「家名を捨てられない父が、僕は大嫌いだ」
テレイアは三人分の紅茶を入れ、自分も席に着いた。デミアンとはずいぶん考えが違うらしい。
「それでも毎日過ぎていった。そしてあの日、オリーブが僕のことに気づいてしまった。偶然だったんだ。本当に。オリーブが父の部屋を出る瞬間に雨が止み、光が差し、偶々そのとき僕が父の部屋に行こうとしていたときだった。オリーブが僕のことに気づく瞬間を、父が目撃してしまった」
ゼタが壊したドアから、光が入り込む。光は三人を照らし出した。
「父はナイフを握り締めて、オリーブにゆっくりと近寄った。『じゃあ、もうお別れだ』って。僕はオリーブを押しのけて父を取り押さえた。父はこう言ったよ。『海の怪物どもめ。 貴様らよってたかってわしに何がしたいんだ』」
テレイアは目を臥せた。勝気でわがままな印象が、一瞬途絶えた。
「父よりも僕のほうが若いからね。父を突き飛ばして、先に階段を下りたオリーブに追いついて、そのまま二人でロコロ家へ向かったんだ。で、こんな感じ」
ゼタは紅茶をすすった。
「まあ、僕としてはいずれやろうとしてたことだし、どうってことないけど。ね、オリーブ」
テレイアは立ち上がってオリーブを抱きすくめる。ゼタは突然のテレイアの行動に顔を上げる。オリーブは顔を赤らめるが、逃げはしなかった。
「なるほど。じゃあ、ああなったデミアン氏をどうするつもりですか」
「…少し、様子を見ようと思った。僕だってあの親父がどんなことをしてきたかぐらいは知ってますし。”気の違ったふりをする”ぐらい、朝飯前かなって、思ったわけですよ。でももう一ヶ月は経ってるから、本当なのかも。もう少ししたら、家に戻ります。これだけ父の気狂いっぷりが明るみにでれば、もう家名云々って言うような社会的地位はなくなってるだろうから」
「ではウリエル夫人はどうするのです」
「父の状態を知ってたら、多分帰ってくるでしょ。母も大人なんだから。僕はオリーブがいればいい」
テレイアは真剣そのものだったが、顔が少し赤らんでいた。
「テレイア…」
オリーブは微笑んで上を向いた。覆い被さるように、テレイアが口付ける。
「ああ。最後に一つ良いですか?」
「ん?」
「国王と少年兵の熱愛騒動。あなたが噂を流したんですか?」
「違う」
テレイアは即答した。が、今やっている行動を停止することはなかった。
「あ、ち、ちょっと…」
オリーブが声を上げる。
これで、振り出しの状況に戻った。
「…帰ります」
「ああ。帰れ」
ゼタは小屋を出た。
帰りの馬を走らせながら、ゼタはこう叫んでいた。
「俺だって。俺だってなあ! 家に帰れば、かわいい奥さんが待っててくれてだなあ!」
ゼタは半泣きだった。もう夕暮れ。都に戻るのは、夜半過ぎだろう。今日も家に帰る時間はなくなった。
********************************
ゼタの報告の”主要な部分だけ”を聞いたケイトクは、またわけがわからないままベッドに入った。
──―――ウリエルとテレイアの言ってることは食い違ってる。
だが、どちらがより真実に近いかといえば、テレイアのほうだろう。なぜならばテレイアのほうが最近までデミアンのそばにいたわけだから。
それにしても、色恋沙汰というのは、どうしてこういう悲しい事態も引き起こすのだろう。お互いがお互いを思っているのに、離れているのはあまりにもつらい。しかも、お互いがそのことに気づいていない。
──―――それも、愛なのかなぁ…
恋とか愛とかいうのには、いろんな形があって、ウリエルとデミアンのそれは、こういうことでいいのかもしれない。
恋をすると誰もが盲目になるわけではなくて。”そういう人もいる”というだけなのだろう。傍目から見て明らかに恋をしていると分かる者もいれば、全く分からない者もいて。
だとしたら、ケイトクはやはり、ジルコーニに恋をしているのだろう。
ただ、この二人のようにはなりたくない。ジルコーニに振られた今は、あり得ないと分かっているが。
そこで、ケイトクは考えた。
──―――ジルの中の僕は、まだ友達でいるんだろうか。
そして、熱愛騒動は、ジルと関係しているのだろうか。もしそうだったら、自分はどうすればいいのだろうか。
今日のゼタはいつになくしおれているが、どうしたんだろう、というのが、その日最後に考えたことだった。ケイトクはそのまま眠った。