眼帯魔法使いと塔の姫君 番外編 ミリーノの異変

─────おかしい。
─────ミリーノの様子がおかしい。
 マルコ・ラムダは大いに悩んでいた。
 あの日から三年半。
 今では逃亡先のこの国で王宮魔法士になり、すっかり腰を据えている。
 それはもう幸せで幸せで幸せで幸せで仕方ない日々を送っていた。
 ゼタ・ゼルダに関する研究はいまいち進展が無いのは、勘弁できるほど。
 しかし。
 今朝からミリーノの様子がおかしかった。
 これまでそういうことは無かったとはいえないが、今日ほど酷いのは初めてだった。
 マルコは、傍目には全く普段と変わりないが、内心かなりあせっていた。
─────まてまて。ちょっと思い出してみよう。
 今日初めて、マルコは慎重になった。
 
 
 
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『おはよう、マルコ』
『おはよう』
 食卓には朝ご飯。いつものクルミパンとミルクティー、それにサラダ。
 そうだ。今朝は新たな試みをしてみたのだ。
 ミリーノは食卓に着いて初めて、驚きの表情を見せた。
『どうしたの? その…右目は…』
 普段眼帯をしている右目。そこにさらに魔法をかけて、眼帯をつけていないように見える状態にしてみたのだ。
 つまり、普通の人間の目がある状態だ。
『やはり眼帯をしていると、道行く人々が気持ち悪がるのでな。曲がりなりにも王宮で仕事をしているのだから、不信人物になるわけにもいくまい。ここにきて一年になるから、もう今更かもしれんが…何もせんよりましだろう』
『うん…』
 
 
 
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─────これだ。
 あの直後から、ミリーノの様子がおかしくなりだしたのだ。
 まず、口数が減った。次に、表情が曇った。朝のクルミパンにジャムを塗らなかった。
 極めつけは、自分で髪留めをつけたことだ。
 こっちにきてから、髪留めだけは、マルコがつけていた。
 自分でもつけられるはずなのに、ミリーノは毎朝必ずマルコが出勤する直前に髪留めを持ってきて、『つけて』と頼んできていた。
 だが、今日は。
 マルコが出勤する時にはすでに髪留めがついていた。
 そんなこんなで、マルコは出勤してから今までずっと仕事が手についていなかった。
─────何故?
 マルコが眼帯でなくなると、何故ミリーノの様子がおかしくなるのか。
 眼帯を取って、ミリーノの気持ちを確かめたいという願望がふつふつと湧き上がったが、マルコは堪えた。それはあまりにも卑劣だ。
 そもそも、マルコが眼帯を隠そうと思い立ったのは、ミリーノのためなのだ。
 顔色の悪い、黒いローブの眼帯男。
 魔法使いの少ないこの国では、明らかに不審者である。
 対するミリーノは、塔に閉じ込められて生活していたにも関わらず、非常に人受けがよかった。
 いつも明るく、笑顔を絶やさず。見ているこっちがはらはらすることも多い。(例えば、近所の男とか街外れの男とか旅の男とか)
 そんなミリーノに付きまとうのは、マルコの妻であるということだった。
『なんであんなキモい眼帯男と!』
 これが、多くの人の率直な意見だった。
『マルコにはいいところがいっぱいあるのよ』
 ミリーノはそう言って微笑むだけだった。
 人間見た目じゃない。そうはいっても、第一印象はやはり見た目で決まる。
 マルコはそのことをよく心得ていた。
 服装をかえると魔力の消費量が増えてしまうし、王宮内で魔力をつかうのはあまりよくない。
 ローブを変えるわけにはいかない。
 魔術を使う者が通常売られている服を着ると、魔法を使ったときとばっちりで燃えたりすることがある。
 このローブはそれに耐えうる唯一の材料で作られているのだ。
 そこで、国王の許可をとって、眼帯だけ、隠すことにした。
 これならば、そう思ったのに。
 その思考を、ある気配が遮った。
─────ん?
 久々に魔法防止呪文に何か引っかかったようだ。
 それも、結構凝ったやつが。
「おい、ちょっときてくれ」
 ドアが開いて、男の声がした。
「まったく…」
 そうぼやきながら、マルコは今の思考を止めてくれたことに感謝した。
 
 
 
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「ただいま!」
「…ん、ああ、おかえりなさい」
「聞いてくれ、ミリーノ。今…」
 マルコはかなり興奮していた。それは今しがた王宮であった事件が、ゼタ・ゼルダがらみだったからだ。
 誰よりも、一番最初にミリーノに知らせようと、仕事を抜け出した。
「ゼタ・ゼルダの…」
 だが、マルコの声は、次第に小さくなっていく。
「…ミリーノ?」
 ミリーノはじっとマルコの目を見た。そして、俯いた。
 マルコはまた、そのゼタ・ゼルダがらみの事件が起こる前の思考に引き戻された。
「…ミリーノ、今朝から妙だぞ。一体…」
「やっぱり、言うわ」
 ミリーノはマルコの台詞を遮る。
 決意したように、顔を上げた。
「あ、あのね、その…右目、元に戻して欲しいの」
「なぜだ」
 どうしていけないのだ。自分の右目は無いほうが言いというのだろうか。
 そうか。
「そうか。見るたびに私の本当の目が思い浮かんで嫌なんだな…」
 自分の右目を気持ち悪がっていたのか。
「そういうことなら構わない。私は…」
「違うの!」
 ミリーノが一層悲しそうな顔をした。
「何が違うんだ。何が…」
「マルコの右目を私以外の人が見てるみたいに思えるのが嫌なの!」
「?」
 マルコはどういうことだか理解できなかった。
「だって…マルコが眼帯外すのは、私といる時だけでしょ。でも、魔法で眼帯隠しちゃうと、偽物でも…マルコの右目をみんなが見ちゃう。そう思ったら…私の…」
─────ああ、そうか。 
「私だけのマルコがみんなに取られちゃうみたいだし、すごく…」
 涙目になるミリーノの口は、マルコによって塞がれた。
 マルコが唇を外すと、ミリーノはマルコの胸にしがみついた。
「まだ少し王宮に用事がある。それが終わったらすぐ帰る」
 左目と眼帯でミリーノの視線を受け止める。
 眼帯魔法使いはこうして復活したのだった。
 
 
 
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 王宮に戻ったマルコに国王は確認した。
「魔法をかけて眼帯を見えないようにしていたんじゃなかったのか」
「…妻にやめろと言われましたので」
 無表情なマルコ・ラムダの感情を、国王は読めなかったらしい。
 しかし。
 マルコは今日も幸せだ。