「貿易関係ご一行様じゃなくて、魔物の調査担当になったかも?」
祭りの準備の合間を縫って当日の算段をしにわざわざ領主館まで連絡に来た村長。
ジョットはその彼が併せて出してきたセリフを聞き返した。
恐れていたことが起きたかもしれないからだった。
「へい。まだちぃと曖昧なんすけど」
「なんでまた?」
「長いこと来てないから状況が変わったりしてねぇか、調査しねえとって。
貿易担当としては他の候補もあって、予定は未定でそっちもほっといてたってんでそっちを先にって…まあ、その辺の経緯も、モゴモゴっつう感じで…まともな説明にゃなってなかったんで、実際のとこ何があったんか…」
「長いこと来てないのはホントそうなんだけど、この土壇場でテキトーだなぁ」
「ただ、まあ、調査担当者は現場たたき上げでお貴族様とかはいねぇってこって」
「気遣いがいらなさそうなのはコッチとしては有難い限りだね。
うん。事情は分かったから。できる限り詳細情報が欲しい。なるはやでね」
承知しやしたと踵を返す村長の背中などもはや目に入らない。
─────『ばれたかも』
─────『何が?』
─────『中央からくるの、貿易関係の人じゃなくて、魔物の調査担当になったかもって』
ジーからの返信がない。
と思ったら走ってきていて後ろにいた。
来たって、どうしようもないのに。
そう思っていたら、いきなり頭を思い切りぐしゃぐしゃ撫でられた。
─────『言っていいよね。年下のくせに生意気』
─────『てか…だって…』
うなだれている。
コビが気づいたらしい。サッとこちらに飛んで来ようとするのを、手を振って止める。
ゆっくりと遠ざかる。
─────『大丈夫。そのために村人を訳アリばっかりにしてるんだから』
木を隠すなら森。
ジョットの来歴を知っているのは、中央の中でも極秘任務に携わっていたり資金提供していたりしたごくごく一部だけ。
それと比べれば裏稼業で知れ渡っている悪人たちが手前に控えているわけで。
先にそちらに気を向けてくれればしめたもの。
ちょっと詮索好きな小役人や子悪党程度なら、この領主館どころか村の入り口より奥に到達することすらできない最強のセキュリティ。
集めた人間に非があると後ろ指指されたって仕方ないけど、それで目くらましできるのなら何よりだ。
戦後十年というこのご時世。
怪しい出所由来で金を持っている人間なんて大勢いるし、どちらかといえば国も詮索しない方向だし。
集めた村人達だってジョットのことを探ったりしない。
自分がそうされたくない、埃が出るばかりで面倒だと思う人ばかりだから。
叩いて出てきた埃イコールその人本質ってわけじゃないと思っている人ばかりだから。
だから『有効活用』できるのだ。
ジョットは逡巡した。
─────担当者がどの程度鼻が利くか? 先生を知っていたら?
ネックになるのはこのあたりだろう。
静かに自室に向かいながら、どうしようもないことを考えてしまう。
ユンがここにいたらもしかしたらジョットの顔色を見て不安になるかもしれない。
豊穣祭準備でいないのは僥倖だった。
そのくらい、今のジョットは自分のことを隠せていなかった。
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落ち着かなさに拍車をかけるようなことはその日は起きず、夕方村から帰ってきたユンに村で捕り物があったとだけ聞かされた。
いつもの日常が続いていることを実感するも、不安で。
部屋に籠れない。
夕食の時間にはまだ早いのが分かっていながら、ジョットはなんとなくダイニングに降りることにした。
調理場から今晩の食卓にも上るだろう香り。
作っているユンの姿を想像する。
煮込み? 炒め物? それとも?
調理場に立つエプロン姿が見たくて、ジョットは奥まで足を延ばした。
さっきまでの不安は期待にとってかわられていく。
「いいにおーい」
ユンに気づかれるように声を上げると、ユンは鍋をかき混ぜながらこちらを向いた。
湯気が燻る中こちらを見つめる赤毛で茶色の瞳とそばかすのある顔。
─────僕、あざといな。
─────釣り合わないとか思ってたくせに、結局それをうまいこと使っちゃって。
胸を膨らませていたのに、ここにきてジョットの手が少しこわばった。
「一口味見していただけますか?」
「えっ! いいのっ!」
ちょっとだけ今よりも近くに行ける口実ができたら、足取りだけは軽く、御しがたく。
「…どうぞ」
洗い物が増えるのに、わざわざ小皿に取ってくれた一口分のスープ。
受け取って口にして、乾いたような気がしていた喉と体がほんのちょっとの水分で十分に潤ったような風になる。
ほぐれていく。
「…おいしい、けど僕もうちょい塩薄目が好み」
ジョットは感想を自分に言い聞かせた。
─────料理の感想を言ってるんだ、そういうことなんだ。
「かしこまりました」
ユンは横にあるもう一つの鍋からスープを継ぎ足した。
薄める用にわざわざもうひと鍋別に一人分だけ分けておいてくれたらしい。
全部で3人分だとすると、薄める用の分は全てユンの夕食用なんじゃなかろうか。
味音痴だと伝えている領主の好みのために、彼女は自分を脇においておける。
─────違う。それは、それが彼女の仕事だからだ。
目の前にユンがいる。
もっといろんなおしゃべりをしたいのに、ジョットは自分と話してばかりだった。
貰ったスープを飲むと、今度は丁度おいしくなってしまっている。
これじゃもう話を続けられない。
そのほうがいいのかもしれないが。
「…OK!」
全然OKと思えないのを隠すように大げさなリアクションをする。
そのことに集中したら、正面のユンが自分の意識からいなくなったりしないかと。
でもそんなことはなかった。
それどころか、スープの湯気が晴れてきて、さっきよりもクリアに。
少しだけ口角を上げて、目元を緩めて笑みを浮かべている。
もうジョットは落ち着かないどころではない。
すぐさま小皿を返して、踵を上げて、そろりと立ち入った調理場をずかずか出でいく。
夕食は味見した通りおいしいスープと、パンと、炒め物とデザートも。
満たされた自分と、胃袋。
こんな暮らしができるようになったことに喜びを噛み締めないといけない。
それを続けられるようにしないといけない。
この先数日のうちに、正確なところが判明するだろう。
何者がやってくるのか。
恐れていた事が起こったのなら最終手段も辞さない構え。
ユンの前にそれが明るみに出たらどうなるか。
─────今日はいつもより目が冴えそうだ。
ジョットは自分が手を染めるかもしれないことよりも、ユンに知られることのほうが怖くてたまらなかった。