領主館へようこそ 63

 犯してきた過去がすぐ後ろに迫っている。
 山賊だったトレビスを村長にスカウトした時はなんとも思わなかったどころか、寧ろ…。
─────ユンさんは本当に、何も、全く知らないんだ。
 仔細が分かった今朝、魔物の調査担当が来ることを領主館のみんなに告げ、みどりちゃん達が抜けた穴の補填にリアを呼び、チリカに連絡をつけ。
 からくり屋敷にすることで、敷地面積を少なく、しかし掃除面積を広く取った別館はうまく仕上がっていっている。
 でも。
「今日は何かなぁ~」
 刻一刻とその日が近づく中、習慣のようにユンのいる調理場につまみ食いに来てしまっているジョット。
 習慣のように小皿に取ったリコレアを差し出してくれるユンに甘えている自覚はあった。
 そのままつまむと、
「あちちっ」
 少し慌てた様子で、
「フォークあるのに」
 ジョットの手を見て心配そうにしてくれるのが嬉しくてしょうがない。
「ハフハフ…んグっ…つまんだほうがちょっと背徳感あっておいしい気がする」
 ジョットはまた一つ嘘をついた。
 背徳感。
 それはつまみ食いしているからではなかった。
「ありがと」
 小さく頭を下げるユンの姿に、チクリとする。
─────僕は耐えられるんだろうか。
 このままの状態に。
 ジョットの気持ちを置いて、時はあれよあれよと夜になる。
 ここ数日、起きている時間はいつもより冴えた。
 特に夜は。
 自室を出て、廊下の手すりに手をかけ、定位置に無音で着地。
 暗闇の中ダイニングに向かって。
 今は誰もいない調理場でやかんを火にかける。
 明るさに一瞬だけ目がくらむ。
 ジョットの夜目が利くのは家系なのだと、先生から聞いていた。
 なんでも代々身体能力に優れており、国から重用されているという。
 ジョット自身がその家族と暮らした時期は比較的少ない。
 覚えているのは暗闇で動物を見つけては、その場で拾った石礫を当てる練習をしていたこと。
 どんなに板が薄い床であっても絶対に足音をたてないように歩く練習も。
 ご飯のあとはいつも少しだけ舌がしびれたり息が苦しくなったりした。
 多分ほんのすこしだけ毒が混ざっていたのだろう。
 耐性を付けるために。致死量を摂取しても死ななくなるために。
 そういうものだと思っていた。
 今はもう理解している。
 あの家族はそういう国の裏の行為だけを代々脈々と行ってきた一族だったのだと。
 今あの家族からジョットに対しては何もない。
 ジョットという存在が最初からなかったことにした方がよいと判断したからだろうと、ジョットは思っていた。
 ただ、もし表舞台のどこかしらに、少しでも事が明るみに出たら?
 それを機にここに矛先が向かう可能性は十分に考えられた。
─────そんな自出で先生のお眼鏡に叶って、うまくいっちゃったのが良くなかったんだよね。
 ポットに湯を注ぎながら、どうしようもない自分のこれまでを思い返す。
 ジーや『同じ釜の飯を食った仲間』の数も。
 …トン、トン、トン
 足音がする。
 こんなに静かなところの足音なんて丸裸。
─────鍛えたからなぁ。
 家族から離れた後も、先生のもとで習慣はそのまま続いた。
 習慣だと思っていたからなんの疑問も持っていなかった。
 ジョットの足音は元々なかったが、先生の試みが成功したことでそれは完璧になった。
 自然に足音を立てて歩くほうが難しいくらいに。
 だからわかる。
 今の足音はジーじゃない。
 ジーだったらもっと音がしない。
 ジーも『庭』での生活で習慣にしようとしていた者の一人だから。
 と、いうことは。
 そっとドアが開き、オレンジの光が隙間から差し込む。
「えっ」
 ユンだ。
 オレンジの光にぼんやりと照らされている白っぽいゆったりとしたネグリジェ姿で、目を丸くしている。
「…どしたの?」
 分かっていたくせにぼんやりと口を開けて驚いているかのような演技をした。
 実際は昼間以上にこみ上げる喜びでいっぱいなのに。
「コーウィッヂ様こそ」
「…眠れなくて、お茶でも飲もうかと」
 口元が緩んでいることがばれないように、軽くうなだれてみた。
「…私も、です…わ、私も、お茶でも、いただこうかと」
 同情買いがうまくいったようだ。
「お菓子もあるよ」
 ユンはジョットのはす向かいにやってきてランタンを置く。
 ぼんやりと照らされたユンの後ろ姿。
 調理場に自分用にお茶を入れているようだ。
 姿が隠れた人を今か今かと待つのは長い。
 ユンが持ってきた自分用のお茶一式を席に置いて、座って、ランタンのひかりで下から照らされたユンの顔は完全に恐縮している。
 この夜が楽しくなってきた。
「下からの光ってホラーっぽいね」
「そうでしょうか。
 それより、コーウィッヂ様ランタンもなしにどうやって?」
「僕ね、昔から夜目が利くほうなの。
 これぐらいなら明かりなしで全然ダイジョブ」
 吃驚している。
 もうこのままずっと夜のままでいいか。
「中央から来るっていう来賓、大丈夫なんですか?」
 ユンの問いかけに冷や水のように現実に引き戻され、そんなことしないでくれよと思わずジッとユンを見つめてしまった。
 そもそも共通の話題は仕事のことだけだから仕方がないことなのだが。
 ジョットが『慰安目的もあるだろう』とかいつまんで情報を出しておくと、
「そうですか…」
 聞き返すこともなくなってしまった。
 それでも続いていた会話が止まったことで、ジョットも何か話すことはないかと探り出す。
 なんでこういう時に気の利いた話ができないのか。
 思っているのかすら怪しいうわごとと口説き文句がつらつら出てくるジーとは大違いだ。
─────経験値の低さよ…。
 そしていつも歩み寄ってくれるのはユンだった。
 ただし今回は目いっぱい地雷路線で。
「コーウィッヂ様は…いつ頃から領主様を?」