サクサクと書きあがった木偶人形。その真ん中に楕円を描いた。
木偶人形と違って精緻な形で、二重楕円となったそこに、細かく何かを書き込んでいる。
「なにこれ」
「夫婦の初めての共同作業の様子だ」
顔も一切上げずに真剣に書き込みを増やしていく。
楕円の上のほうに炎のような光のような何かと、丸まった子どもの形が描き出された。
「どういうこと?」
ベータが書きあがった満足気な顔でフォニーのほうを見つめている。
「完璧であろう」
フフンッと鼻をならすベータ。
「違う」
「何がだ」
「全部ぜんぶ!」
魔法陣から二人で子どもを召喚する様がまざまざと描き出された絵をみながら、フォニーはドアを眺めた。
さっきクレアが持って行った本を魔法で呼び出すことができたなら。
『コウノトリが運んでくるのよ~』以上の衝撃に打たれたフォニーは立ち尽くすばかり。知り尽くしているジャンルではあるが、それを手とり足取りこの場でフォニーが教育するのは違う気が。
気力失せ、椅子に腰かけてテーブルに肘をついて組んだ手の甲に額を預けてうなだれるフォニー。
そんな様子をベータは、
「大丈夫か。また目の調子が」
「ちがうから。だいぶダイジョブだからそっちは。そっちじゃなくて」
考えていることは筒抜けのはず。でも、イメージは伝わらないらしいことが分かった。
今、フォニーの脳裏には、フォニー自身のいつもの仕事ぶり——大成功バージョン——が完璧に描き出されているのだが、ベータにはフォニーが絶望感に満たされていて、『あんなこととかこんなこととかすんだけど、どうやって説明したらいいんじゃい?』とか言ってるのだけが伝播されている模様。
「そんなに違うはずがないが…」
「だれに教わったの?」
「だれって…」
ベータは口をパクパクさせて、とうとうつぐんだ。
うつむいて、しゅんとしょげている。机よりもずっと遠くの過去をながめているのかもしれない。
「え、どうしたのかしら」
入ってきたクレアの声に反応したフォニーとベータ。今度はクレアがびっくりするほうで。
手元には本。
「副院長、これであっているだろう」
ババンと目の前に立ち上がったベータの両手で展開された絵を見て、クレアは先ほどの会話を思い出したようだ。
絶句している。
「まさか違うのか」
ベータもそのまま立ち尽くして絶句している。
クレアの足元から出てきた子どもの一人が、
「なにこれ」
「なにこれ」
「やーっ!」
背伸びして紙を取り上げようとする手よ、ベータが慌てて紙を掲げて奪い返す。
「だめだこれは」
「だってなんか絵かいてあったじゃん。見せてよ」
「これはな、結婚した夫婦がおこなう初めての共同作業について描いている…」
少し自信なさげだったが、
「この真ん中の魔法陣、実際に使うものは知らなのだがな、代わりに今回はこうやって」
手際よく紙の真ん中を軽く折りたたんで、手元から鏡を取り出した。
「こうやって、鏡に斜めに映すと実際にここに移った全円形の魔法陣から…」
鏡の中の丸い魔法陣。その色がほんのり変わりだし、煙が出始めたところで、
「ちょっと!! 何ホンモノ呼び出そうとしてんのよ!!」
フォニーは慌てて羽ばたきあがって紙をベータの手から部屋の天井へと強奪。
ベータは紙を見上げて悲しいそうで、残念そうでもあった。ぶつぶつと、鏡鳥の使い魔が呼び出せたのにと尻すぼみ。クレアは、
「ありがとう」
「ったく油断も隙もない」
この短時間で紙に本物の召喚ができるものを、楕円形にゆがめて書いてみるなんて可笑しな遊び心を持つあたりはベータらしいのだが。
当のベータは今、じぃっとクレアの手元の本の表紙、赤ん坊の笑顔を見つめ、眉間に皺を寄せている。
「その本、」
クレアを見上げて、また言い出せずにじぃっと、じぃっと…。
さっきまでの自信はどこにもない。
「貸しましょうか?」
借りたい、とも言い出せないらしく固まっているベータ。プライドだろうか。
がっくりと肩を落としたその様子に、フォニー決意のため息を吐き出した。
「アタシが借りるわ」
クレアは本を差し出し、フォニーはそのまま手に取った。
本の裏側を見ると印がついている。
「院長が寄付で持ってきた本に付けているんです」
ベータは自身が持ってきた本を一度も開いていなかったということか。どおりで一段と肩を落としているわけだ。
「鞄に入れさせてね。アタシが先に中身読むから」
ベータが開いた鞄の口にポンと放り込むと、ひとりでに本に紐とタグが付いて、袋の亜空間の中に沈んでいった。
その後は淡々と各種軽作業を進めていったが、帰宅時になってもベータのしょげしょげは元に戻らない。
—————どうしたもんかねぇ。
危うくフォニーを置いて急速離陸しかけるなんて事故もあり、見送ったクレアは最後まで落ち着かなさげだった。
来た時よりもとんでもない高速飛行の家路で、落とされまいとしがみつくのに必死なくらいだったのもおそらくその余波とみられた。前回も今回の行きも、フォニーが後ろに乗っていることを考慮して安全運転だったらしい。蛇行しながら斜めに航路を歪めて急降下する様は、危うく乗り物酔いしそうになるレベル。
ベータはといえば、そおーんな様子だったのに、家の前に着くやいなや箒から降りて家を眺めて呆然と立ちすくむし。
「ちょっと、帰ってきたんでしょ」
「あ、ああ」
どこか上の空で。フォニーのほうから、
「中は言ったら、本、先に出して。どーせ荷物の整理はアタシじゃ手伝えないし」
のろのろと店の入り口から家に入り、すぐに本を取り出し、表紙絵を凝視している。これじゃ先に進まないので、引っ張るように本をベータの手から奪い取った。
「じゃ、上戻るから」
「ぅん」
—————だめだこりゃ。
何を言ってもベータの気持ちは盛り上がりそうにない。
なのに部屋に戻るフォニーの背中に視線が刺さっているのはわかる。
多少昨日よりはコミュニケーションとれていると思っていたのに、こんなにあっさり外部要因で元通りになってしまうものか。
今まであんなに安定してアッタマおかしー感じだったのに。
ドアを閉めて鍵をかけ、ベッドにうつ伏せになって本を開く。
まぁ人間向けのありきたりで教育的に満たされたページが続いていた。
誰かを好きになって、付き合うようになって、子どもが欲しいと思うようになって、やることやって、という流れ。
サキュバスにはありえないベーシックストーリーが描かれていて、フォニーにはとても勉強になった。 具体的に子作りするところに関する生物の体の仕組みは釈迦に説法レベルではあるものの、過去の経験ではアブノーマルコースしか見たことがない。
—————小馬鹿にしちゃいけなかったわね。
内容に刺激物は混ざっておらず、あの様子のベータに見せても何も問題ないだろう。
—————なんで保護者よろしく検閲してんのかなって…。
理由はよくわかっていた。
あの魔法陣を教えたのが、もしかしたら誰かベータの凄く信用している人で、ショックを受けているのではないかと思ったからだ。
じゃなかったらあんな歳——見た目からフォニー推定四十歳——までそんなピュアピュアはありえない。
—————これの中身がそーいう状況の人間に渡していいものなのはわかった。
両手を広げて、ベッドに大の字になり、本を放り出す。
階下の音が止んで、夕食を取ったら、そろりとこの本をダイニングに置いてこよう。