ベータがぼーっとしたような顔をフォニーのほうに向けている。
「そうだ。十八歳だ」
『十八歳』。キーワードがフォニーの頭の中でこだまする。じゅうはっさい…ジュウハッサイ…。
「だから今日の酒宴であるぞ」
兄の言葉は冴えている。他の面々はきょとん顔。
じゃあフォニーがマンドラゴラ一〇〇の瓶を割ったことが大騒ぎになった理由の一つって、
—————今年がアニバーサリーイヤーだったからか。
記念日に興味のないフォニーからすると謎でしかない。
魔王が興味あるのはまだわかるが、当のベータは興味があるのか?
ただ、流石のフォニーも分かった。
「マンドラゴラ一〇〇の瓶、割ってしまってすみませんっ!」
その場に土下座。
最後の一本の瓶だったことが分かったあの時と同じくらい泣きそうだ。
ベータからしてみれば、親が楽しみにしていた自分の誕生日の宴会、その時のとっておきにするつもりだった品なわけで。
だから、余計にフォニーに怒った、と。
いたたまれない重いをお腹のあたりに抱えながら固まっていると、
「いい、いい。酒が何かなんて、いいんだ。顔を上げて。ねっ」
魔王様の声に顔を上げる。
ほんのり赤らんでいる。
「じゃ、かんば~いv」
—————…?
一同、フォニーの謝罪などなかったかのように再開。
—————あ、あれ…れ?
もうちょい『いいのよ』『でも』『いいんだよ』の押し合いイベントが発生するのかと思ったのに。
ゆっくりと立ち上がって、一同の様子を見る。
兄姉は比較的落ち着いているが、やはり同じくほんのり赤らんでいる。
ベータは?
さっきと同じでフォニーの方向を見たまま、ぼーっとしている。
これは、まさか。
こそそっとベータの傍に寄り、
「お水、いる?」
「いー」
棒読みのような返事に、フォニーは確信した。
—————みんなもうとっくにただの酔っ払いだ!
「そうかー! いいかー!」
四角いお兄さんはベータの背中をバシッと軽く叩いた。
そのまま机に腹から突進しそうになるが、直前で止まって、
「せーふ」
ほぼ本能的に魔法を繰り出してお兄さんの攻撃の防御に成功したのだろう。
「あら、すごいじゃない! 魔法うまくなったのね~」
「そーだぁねぇ」
いままで黙って相槌を打つのみだった小柄な中年のお兄さんが、今までになかったまったりとした声で。
明らかに酔っていらっしゃるぞ、な一同。
そしてなんか、部屋の空気がこもっている気がする。
—————これ、アカンのちゃうか?
ささ…と空き瓶を集めて、残り数本になったワインの箱を眺めて大慌てで部屋を出ると、続くメインディッシュパート三? 四? が仕上がっていた。
なんとか酔っ払いどもの状況を伝えるべく何人かいる人を探すと、マルタンが見つかった。
「ま~る~た~ん(泣)!!」
焦り過ぎて可愛いゆるキャラを召喚している子どもにでもなったようなフォニーの叫び。
孤児院の子供たちがフォニーに駆け寄る姿を思い出すが、フォニーに駆け寄ってきたのは魔王に次ぐイケオジぶりがいささか崩れて汗だくのマルタン。
べっとりと蛍光オレンジの液体が黒いマルタンの服に付着している。もしかして魔族の返り血か。
と、向こうのほうを見ると、熊のような魔族と何人かの人間がタンカで運ばれている。
凝視していたら、
「小競り合いの仲裁だ」
「でもアンタが汗だくになるレベルよね」
魔界の幹部に一汗かかせる『小競り合い』。
人間側が魔法であ奴垂れて居ようとも腐っていようとも、国軍の兵士であるということ。
「…案外、人間もやる」
「そ。でね」
本題があるのだ。急ぎ要点だけかいつまんで酔っ払いの様子を伝えると、
「そうか…ではそろそろ魔界の口を開けよう」
「て、あのテーブルの下の?」
床下収納そっくりの、魔界への通り穴。
「ああ。これからワシが正面のドアを開ける。おまえ、テーブル下の口を開けるのだ」
「なんで?」
マルタンが驚愕している。
「聞いていないのか!?」
「うん。なんのことか知らないわ」
マルタンは眉間にしわを寄せ、『ベータ様…』と天を見上げている。だから、
「教えてぇ~まるたぁ~ん」
「後だ! 酒を運びつつ屋内へ。ワシはドアを開けるから」
マルタン大先生は青筋を立ててサッと家屋の正面へと飛び上がった。
フォニーは言われるがまま、酒を部屋に運び入れると、
—————さっきよりも部屋が…ぐ…苦しい。
魔王が来た時感じたのと近い圧力が掛かっているような、胸と全身が押されて呼吸から詰まるような。
頭がぼーっとする。
ガチャリ
マルタンが玄関のドアを開けた。
「酒ぇ~はぁ~いいのよぁ~♪」
美魔女が美しい声で歌い上げると、突如としてフォニーの頭のなかに火花が散って行くような重圧が掛かった。
目から涙があふれる。
歌声が攻撃なのか。
魔王の親族を舐めていた。多分だが、酔っぱらっていて攻撃している気は全くない。
視界に入っているマルタンは、頭を押さえながら真っ青な顔で、口を動かしていた。
『は・や・く・あ・け・ろ!』
あの距離でも効いているということは、もしかして外にも…。
フォニーは床に四つん這いになり、テーブル下に体を擦り付けるように移動した。
というかそれしかできなかった。
立ち上がれない。先ほどこの部屋を出た時と明らかに部屋の中が変わっている。
何が変わったとも言えない。
でも一つわかっていることがある。
—————ベータの体が持たないかもしれない。
ベータはなんだかんだ人間寄り。魔族のフォニーと比べたらひ弱なはず。
魔法で防御できているかもしれないが、限度があるだろう。
フォニーが普段一秒かからずに出来ているテーブル下の蓋に手を伸ばすその動作が今、鉄アレイを全身に載せているような感覚になっていること。
なんとしてでも通気口の蓋に指を掛けねば。
ベータが危ない。もう少し。もう少し。
「「「「あはははは!」」」」
談笑の声がテーブルの上で響いているが、フォニーは彼らの足元で汗だく。先ほど火花が散った頭の中に、さらに割れるように響いた。
もうこれ以上前に進めない。手を差し出すことしか難しい状態になったフォニーはしかし、通気口の蓋のとっかかりに手を掛けて体をわずかに引き寄せる。
—————後は、蓋を、開ける。あけ…ないと…。
蓋から外側に出た取っ手に手をかけ、全身の体重をかけて横に転がった。