ドラッグストアへようこそ 43

 フォニーの言に、クレアは少し悩んだあと、
「ほんとは分かってあげたいところよね。でもまあ謝らないよりはいいかしら。
 こういうの、時間が解決するものよ? 相手がティーンエイジャーでも、しばらくすると分かってくれると思うから」
「そっか…」
 悩むフォニーを見て、クレアはひたすらニコニコになった。
「今日は最後に楽しいことがあったから、良くねむれそうだわ」
 夜も更け、このままもう一晩野宿する気はフォニーにはなかった。
 玄関までクレアは見送ってくれた。
「院長と二人だと大変だろうけど」
「まあ、ええ、大丈夫です」
 たぶん。と自分に言い聞かせるフォニーを見て、クレアは穏やかに笑みを浮かべていた。
「仲良くね~」
 酒も入っていないのにフラッと手を振ってドアを閉める眠たげなクレア。
 暗がりで飛び立ち、少しだけ街を迂回するように孤児院へと戻る道すがら、わずかに夜の店だけが明かりをともしているそこを遥か眼下にした。
—————ベータはあの中で暮らすことは多分今後一生ないだろーな。
 フォニーと一緒、いやフォニー以上だ。
 フォニーはなんだかんだ街中のどこかで夜を明かすこともあるし、魔界に戻ると顔見知りがいないわけでもない。
 ベータにも顔見知りはいるだろうが、友人とかそういうのはだれもいない。
 魔界に住んだら? たぶん魔王の息子として扱われるが、異母兄姉がいるわけだから寧ろ命の危険か。
 人間界での生活だって早々大っぴらにできないだろう。
 そもそもベータの社会性があるんだかないんだか分からない人格。街に住んで人とかかわったからって変わるとは思えず。
 まー、無理でしょーな、という落としどころが今のあの店兼家——店…なのか?——ということか。
 その家が見えてきた。
 ほっとするのはフォニーがここに住み始めてもう何か月か経過しているからだろうか。
 屋根に一度荷物を置いて、窓からすり抜けて自分の部屋に入るが、特に部屋に誰かいる感じもない。
 窓の鍵を開け、荷物を取り込み、閉める。完全犯罪の完成。
 まず着替え。荷ほどき。持って行ったが使わないで済んだ栄養ドリンクを棚の脇に置いて、袋類を定位置に片付ける。
 静かな家、人の気配がない。ベータは寝ているのだろうか。分からないし、探す気もない。
 で、残ったのが夢の中から持ち出された鼻水まみれの服だ。
 夢の中の出来事なのだが、こういうのは消えない。
 森で洗濯しよう。もしかしたら、洗濯中に川上からデカい桃とか流れてくる…って、どこの世界の話だっけ?
 明日の朝にしてもいいんだけど…なんとなく、この家に長居したくなかった。
 兎に角、家のなかでガタガタしていても仕方ない。
 森にいこう。洗濯しよう。干してから寝よう。
 かたずいた部屋をそのままに森へ。
 昨日今日でプチ家出したフォニーは、その前にベータがプチ家出していた後を追っているようでなんとも味わい深い。
 夜の森の上から降りていく。人間の目には黒い危険地帯でしかないが、フォニーには良く見えている。
 人間よりも黒い奥が分かる。だからその向こうの、水浴びスポットにしている川ももちろん見えている。
 東のほうに少し行ったところに、岩が張り出していて洗濯に最適なスポットがある。
 飛んで行って、洗濯物を広げ、バシャバシャと洗い物。
 獣や魔物は来るのだろうが、どうせ誰もいない。退治しに来る人間はいたとしても野営中。
 どうこういうことないだろう。
 洗った布を絞って、さらに絞っていると、なんだか普段夕暮れにやってきてする洗濯とは違って落ち着いた。
 暗闇の圧迫感。前から時々来ていたのだが、フォニーには馴染む。
 あの振られ男の鼻水と涙が夜の川に流されていく。もう少し水が温かいほうが良かったが、それは言わないお約束だ。
 ぎゅっと絞って水分がなくなった布を、パンパンと広げる。そしてもう一回絞りなおす。
 これで、丁度いいぐらいだろう。後は家に帰ってから広げよう。
 片付け終わって岩に腰かけ、一息つく。
—————物足りない。なんでだろ。
 静かだからか。
 ベータがいたって静かなのだが、いてその辺でごそごそしているところを想像するだけで何でかしっくりくる。
「どうしたもんかな」
「お前こそどうした」
 フォニーは声がした背後に振り返った。
 ベータ。いつもの汚いローブを着ている
「は!? え!??」
「出かけるのではなかったのか」
 人間に化ける魔物か? でも、そんな魔力の感じでは…。
 というわけで、そのまま切り替えすことにした。
「出かけたのよ。アンタなにしてんの?」
「薬草狩りだ」
 手にステキ女子が持っていても良さげな藤の花籠。毒々しい紫とピンクの花なのか種なのかよくわからない形状のものがくっついた草でその籠をいっぱいにしていて、容貌と明らかにミスマッチ。
 全く気にしている様子がないことでフォニーは確信した。
 絶対本人だ。人間に化ける魔物とかではなさそう。
「で? お前は?」
「洗濯」
 ジッとベータはフォニーの手元を見た。
「何故この時間に?」
「なんとなくよ」
 意気揚々と家出し、男の家に寄り、そのまま共通の知人宅で一泊、ほとんど用事も何もせずに寝てお茶一服して飛んで帰ったものの、家が静かすぎて手持無沙汰だったので汚れた服を洗って、さらになんか不安でそのままぼ~っとしていたというのが、かいつまんだここまでのあらすじだ。
—————言いたくない。
 若干恥ずかしい気がする。こういうエピソードは割愛するに限る。
「なんとなく」
「…そうか」
 ベータは何も言わない。
 で、そのまま花籠を置き、フォニーが座っていた岩場のすぐ横に腰かけた。
 鞄に手を突っ込み、ごそごそしている。いつもの亜空間鞄かと思いきや、普通のカバンのようだ。
 取り出し多のは、見慣れた栄養ドリンクの小瓶。
 手に取り、フォニーに差し出した。
「今日間に合ってるから」
 少し落ち込んだ顔になり、そのまま小瓶を仕舞った。その手でパンを取り出し、コップを取り出し、川の水を汲んで飲み食いしている。
「明かりもないのによく見えるわね」
 いつものアイウェアをしているのにどうやって、と思ってよくみたら、その眼鏡の外側に呪符が張ってある。
 魔法の力か、と納得。
 ベータは気にする様子もなくパンを食べ終え、水を飲み干したらさっさと片付けていて。
 フォニーは一瞥したが、余りにも見慣れた風景だった。
 ベータの横に腰かけ、森の暗がりを見ると、向こうのほうでウサギが見える。
 ウサギだな、と思いながら、さっきとはなんとなく違った。
 隣にベータが座っているだけだった。
 物音がする。で、音はしなくなった。たぶんベータも特に何とはないところを見ているのだろう。それが特に不思議なことでもないように。それで普通な気がした。
 何もない時間が過ぎている。
 フォニーは自分でも不思議になった。
 ベータもフォニーも全くと言っていいが、謝る空気がない。だが、少なくともフォニーには全く気まずさがないのだ。
 なんかいいかな、というか。ベータはさっきため息をついていて、もしかしたらフォニーが男のところに寄っているのは察しているのかもしれない。
 その辺もあるのだが、不思議と、まあいいか、な、みたいな。
 ベータはどう思っているのかは気になるが、ベータが横にいる状態がしっくりきすぎていて…。
「帰るぞ」
 ベータが立ち上がる。フォニーも一緒に立ち上がった。
 歩いてきているらしいベータの横を歩かずに、飛んでいくのもありだったが、フォニーはベータの横を歩くことを選んだ。
 同じようになんとなくそのほうが自然な気がしたからだった。