ジョットは足元にある長めの木の枝を1本だけ手に取って弄ぶ。
そのまま満を持して森の中の小さく広場のようになったキシアス達がいる場所——魔物と遭遇した場所——に歩みを進めた。
グシャッグシャッとわざとらしく開けたその場所に立ち入ると、キシアス・ジェレミー・テトは一斉に振り返った。
「ジョットさん!?」
テトの大きな声。
キシアスとジェレミーの驚愕する様。
「こんばんは」
ほほ笑むジョットに、テトを制したキシアスが駆け寄った。
半開きの唇を震わせ、小さく小さく言葉を発する。
「どういうことですか?」
ジョットはさも当然かのように佇み、世間話の続きのように、
「後ろ、いいんですか?」
ジェレミーとテトは慌ててキシアスの背後を守るようジョットを背にした。
キシアスは一瞬だけ身をよじらせたものの、すぐジョットに向き直り、
「なぜここにいるんですか。どうやって…一体…」
キシアスの動転ぶりなど意に介さぬそぶりでジョットは辺りを探っていた。
それはジョットがその昔培った洞察力と勘で、すぐに見つかった。
—————…あそこか。
テトの斜め後ろの木陰の、さらに奥。
人の目では難しい照らされた闇の中にある物体の陰を、ジョットの目は明確にとらえていた。
テトが少しだけ、ジェレミーを離れ、その闇の方向を向くも陰は身じろぎもしない。
キシアスはジョットで手一杯のようだ。
ジョットの手元にランタンも何もないことを見て取り、辺りの暗さが手ぶらでこの森の奥地に到達するなど到底できないレベルだと改めて見まわし。
「あなたは」
同時に、テトがジェレミーのほうに少しだけ体を動かしたとき。
「でた」
「え?」
ジョットはキシアスを制した。
その向こう。
暗がりの奥から、音もなく忍び出た熊そっくりの巨体のキメラは、テトに斜め後ろから覆いかぶさ労としているように両腕を広げていた。
キシアスは振り返る途中。
ジェレミーもだ。
テトは自分の後ろに魔物がいることにまだ気づいていない。
常人には一瞬のこんな出来事が、ジョットには静止したように遅く感じた。
闇の中を何より素早く動いている魔物の動きでさえ、幼いころから鍛え上げられたジョットの視覚ならはっきりと捕らえることができる。
—————この向きが一番切りやすそう。
『力』を少しだけ発動させて左腕でキシアスを押しやる。
—————キシアス、そのまま後ろにある木に少し強めにぶつかるかも。
それとは別に、ジョットは腹の底から声を出した。
「テト、しゃがめ!!」
ジェレミーは立ったままテトのほうへと今まさに向きを変えようとしている。
テトは吃驚した様子だが、従順にも軽く膝を折り始めていた。
同時にここでようやく魔物にも気づいたようで、ゆっくりと——ジョットには、だが——目を見開きだす。
もう魔物はテトにあと1メートルのところ。
ジョットは『力』を強く発動させた。
その瞳がセルリアンブルーから暗転し、茶褐色へ、そしてオレンジに発光するような色味に映っていくと、軽く足元が浮いて、体が軽くなった。
魔物のほうへ軽く蹴上がる。
ジャンプするだけではなく、ジョットは魔物の首元まで飛び上がっていた。
木の枝がそこに届きそうなくらいに。
—————ちょっとだけテトの前髪らへんとかが巻き添え食らうかもな。
枝を持った右腕を振り上げ、先ほど決めた角度——魔物の首とテトに今まさに襲い掛かろうとする両腕が枝にまっすぐ切り取られるような——に振り下ろす。
その軌跡そのままに、魔物の腕と首が切れていく。
ただ、実のところ切れたというのはふさわしい言い方ではなかった。
枝ではなく、とんでもなく重い斧か何かに無理やり断たれているような。
枝によってその肉が向こうへと押しやられるように魔物の左腕・首・右腕が順に切り離された。
魔物は咆哮一つなくジョットとは真逆の位置にあった木々にぶつかり、ようやくとばかりに地面に転がり落ちていった。
ジョットの目に切り離されていく様も魔物のパーツが向こうに追いやられる様がはっきり映ると、
—————久しぶりにこの強さで『力』を使ったけど、いい感じに調節できたな。
残った魔物の胴体を少しだけ蹴って、元いた位置に着地し。
頭上に迫っていた魔物の顛末を目の当たりにしたテトはといえば、血しぶき一つ浴びずに呆然と立ち尽くしていた。
もう一度確認している。
血しぶき一つ『浴びずに』。
テトのランタンを持つ手が次第に震えだす。
その脇のジェレミーは魔物に目をやっていた。
雨音ばかりの静寂が再び開けたその場所を支配した。
元来た時と同じように綺麗なその場所。
魔物の体が転がっていることに加え、木々に魔物の血しぶきと血だまりが見当たることだけが、ジョットがそこに来た時と違っていた。
その場所は、ジョットと魔物の体を挟んで逆の方向。
誰もが言葉を発せずにいた。
ジョットはテトとジェレミーに一瞥もくれずに背後のキシアスへ。
木にもたれかかるような姿勢で呆然とするその双眸を正面に、明朗に告げた。
それは物語を韻文に乗せて語りだす吟遊詩人のようだった。
「マリアンヌ先生はこの世界に魔法以外の力の理があることに気づいていた。
それを『カガク』と名付けていたのは君も知っていると思う」
キシアスは夢見心地で、受け入れられていないままのようだったが、わずかにその視線を揺るがせた。