ドラッグストアへようこそ 30

「何言ってんの?」
 すこしの静かな時間の後、ベータのため息が響く。
「事実だ」
 フォニーは混乱していた。古いゲームだったら、右上らへんにウインドウが出て、「フォニーはこんらんしている!」と出てきたかもしれない。
 二の句が継げず、口を開くこともままならないフォニーを見て、ベータはもう淡々と、それは淡々としていた。
「ここで止まると進まないから、続けるぞ。
 母親は人間で、この家に住んでいた。
 どういういきさつかは全く見当もつかんが、兎に角二人は出会って子どもができた。
 それが俺だ。
 ただ、父親がいない魔族の子どもだし見た目でわかるから大っぴらにも出来ず、周りの目を避ける生活で母は日に日に弱っていった。
 父は丁度そのころ魔界で内紛が起こっていたうえ、人間界にも色々あったらしい。子どもができたことも知らなかったようだ。
 魔族と人間では時間の感覚が違う。
 父上的にはほんのちょっと会っていないだけの感じだったが、実際には数年経っていて、母は死んでいた。
 俺は孤児院やらどこぞやらを点々としていたが、そうだな、たぶん十年くらい前か。そのあたりでここに戻ってきた」
 コップの水を飲み干すベータののどぼとけが上下するのをジッと凝視してしまうフォニー。
 この目の前の人物は、今日までフォニーと同居していたのと同じ人間だろうか。
 金属のアイウェアに描かれた目の絵柄はまっすぐにフォニーのほうを向いていた。
 その表面に空いている穴の奥の、ベータ自身の目もそうであると言わんばかりに。
「で、この家の周辺を張り込んでいた魔界の使者がそのことを報告したところ、息子に会いたいとなった。
 父は母の死に目に会えなかったことも、息子を手元に置いて育てられなかったことも後悔していた。
 息子の生存確認ができなかったら人間界ごと焼き尽くしてしまおうかと思っていたそうだから大変なものだ」
 『大変なものだ』じゃなくって。
 フォニーが生きている足元が、強い生き物の気まぐれの上に乗っかっていることを思い知って唖然としつつ、なんで・どーして? という理由付けの文脈が動でもよくなってきていたので、
「八つ当たりも甚だしい気がするけど」
 その時少しだけベータが口元を堅く結んだ気がした。
 が、すぐにそれは綻び、
「魔界から出て行った者たちの力を悪用したり魔界側に迷惑になるようなことをしでかす人間が昔からいて、立腹していたらしい。そのあたりは長い歴史があるから本でも読んでくれ。
 で、念願の息子が見つかった。話もしたいし、酒も飲めるだろうということで、母の命日に墓参りがてらここに寄った。
 その時は軽く話す程度だったが、父としては全然物足りない。
 過去を悔やんでいた父は、今度こそ長く間を開けて逢いに来れないようなことはすまいと父は誓っていた。
 側近たちはその意をくんで、人間界や天界と諍いが起きて自分の手を煩わせることがないよう、魔界の統治を強めた。
 それから毎年母の命日になると前の妻の子どもも含めて墓参りにきては、息子の息災と成長を見つつこの家で宴会を開いているのだ」
 聞きながら常識を全て脇に避けることに大成功したフォニーは、話に食らいついていける状態になっていた。
「要は魔王様が息子のアンタに毎年会いに来て酒飲んで親子水入らず的なイベント開催するのを生きがいにしてて、おかげ様で魔界・人間界の平和が保たれている、と」
「そうだ」
 静かになる。
「アンタ、魔王様の息子…なんか変な納得感あるわ」
 ベータは嫌に嬉しそうだ。
「なによ」
「いや、よかったな、と」
「だからなにがよ」
「言わない」
 わざとらしく椅子に座りなおしている。
 ムカついたフォニーは、
「じゃ、その話はまあいいわ。
 で、魔王様が飲み会したいっていうなら、すればいいじゃない。
 てかしてんでしょ?
 なんでそこでマンドラゴラ一〇〇とか出てくんのよ」
「いい質問だな」
 ベータの口元が苦笑いになった。
 これまであんなにおかしなリアクションしか出てきたことのないベータから、真人間に近い表情が出だしている。
 もしかしてコイツ実は常識人なのかと疑ってしまいそうなくらいだ。
 つまり、フォニーが異常だと思っているより、ずっと異常なことが世の中では起きていて、頭の可笑しいベータでさえも『おかしいだろそれ』と言いたいくらいの出来事があるということ。
「父は酒豪なのだ。
 普通の酒だと水とほとんど同じ。
 酒蔵の二、三も飲みつぶしてようやくほろ酔い」
「魔界にいた時にどっかで聞いたことあったけど、マジで? ボトルじゃなくて?」
「そうだ…」
 フォニーは閃光に打たれたように思い出した。
—————『マンドラゴラ一〇〇、ってさ、なんなの? あれ』
—————『…酒だ』
—————『あ…ああ、そうだな』
「酒…?」
「その昔、まだ父が若かったころ、魔界の仲間内何人かで酒の飲み比べをしたという。
 もちろん相手は軒並みボロ負けだ。
 しかし負けた者たちはこう思った。
 『このままでは魔界中の酒がなくなってしまう』『酒を切らしたらコイツが魔界をほろぼしてしまう』とな。
 圧倒的な力を持っていていずれ魔界の覇者になるのは父だと察していたのだろう。
 父が魔王の座に駆けあがっていくさなか、負けた物たちは魔界中の叡智を結集させた。
 魔界・天界・人間界の全ての薬物から最上級のものを吟味し、魔界の中でも指折りの腕の職人を何人も貼り付けて大量の魔力を織り交ぜながら醸造させる。
 もちろん味も良くなければならない。父が飲まなければ話にならないからな。
 さらに時間経過が早くなる亜空間を極小スペースだけなら作れる秘術を編み出した。大量の生贄の魔物と引き換えに一〇〇年かかる熟成期間を五年で済ませられるようにした。強引に時間を圧縮した時にだけ出てくる魔物の生き血の濃厚な風味で飲み口が各段に良くなるらしい。
 こうして製造にかかわる者から何十人もの死者・負傷者を出しながら、とうとう一瓶あれば魔王が酔える極上の酒を造りあげた。
 それが」
「マンドラゴラ一〇〇」
 ベータは深く頷いた。
「秘薬だとかっていうのは」
「存在を隠すために製造した者たちが噂を流したらしいのだ。
 ちなみにそのうち一人はこの前来ていたキース。飲み比べの時から父に心酔している」
「ああ、確かに頭が高い、控えおろーとか周りの不遜だと思ったやつ全員に言ってそうだったわ」
「魔王を酔わせて退治しようとか言いだすのがいるといけないからな。
 寧ろあの酒を飲むと力は強くなるのだが、どの世界にも阿保はいる」
 あんたみたいな、とは言わずに、
「東の方の国にあるっていう『鬼殺し』って酒とは違うわけね」
 なんだそれは? と食いついて脱線しそうになるベータに、本でも読んでくれと先程ベータ自身に言われた言葉で切り返す。
 ただ、同時にフォニーはこの家にきて最大の悪寒に襲われていた。
「で、その、マンドラゴラ一〇〇って、」
 悪寒が過ぎて、歯がカチカチと音を立てはじめる。
 八〇ならある、と先ほどスミスが言っていたではないか。つまり、それは…。
 ベータは頷き、一段と声に力を込めていた。
「毎年三本しか製造できない。人間界・天界・魔界にそれぞれ一本ずつ配備される。
 天界と魔界の分は年末年始で使っていてもうない。今年最後の一本がお前が割った瓶だ」