ドラッグストアへようこそ 17

 翌朝はフツーに起きれた。
 ベータの足音以外にドカン! バキン! みたいな音が下の階から聞こえたが。
 多分、クレアさんのところにまた行くから準備をしているのだろう。
 フォニーの頭には耐え難い重さで響いていた。目の奥にほんのり残る埋火のような熱が籠る。
 体を引きずってドアを開けたところで、ベータが階段を駆け上がってきた。
「まだ寝ていたほうがいい」
「クレアさんとこ行くの?」
 それ以外で行先などあるかと思っていたフォニーは、重たい体とほんのり熱の残る目の奥のまま、朦朧とした意識を単純な言葉で吹き飛ばそうとした。
「違う」
「どこいくの?」
 ジーっとベータの歪んだ目の絵を見つめると、ベータは口元を引き締めて肩を上げて身を固くした。
「ゆ、友人のところだっ」
 ジーっとまだ見ていた。だんだん頭が働かなくなっていく。ベータの言う通りまだ寝ていた方がよさそうだ。
 ドアの枠に摑まりながらゆっくり部屋の中に戻ろうとすると、
「喉は乾いていないか? 大丈夫か?」
「水ほしい」
「わかった」
 よろよろとベッドに座り、横になると少し楽になった。
 と同時に、バタバタと足音が部屋のドアの前まで聞こえ、なぜか足音を消し、そっと覗き込むようにベータが部屋に入ってきた。
 茎のストローを差した瓶が見える。体の間に自分でクッションを滑り込ませ、もたれかかり、瓶を取って吸う。
「水じゃなくて栄養ドリンクじゃん」
「飲めるだけ飲め。死ぬぞ」
「ん」
 ずずずぞぞーっと吸い尽くすと、体力が多少戻ってきた。
「目はまだ熱いか?」
「ちょっとだけ」
「上を向いて目を開けろ」
 ベータは布とスプーンを持っている。
「なにすんのよ」
「もう少しだけ熱さが取れるようにする」
 言われるがまま黙って目の中に液体を入れられると、染みた。瞬きをすると、涙も一緒にあふれた。
 悲しいわけではなくて、完全に生理現象だが、
「すまん」
「ほんとにね」
 しょげるベータを見るのが嬉しい。そうだそうだ、自分のしたことを反省しろよ、と思う。
「あと、これも」
 ねっとりした、瞼の上に前載せられたやつ。乳鉢の中に入った状態でベッドサイドに置かれ。
 ベータはフォニーの腰の下に入っているクッションを取ろうとするが、フォニーは自分で抜いた。
「瞼をとじろ」
 言われるがまま瞼を閉じると、ひんやりとした感触。
「起き上がる気力がもう一度出たところでぬぐっておくようにな!」
 そのままバタバタと下に降りていく。
—————なんでこうも面倒見てくんだろあいつ。
 甲斐甲斐しいなんてもんじゃない。
 だって——多分だけど——、この部屋、掃除されているのだ。
 いつもベッド脇のテーブルに適当に放置している服とか下着とか——触ってほしくなかったんだけどなぁそれには——まで全部仕舞ってあった。
 壁の釘のところに掛けて置いた服とかも全部片付いていたから、手を服にひっかけたりすることもなく支えて歩くことができた。
—————気持ち悪いんだよねぇ。
 ここに来た時は双方苛立っていた感じだったが、今回は明らかに一方的に世話を焼かれている。
 水の準備も含めて手際が良く、やったことがあるようだ。
—————あるのかも。
 急にフォニーは、この部屋の存在に想いを馳せた。
 なんでこんな女物の家具がある部屋があるのか、最初に思った疑問。
 もしかしたらベータは昔誰か、病気の人の世話をしていたのかもしれない。
—————のか? あいつ、そんなんでき…いや、できそうだもんな。この様子だと。
 やっていたとしか思えない茎ストローの存在。
—————じゃ、誰? 彼女???!!?? ええ?? ああ、親? でもなぁ…
 親に育ててもらってあんなんになるだろうか?
 人間の世界では、魔力が強い魔法使いは捨てられたりぞんざいに扱われたりということが多いと学校で教えてもらった。
 そういえば、学校なんて行ったことあるのかアレ。あったらもうちょい常識あるだろ。
 薬屋をやっているだけあって知識がちゃんとあって、実力もあるからこその措置ではあるものの、どこからそれを絞りだして飲み込んできたのか。
 考えてきたら、さっき飲んだ栄養ドリンクが効いてきたのか、思いのほか気力が沸いてきた。
 目の奥の熱さがほぼなくなっていたのもあり、瞼の上を、手に握らされた布でふき取る。
 肩肘をついて起き上がると、部屋に光がさしている。
 いつもは多少ある床のホコリがない。ベータはこんなところまで掃除したようだった。
 下の薬屋とキッチン周りをそういう目で見たことがなかったからわからない。が、確かに雑多に物がある割に、それぞれすぐに使える状態になっていた気がする。
 本人の身なりはあんなに汚くて平気なのに。
—————むしろ過去に何かあって平気になったとか?
 水浴びしないようにして、という事情は言っていたが、体を拭くぐらいはしていてもいいのにそれすらほったらかしだったわけで。
—————ひとりになったから?
 女かぁ…?
 まだ首をひねるには頭が重い。でも気力は出てきた。
 ドアまで壁を伝わなくても歩ける。快復は近そうだ。
 階下の音の元に近づこうとすると、もう床いっぱいにモノが拡がり足の踏み場もなくなっていることがわかった。
「あたし準備手伝うことある?」
「寝ていないと」
 ベータは物の合間に脚を置いてフォニーに近づいてきた。
「じゃあいいから準備しなよ。アタシのことはほっといて」
「でも」
「ちょっとは起きてないとぼーっとしちゃうから」
「ならばせめて座っていた方が」
 なんだか…
「…そうね」
 階段にそのまま腰かけた。
「なんか急にお姫様扱いね」
 何かを袋詰めしているベータが急に固まって、
「冗談よ」
 また動き出した。
「でも、悪くないわ」
 薄気味悪さと同居している、悪くない感じをなんとも伝えにくいものだが。
 向こうには透けて伝わっていることだろう。ならまあいい。…まあ、いい。
 ベータはさっきよりもあわただしそうに荷づくりをしている。
 よくよく見ると荷づくりだけではなく、同時並行で何か作っているようだ。
 一直線にしか動けない人間かと思っていたが、あれもこれも色々やることもできることを目の前で見せつけられるとどうしても。
 あれもこれも出来る方だけど、ベータのような薬屋の才能も魔力もない、人間へのアプローチもうまくない魔族フォニーは劣等感に打ちひしがれそうになる。
—————体力弱ると気持ちも弱るわね。
 ベータに言われた通り、休んでいた方がいい。
 一応…いちおう、聞いてから。
「アタシは行くの?」
「…留守番を頼む」
—————『休め』よりも『頼む』のほうにする狡さ、コイツにあったのか。
「しょーがないわね」