよね。
 自分の記憶に間違いが無いかを頭の中で再確認する。そして。
「じゃあ、マルコさん」
「”さん”はいらない」
「…マルコ」
 ミリーノは、いつもの入浴の時よりも、体が温まった気がした。