「いってら」
「ん」
と、まあ、うんとかすんとかそんなのをしばらくもごもごしながら、箒が上に上昇し、あっという間に小さくなったのは昨日のこと。
今日は外出する体力も気力もないまま、起き上がって棚に並ぶ作り置きの大量の栄養ドリンクから1本瓶を取り出す。
ちびちび啜るといつもの濃さ&いつもの臭みが鼻について耐えられなくなったので一気飲み。
飲み下すことができるようになってよかった。階下に降りてくることもできるようになった。
草むしり士復職はまだ先。旅程は2~3日と聞いている。その間はこのグダグダ療養生活だ。
だらだらしすぎで夜寝れないし、外出して男を漁るサキュバスらしい生活を取り戻すのも一興。
だが、ここの留守番を任されている。
マンドラゴラ一〇〇の瓶を割ったのが元でこの場所に縛り付けられているフォニー。その上で泥棒でも入ったらもう死んで詫びろとか言われてしまうかもしれない。いや、もっと過激な『実験』…?
じゃあ丁度いい機会。療養かねて主のいない家で物を壊さないレベルで物色すればいいのだ。
栄養ドリンクの瓶を台所に持っていく。そして、
—————開けられる扉を全て開けてみよう。
そうしよう。
見えるところを見るのはいつでもできる。主がいないときにしかできないことをやるのだ。
開けるだけならそんなに疲れずやれるだろう。想像しただけで楽しくなってきた。
栄養ドリンクが効き始め、熱の冷めた目の奥は新たな刺激を欲していた。
ゆっくりと店先に向かう。
手始めに棚の戸。そっとつまみに触れ、ゆっくり、ゆ~っくりと開ける…。
戸の中には空の瓶が綺麗に並んで。
その上の段にはマンドラゴラ。瓶に入って液体に使っていた。人参らしいものもあるし、草もあるし、干からびたトカゲのようなものもある。
材料棚らしい。奥は浅く、見たままの様だ。
棚を閉じて、下の段は…? その横の引き出しは?
順に見ていくが、護符の材料や道具や、薬etc…。どれも薬屋稼業の材料と見える。
あ、あと忘れてはいけない。
フォニーの世話を焼くのに使っていた乾燥した中空の茎とか、乾いた布なんかもこの並びにある。
店のカウンターの足元には、こん棒やら剣やらの武器類もゴロゴロしていた。強盗除けだろうか?
フォニーに対してこれを使わなかったのは、何か理由があったのか? 審査基準?
一通り店のなかを物色したが、思いのほか面白い物がない。
ぶっちゃけどれもこれも、『まあ薬屋にはありそうだよね~』というか。使っているところを見たことはないが、仕事道具なんだろうと察しが付いてしまう。
「おもしろくないでやんの…」
ベータがこの場にもし居たら、このフォニーの考えを透かした上で、変な顔したりぼそっと突っ込んだりしてくるのだろうか。
居ないからやっていることなのに、居たらどうなるか考えるのはおかしなことだと思い直し、フォニーは台所へと戻った。
この中はある程度分かっている。
開けていないところを思い起こし、上から順に開けていくと、空の棚。嫌に綺麗な使っていない食器。雑紙。本。ブラシ。
よくわからないものがとりあえず突っ込んである引き出しには手前らへんに間仕切りがあり、右側にカトラリー。
棚は見慣れていた。
後は…庭に出るドア。その向こうはもっと見慣れていた。
じゃあ、あとは…ダイニングテーブルの下。床下収納だ。
小さくついた取っ手をつまんで、上にぐいっと開ける。向こう側に雲が見えた。
…すぐに閉める。
—————ちょっとまって。なんかあたし、見間違えてる?
もう一度、フォニーは開けた。
その向こうには、確かに雲海。と、小さく山の頂上が見える。
少し時間をおいて、閉めた。
—————…これ収納じゃなくない??
意を決してもう一度、何が変わるわけでもないとわかっているのに、今度はそっと、ゆっくり、床下収納の蓋をあけた。
上からの眺めだ。
雲海は曇っていてどす黒く、山は赤々として、時折溶岩を吹き出すボシュボシュという音が響いていた。
絵かなんかじゃないのか? …でも動いてるし??
どこか懐かしい空気を感じながら再度フォニーは蓋を閉めた。
懐かしい空気は消えたが、フォニーは電光石火、庭から雑草をブチリとちぎって戻ってきた。
床下収納と思っていた場所の蓋をもう一度開け、雑草を落とすと、ちぎれた葉と茎は一緒にくっついてきた土とお別れしながらどこまでも小さくなっていき。
とうとう見えなくなった。
代わりに、懐かしい空気がふわりと吹き上がる。
フォニーは今度こそ確信をもって蓋を閉めた。
—————この下、魔界だ。
ダイニングの椅子に腰かけ、姿勢を正し、深呼吸。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かすなんて、フィクションの世界のことだとばかり思っていた。
ベータに関して混乱しそうな情報は、あの魔族の人が来ていたことぐらいで他はもう出尽くしたと思っていたのに。
—————こっから落ちたらアタシ家に…いや、やばいからやめとこう。
外出できる術をフォニーにかけたとき、ベータは魔界には行けなくなると言っていた。ちょっと入っただけで肉体が消滅してしまうとか、全然ありえる話。
呪いがなかったらここから飛んで魔界の自宅に帰れたかもしれないが、ベータにフォニーにかかっている魔法の内訳を聞かないといけない。
いや、それ以前に。
—————人間界で魔界への通路が常設されてるって相当アカンやつなんじゃ…
たま~に自然にできちゃったりするから、魔物が湧き出したりする。それをふさぐために魔法を使って、魔法使いを常時貼り付けているようなところすらあると聞く。
そこにきて、この床下収納風の穴は明らかに人工的に作られたものだ。
この穴から、飛べて、そこそこの速度で移動できるレベル——ってことは魔族の凄く上級の方々——が噴出してきたりするかも。使ったりするのか? できるのか?
こっから、上級魔族が…? だったらこの前の魔界からの使いは? お行儀よく玄関から入ってきたではないか?
この穴は秘密なのか?? いや、移動用には使えない???
混乱してきたフォニーは現実と向き合うために、椅子を引いて上半身を机の下に潜り込ませ、床下収納風の蓋を眺めた。
ピクルスとか仕舞ってあるんじゃないかと面白がっていた数分前が懐かしい。
どうやって開けた? 人間が開けるには生贄がいるはずだが。まさか。そんな。
風貌からは人一人くらい殺ってても可笑しくはないベータだが、実際にはそんなことはしないタイプ。
だとすると魔族が手引きしたとしか。
深呼吸を繰り返していたその時。
コンコン、コンコン
ドアノックの音に、フォニーはビクリと震えた。