眼帯魔法使いと塔の姫君 11

「よしっ。洗濯物終わりっ」
ミリーノが家事をやりはじめて二週間が経過していた。どんなふうにやるのか良く分からなくて不安だったのは始めの一日だけで、もうすっかり馴染んでいた。
今、ミリーノは、裏口を出てすぐのところ、ミリーノが使っている風呂のあたりにいる。魔法使い曰く、このスペースも、壁の中に位置しているため、外からは見えないのだそうだ。
「さてと。トイレ掃除かな。次は」
いそいそと家に戻る。ミリーノは、ここ二週間、楽しくて仕方が無かった。家事をやっていると、自然、外の様子に目が行く。体を動かすので、夜も良く眠れるし、朝起きるのも、前より心地よく感じられた。
始めは確かに筋肉痛に悩まされたが、今はもうそんなこともない。特に洗濯物を干したり取り入れたりするときは、外の景色の移り変わりを見ることが出来るので、時折ついぼおっとしてしまった。
魔法使いはどうしているのかというと、日がな一日書斎に篭っていた。ミリーノは、せっかく天気もいいのだから、外に出ればいいのにと思ったこともあったが、きっと何か理由があるのだろう。
─────例えば、あの眼帯とか。
目に病気でもあるのだろうか。二週間前に寝込んだ時でも、眼帯はつけっぱなしなのだ。何日か前に、紐で耳の後ろが痛くならないのかと魔法使いに聞いたが、つっけんどんに、『慣れた』とだけ言って、またとっとと書斎に戻ってしまった。
─────そういえば、そろそろお野菜もなくなってきたのよね。
この二週間、魔法使いは一度も外に出ていない。さらに、人がこの家を訪ねることも無かった。当然、食材や日用雑貨は、どんどん減っていて、あと二日もすると、食べるものが無くなってしまう。
昼食の時にでも聞いてみようと思った。ミリーノはトイレ掃除を終わらせ、手を洗って、流し台の前に立って、伸びをした。次は昼食のの準備だ。そのときだった。
がちゃり
玄関のドアが開いた。魔法使いは書斎にいる。
「よお…ってええええええ!」
入ってきた小柄な男はあからさまに仰け反っていた。だが驚いたことで言えば、ミリーノも同じである。ミリーノの姿は、今、目の前の人に目撃されている。これによって、魔法使いの立場がどうなるのかは、ミリーノにも容易に予測できた。

一、ミリーノを誘拐したことがばれる→火あぶり
二、ミリーノをあたかも家政婦のごとくこき使った→ギロチン
三、塔の姫君の姿を見た→市中引き回しのうえ、磔
最低でも、魔法使いは三回ほど死ななければならなかった。

─────どうしよう…
一人で口をもごもごと動かすミリーノの背後に、既に魔法使いが立っていることに、ミリーノは気が付かなかった。
「もう少し静かに入ってこれんのか」
「んなこといったって! お前、その子…」
「で、品物は?」
「ああ、これ。代金は…170ルキだ」
ぽんと男の手に金を載せる。ミリーノに関することは、完全に無視を決め込んでいた。どうやら食材その他入用なものを配達してくれたようだ。
「ほどほどにしとけよ。マルコ・ラムダさん」
魔法使いの名前はマルコ・ラムダと言うらしい。顔に似合わず可愛らしい名前に、ミリーノは内心笑っていた。魔法使いはきっと男を睨みつける。
「…早く行け」
小柄な男は、妙な物を見るような顔でミリーノを見た。
「あの…」
「ああ、俺ね。俺、アルファって言うの。ラムダの…まあ兄弟みたいな。おおっと、わりぃわりぃ。じゃ、行くわ」
聞かれもしないのに自己紹介をして、男はすいっとドアを出て行った。魔法使いはため息をついた。ミリーノは魔法使いマルコ・ラムダのほうに向き直った。
「マルコ・ラムダっていうのですね」
「…」
「あの、今度から…お呼びするとき、どうやって呼べばいいですか?マルコさんですか? ラムダさんですか?」
「苗字で」
「…分かりました」
ミリーノは笑う。これでまた一つ、謎が解けた。と同時に、先ほどのアルファと名乗った男のことは、ほぼミリーノの脳裏から消滅した。
「じゃあ、ラムダさん。これは片付けておきますから。ご飯になったらお呼びしますね」
「分かった」
ラムダはすばやく自室に戻っていった。ミリーノも台所に立ち直す。
─────そっか。苗字があるんだ。
ミリーノには苗字が無い。この国の王族は、代々そういうしきたりだった。隣国は、首都の名前が苗字となっている。例えば、今の国王はサンサイだが、首都はトウジキなので、サンサイ・トウジキとなる。たが、この国では、そういうことはなく、現国王、つまりミリーノの父親も、ウロボロイゼンと、名前だけを名乗っていた。もっとも、ミリーノは父親の顔など見たことも無いのだが。
ミリーノのこの先の人生で、苗字が出来ることは無いだろう。ラムダ曰く、『時期が来たら塔に返す』のだ。塔に戻ったら、苗字どころか、また空も見えない生活をしなければならない。
青い空と白い雲と、緑の木々や草花を知ってしまったミリーノにとって、その生活は拷問に思えた。
─────帰りたくないなぁ…
このときまだミリーノは、長期休暇明けを明日に控えた役人のような軽さでそう思っていた。