ベータは口元を悪い方に歪ませて、
「何に対して」
手に持ったパンを、この後出て来そうになっている言葉を押しとどめるように口につつきこんだ。
「わかんない」
正直なぜベータがそんなに怒っているのかよく分からないからだ。
ただ、フォニーとしてどう考えても謝って、許してもらえるようベータをなだめたほうがいい状況になっていることだけは瞬間的に理解できた。
なにせフォニーは居候。ベータの家のすき間に置かせてもらっているだけの存在。
マンドラゴラ一〇〇を一瓶ダメにした張本人で、魔王に何とか許しを乞う必要がある。
取り入る下心以前に、命あっての物種。そのためにはベータと親しくできている必要がある。
犯人として突き出されないようにするために。
詰め込んだパンを水でベータが飲み込み切るまでの間、ずっと静かだったが、
「大体分かった」
ベータはさっきまで怒っていたのに、何か絶望するような顔になっていた。
「読んだの?」
「少しだけ…」
声が小さい。がっくりとうなだれている。
フォニーは勇気を出した。
「アンタはアタシの心を読めば分かるかもしんないけど、アタシわかんないの。教えてくんない?」
決意を胸に、唇をかみしめる。
ベータは余計に悲壮な顔になっていく。元々の顔色が悪いから、変に今までの自信満々よりもハマッていてタチが悪い。
で、そのまま首を横に振って、普段は行儀よくスプーンで口に運んでいるスープを皿ごと掴んで一気飲みし、最後の一口まで飲み干しかけたところで思い切りむせた。
「ごほっ」
慌てて飛び寄り、ベータの背中をさすろうとしたフォニーの手を振り払ったベータは咳き込みながら店のほうへ。
店のドアから外に出るあたりで、咳は止まっているようだったが。
—————何? 何なのあれ??
さっきまで怒っていた。
でも、最後いなくなる時はやっぱり悲しそうだった。
フォニーが謝ろうとしていて、何か悪いことをしていたことは伝わっていたはずなのに。
—————何がいけないの?
全く分からない中、部屋に差し込み日差し。
こういう時、普通どうするのか。普通の人間なら。普通の…。
フォニーは日差しが頭の中まで差し込んできたように感じるほど強く、閃いた。
—————クレアさんに聞こう!
でもどうやって孤児院まで行こうか。
日中帯は移動できない。なら夜に移動しておいて、あっちの孤児院近くの森らへんの木の上辺りで適当に野宿して、その後日中になったところで行ったらいいんじゃね?
それか、適当な男の夢の中に入っていくのもあり。で、一仕事終えた後、孤児院に行ってちょっと寝かせてもらって、仕事手伝って夜帰るってのは?
そのほうがいいかも。いいじゃん。そうしよ。
男の家でなんかあっての朝帰り後、健全な子どもたちのあふれる朝の孤児院に直行し、ちょっと寝かせて貰おうぜって割とゲスなんじゃ…という健全な発想はフォニーにはなかった。
だから日中この時間の体力は温存すべく、再度ベッドに戻り。
案外横になると寝れるもんだと、起きたらもう暗い。
夕食の食卓は、またも悲壮な顔をしたベータと同席だったが、真剣な顔をしてベータを見つめた。
ベータは無言だったが、またも多少フォニーの心を読んだのか、神妙な顔になって俯いたり窓の外を見たりしている。
もしかすると、心を読めてしまうことに罪悪感があるのだろうか。
今更だった。
「いーわよ別に。大体アタシの考えなんてそんな大それたもんじゃないから。
顔に書いてあるっていつも言われるし」
ベータは顔を上げ、チラリとフォニーを見たが、昼よりはゆっくりとスープを流し込んでいく。
心を読んだのは図星だとわかったので、もうフォニーから言葉にする必要がないことに少し気楽さを覚えた。
言うのだって実はちょっとは気を遣う。フォニーでさえそうだから。
もしかしたらベータもそうかもしれない…のか?
忖度するベータ。想像するだけで面白いが、今はその段階ではない。
それに何より、
「アンタだって案外顔に出てるからね」
えっ!? という声が聞こえそうなくらい飲みかかったスープを口から一筋垂らしながら顔を上げるベータ。
「今だって『えっ!?』ってそのままの顔してるわよ」
言ってみた。
ベータが百面相している。
「フッ…! ごちそうさまでした」
勝った。
栄養ドリンクの瓶を手に持って、ベータの横を通り過ぎる。
ベータ自身は近づいたからフォニーが本音しか言っていないのが分かったのか、固まったまま。
台所で瓶を洗い、そのまま部屋に戻ってお出かけの支度を一通りまとめ。
ベータが寝るだろう時間のちょっと前に、わざと横を通って、
「出かけるから。一泊して、明日の夜帰る」
「どこに?」
ベータはいきなり振り返るが、面白いから、
「内緒」
「や…」
「内緒。」
断固内緒。
あっけにとられるベータ。拳を握りしめている。
魔法をかけて行先を把握することもできるのだろうが、あの拳は理性でそれを押しとどめているのかもしれない。
そのベータの善意に甘えるフォニー。
—————だって魔族なんだもん。悪いも~ん。
『善意にはもたれろ』。魔界の教科書通りの魔族ぶりを発揮でき、ルンルン——死語?——気分で窓から飛び立った。
家の屋根を見ながら、道の上を飛びながら、街明かりを目指す。
霧が出ているわけでもないが、湿気が多いのか辺りがぼんやりしていて。
街についたところで、フォニーはすごく凄く調子が良かった。
前はたしか木こりのところだったが、曇りがちで月も出ないこんな夜は新規開拓もいいかもしれない。
前のなんとなく出かけた時とは違い、今日は根拠なく自信があった。
街の中に空き地があったところが、建設中の建物に変わっているのが見える。
ということは、近所に日雇いの大工とか、女が足りていない流れ者が居ついているかもしれない。
その脇に宿屋がある。潰れてはいないようだ。
だから、その宿屋の屋根の上に音もなく飛び降り、そっと窓辺を覗き込む。
明かりが消えているが、フォニーには丸見え。
あられもない声などどこからも聞こえない。つまりみんな寝ている。女だけか、男だけか、家族だけど何もないか。
出来れば一人の部屋がないものか。
大概男のほうが一階の部屋に泊る。安くて、何かあっても平気なくらい力が強いから。
降り立ち、一つ目、二つ目、三つ目の窓を覗いた時、
「あたり~」
小声でつぶやいた。
窓辺から見えるのは、投げ散らかした服、雑然と机上に置かれた荷物、大工道具等。
安い布団に横たわる、中肉中背の男。年齢はたぶん二十代。
どう考えても独り身とみられる生活の垢だらけの部屋に、フォニーの心は跳ね上がった。
舌なめずりして窓の外に荷物を置いて、するりと自分の身一つで窓をすり抜ける。
そっと窓の鍵を開け、荷物を入れ、また鍵を閉めた。
—————イッツ・ショウ・ターイム!
ほくそ笑みながら眺める男の後ろ頭はフォニーを引き付けてやまなかった。