男性化志望者とその友人 27

 ゼタは改めてテレイア・バロッケリエールを見た。
 まだ二十歳にもなっていないのではなかろうか。
「昼間っからどうかと思いますが」
「…僕たちの勝手だろ」
 どう考えても相手は同意していなかった気がする。その証拠に、オリーブらしき人物は、真っ赤になってうずくまっていた。
「で、何の用があって邪魔してるんですか、あなた…ゼタさんは」
 テレイアの言葉はいやみたっぷりだった。
「あなたの父上が、どうしてあんなふうになったのか、教えていただきたくて」
「僕は知らない。僕が家を出てからだろう。そうなったのは」
「どういう状態であるかは知ってるんですね。発症時期も。だったら」
 だったら当然テレイアが何かの原因になっているのではないか。それが一般的見解というものだ。
「僕は父のことを良く知らない。親子だから、なんとなく分かるところは歩けど、物心ついたころもほとんど家を空けてたし、僕は家から出なかったから。理由は…いろいろだけど」
「理由はもう知っています」
 ゼタがそう言っても、テレイアはさほど驚いていなかった。
「数年前に母が家を出て行ってからは、まだ家にいるようになったけれど、それでもほとんど部屋にこもってたし。愛人もいたしね。というよりも、鑑賞物って言ったほうが正しいかな」
「鑑賞物?」
「ゼタさんは頭の回転速そうだから、オリーブを見たときに気づいたかもしれないと思ってたんだけどな」
 ゼタはオリーブへと視線を向けた。同時に、オリーブは何も言わずに顔を上げた。
 金髪で黒い瞳。確かに、ゼタが会って話してきたあのウリエル夫人と似ているようだ。もちろん、年齢は二十代前半といったところだろう。ただ、愛人というには、あまりにも純潔なように見えた。
「分かった?」
「いえ。さっぱり」
 テレイアはヤカンを火にかけた。
「座ってくださいよ。お茶ぐらい入れますから」
 ゼタは言われるままに腰掛けた。
「…僕、自分が『人魚』だって知ってから、いろいろ勉強したんです。どういうときに瞳が青くなるのかっていうのは、最優先課題でした」
──―――何をしゃべってるんだ? こいつは。
「雨上がりの日の光で青くなる。それは良く知られています。でも、それは雨の後だからではない。ある一定の湿度域にある空間に一定時間入った後、強い光を浴びると、こうなるんです。別に雨上がりの日の光でなくても、例えば暗闇のなかの炎の光でも、同じ効果がある」
 ヤカンがしゅーしゅーと音を立てた。
「そろそろ沸いてきたみたいですね。オリーブ」
 オリーブが立ち上がった。
「ゼタさんも、こっちへ」
 テレイアはゼタをヤカンのそばへと呼んだ。そして、手元にあったランプの炎を消す。
「せーの」
 テレイアとオリーブは、ヤカンのふたを開け、その湯気に顔を当てた。外は曇り。部屋の中はどんよりとしていた。
「何を…」
──―――そうか。
「もう、分かりましたね」
 テレイアはヤカンを横にどけた。炎が、テレイアとオリーブの顔を照らし出す。
 二人の瞳は、海の青だった。
「父はね」
 テレイアは語りながら紅茶を入れる。
「母が『人魚』だって知ってて、それでも母を愛しているんです。でも戻って来いとは言えなかった。だから代わりを用意したんです」
 オリーブも席に着いた。
「オリーブはただ父の部屋に行き、窓辺に座っていただけでした。父はそれ以外何も望まなかった」
「あの方は」
 オリーブが初めて口を開いた。甲高い声だった。
「あの方は、本当に奥様を愛してらっしゃいます。私、聞いたんです。どうして私に何もしないのかって。そしたらあの方は、『妻が私を愛してくれなくても、私は妻を愛しているからだ』って」
 ゼタはウリエル夫人の言った言葉を思い出した。
『あの人が私を愛していなくても、私はあの人を愛しています』
「私、愛人として屋敷に呼ばれたんです。だから覚悟はしてました。でもあの方は何も言わない。それどころか、掃き溜め育ちの私に一から礼儀作法を教えてくださって、住む場所もくださって。でも、私は何も…何もできない」
 オリーブは目に涙をためていた。
「気にするな。親父が馬鹿なだけだ」
 テレイアはオリーブの頭をなでていた。