怪獣と赤髪の少女 38

「おっ! 三、四日ぶりだねえ、嬢ちゃん」
 店の主は、ユリアンの顔を覚えていたようだった。昼時ではないので、辺りの人は割と少なめだ。店主の声が、前に来た時よりも大きく感じられた。
「あの、カリントゥー二つ。ラナ、ごめんね」
ユリアンはお金などもっていなかったので、二つ買うとなると、当然のごとくラナのおごりになってしまう。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「いえいえ。いいんですよ。お金はケイトク様からいただいていますし。『お前も少しは羽休めしろ』って。えへへ」
─────ラナが『えへへ笑い』した。
 ユリアンはラナの年相応な顔を初めて見た気がした。
 そんなときだった。後ろから、聞き慣れた声がした。耳に心地よい、しかし今のユリアンにとっては胸騒ぎを起こす、そんな声。
「あれ?」
「八百屋のニイチャン、今日も威勢いいねえ。あすこの店は朝早いから、みいんな嫌がるんだが。ようやっとるよ。あの若いの。来て三日になるのかな」
 感心したような声を上げる店主。
─────三日?
 ばっ、と、後ろに振り返る。黒髪の、しかし見覚えのある青年が、野菜を運ぶ姿が目に飛び込んできた。
 全身が硬直する。髪の毛を染めていたとは。
─────ゼタ
 だが、次にユリアンの目に止まったのは、ゼタの向かいにいる女性だった。年はユリアンと同じぐらい。かわいらしい人だった。何か女性が話し掛けると、ゼタは頬を赤らめていた。
 ユリアンは、ここに来るまでの楽しいことが、全て飛んでいってしまった気がした。
─────そう、だよね。
ユリアンはゼタのことが好きだけれど、向こうがこちらを思ってくれているとは限らないではないか。自分は何を期待していたのか。自分のようなガキ臭い女よりも、今向かいに立っている人のほうがよっぽど魅力的だった。
「い、いこ! ラナ」
無理やり作った笑顔でラナを引っ張って、ユリアンは王宮へと向かった。
─────ゼタはあの人といたほうが幸せなの…。そう。
 ユリアンは自分に言い聞かせるようにした。その実、ユリアンの頭の中は真っ白だった。
 
 
 
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「へいらっしゃい」
 八百屋の決り文句を言って面を上げると、目の前には先日の若い客が立っていた。
「今日はたまねぎとリコレアを…そうねぇ、三つづつ頂けるかしら」
「はいはい、かしこまりました」
 てきぱきと品物を袋詰する。例によって唐突に、その客は言った。
「あの子とは上手くいってるの?」
 ゼタは一気に赤面した。
「なっ」
「その感じだとダメみたいねぇ」
「あいつとは…ダメなんです!」
ゼタは小声で、しかし叫ぶように声を絞り出した。
 ユリアンは国王と結婚したほうが幸せなのだ。自分が言ってはいけない。それに先日見かけたとき、ユリアンは楽しそうに笑っていた。それでいいのだ。
「何か、事情があるみたいね」
「……」
「なんだか私、あなたみたいな人を見ると放っては置けないのよねえ。私の夫は、私に対してそう思ってるみたいなんだけど…」
 上品な感じなのだが、どこか浮世離れしている。天然臭いが、勘は鋭い。この客はなんだか不思議である。
「じゃあ、これで失礼するわ」
「ま、まいど」
 やっとのことで声をひねり出す。
 が、次の瞬間、ゼタは再びを発見してしまったのだ。ユリアンを。
 またあの店の前で、カリントゥーと食べていた。しかし、一瞬だけ垣間見たユリアンの顔は、今までに見たこともないものだった。蒼白なようで、激しているようにも見える、悲しげな顔。浮かぶのは笑顔だが、どこか歪んでいる。
─────ユリアン!
 その声は、喉まで出かかって止まった。
「う…」
妙なうめき声が口から漏れる。ユリアンが足早に王宮のほうに向かっていくのを、ゼタはじっと見送った。
「お~い! だ~いじょ~ぶかぁ~!」
八百屋の店主の声で、ゼタははたと我に返った。